婚活記事には書けない真実
友人のK子はぺろっと下唇をなめて打ち明けた。
「この前、打ち合わせ終わりに椎名さんとランチ行ったの。二人で」
身構えた。
K子は同じ職場の「椎名」という男性に恋をしている。彼女の隠し撮り写真を指で引き伸ばして見た限り、椎名はシュッとした30代半ばの短髪男。いつも落ち着いた話し方で、仕事もできて部下からの信頼も厚いらしい。
だが、彼は妻子がいる身。K子は彼への思いをひた隠しにして生きてきた。
「椎名さんが今の奥さんを選んだ決め手は何ですか?ってストレートに聞いちゃった」
ぎょっとした。
ある程度の分別がつくはずのアラサーが不倫沼に足を突っ込むなんぞ愚かしい。性欲という汚物の処理場になるだけなのに。
椎名め。だいたい苗字がチートだ。連想するのは林檎か桔平、どちらもカッコよすぎる。あと椎名誠もいた。彼もクールだ。
片思いというものは、打ち明けない限り永遠に続く恋の冷凍保存だ。そんなものは冷凍庫に入れたまま忘れ去るのが吉。
解凍するのはやめておけ、ぐちゃぐちゃになるのが目に見えている。
ばっか野郎、と私は口を開きかけた。
「私そろそろ真剣に結婚相手を見つけようと思うんですけど、是非参考にさせてください、って」
風向きが変わるのを感じ、早とちりをした私は口を閉じた。予想した展開とだいぶ違うようだ。K子は言葉を続けた。
いきなり重めの任務を負わされた椎名は戸惑いつつも、ひたむきなK子の勢いに押されて真摯に答えてくれたらしい。
妻とは高校時代の友人の紹介で知り合ったこと、お笑い好きという共通点があったこと、彼女は話が面白く友人も多いが、週末は一人の時間を大切にしているところに惹かれたこと、など。
結婚の決め手となったのは、彼女のキャリアへの考え方だった。
結婚や子供の有無にかかわらず自分は仕事を辞めない、という彼女の考えに椎名は心をがっしりつかまれた。というのも、一つ前の元カノは専業主婦願望が強かったが、椎名自身は断然共働き志向で、経済的に自立した女性がよかったという。
また、椎名はおでこを出したショート〜ボブの女性がタイプで、たまたま彼女の髪型がドンピシャだったらしい。
外見の話に触れる際、椎名は注釈をつけたという。顔や髪型、ファッションなどの見た目は男性の間でも大きく好みが分かれるため、無理に踏襲しなくていい。ただ、他人に依存しない余暇の過ごし方や自立した考え方に関しては、自分や周りの男友達の間で共通するものが多い、と。
K子の吸収力は犬用ペットシート並だ。そして、鬼の行動力をあわせ持つ。「飲み会と韓ドラ」しか趣味がなかった自分を見直し、その日のうちに近所の習い事を検索したというからあっぱれだ。
グループで行う料理教室とマンツーマンのボイトレに通い始め、もともとカラオケ好きの彼女は、歌と洋楽鑑賞という趣味を手に入れた。
また、すきま時間でお笑いの動画やラジオに触れ、話のセンスをごしごし磨いたという。
そういえば、K子のインスタには芸人のエッセイ本があがっていた。
見上げた努力だ。
髪型は変えていないが、3キロほど痩せ、服をフェミニンなものからカジュアルめのパンツスタイルに寄せたらしい。料理教室は2ヶ月で退会。
「婚活」「就活」といった言葉には「市場」という冷めた語句が続くことが多い。
自分自身を商品と捉えたときに、誰にどう売り込むか。
人々の目に魅力的に映り、なるべく高値で売るにはどのようなアピールが最適か。
冷めた言葉というものは、だいたい世知辛く、そして真に迫っている。
パートナー探しも職探しも需給の釣り合いが肝要で、まさに「市場」の力学そのものだ。自分の持つ何かしらの魅力が相手のニーズに突き刺さらない限り、マッチングは成し得ない。
K子の素晴らしい点は2つある。
まず1つ目は、その大胆さ。相談しやすい知り合いの女性ではなく、自分がいいなと思う男性に直接ヒアリングをかち込んだことだ。
つまりそれは、“顧客の生声”を聞きに行ったということに等しい。
家庭のある椎名と結ばれることはかなわないが、彼や彼の周辺の男友達は間違いなく彼女が求めている「顧客像」であり、椎名の評価基準は彼女が一番傾聴すべき意見だ。
素晴らしいことその2は、目の付け所。
K子は売り込み方ではなく“商品自体”について教えをあおいだ。
もし私が彼女の立場なら、自分の売り込み方、つまり営業手法について相談してしまうだろう。
巷にあふれる婚活記事にも、営業手法のハウツーばかりが書かれている。効率的な出会いの場、効果的なアピール方法、明日からできる思考の変え方など。
そのほうが読者に好まれるからだ。耳触りのいい言葉で優しく語りかけ、ちょっとの工夫さえ加えれば恋愛がうまくいくと思わせる。そう見せかけてPVを稼ぐ。
だって私たちは、自分自身を変えようなんて産毛の先ほども思わないから。
「自分磨き」というボロ切れのように使い古された言葉に心は動かないし、自分磨きをすすめる記事にはダイエットや駆け引きテクニックなど、信憑性の低い言葉が並ぶ。
モノを売るときの原則は、売り場で最も目立つ場所に、お手頃な価格で商品を置くことだ。だが最も大事なのは、ターゲット(顧客)にとっての商品価値。
たとえば、マツキヨで手前の棚に有名な育毛シャンプーが100円で陳列されていても、私は目にも留めないだろう。私の毛量は多すぎて母親に分けてあげたくらいだ。
商品が思ったように売れない場合はターゲット層を見直すのが定石だが、あいにく私たちは人間なので、それは難しい。
相手の好みはそうそう変えられないし、きちんと「好きな相手」に好かれるための努力をしたい。
ちなみに「求める相手のスペックを見直してみよう」というターゲット戦略の提案も安易な婚活記事あるあるだ。
多くの婚活プレイヤーが“営業手法”を変えようと躍起になる中、K子は商品改良という最大の打ち手を見逃さなかった。
椎名という理想の顧客に対して、パートナーに惹かれたポイントや結婚の決め手を聞き込み、自己に取り入れ、日々の生活で実践して本当に自分を変えることに成功したのだ。
時間も気力も要するし面倒だけれど、これこそが一番ダイレクトな方策じゃないだろうか。
この商品改良プロジェクトが始まって数ヶ月の間、K子は「アプリ」と「友人の紹介」という販路を開拓し、十数人の男性と逢瀬を重ねた。
現在は同い年の未婚男性と交際中だ。
彼のLINEのアイコンを見る限り、なんとなく雰囲気が椎名に似ている。
ジェネリック椎名じゃんw
と送った私は強めのカウンターパンチをくらった。
「椎名さんよりいい男だよ」