チャーハン自己嫌悪
自己嫌悪は、本人の意図とは関係なくあらぬところで出現する。
一人暮らしをしていると、羽のように軽い自己嫌悪が幾度となく訪れる。
昨日、冷凍チャーハンをうきうきしながら皿に盛っていた。
平らな皿にチャーハンの山ができたが、そのまま加熱するとムラが出るので、軽く皿を揺らしてチャーハン平野をつくろうとした。
結果、チャーハン平野の20%は皿の外へ勇敢に飛び出した。
黒い台にまばらに散った米粒は星のようにきらきらと輝き、美しい夜空を彷彿とさせる風景がそこにはあった。
その美しさとは対照的に、僕の心は濁った。
昔から、他人が当たり前にできることができない。
水が入ったコップを運ぶと手がびしょびしょになるし、キャップをかぶって外出しようとするとツバがドアに刺さる。
行為が単純なだけに、不器用という現実が痛いほどに襲ってくる。
ただし本当に「痛い」のは、不器用な自分ではなく、不器用さを発揮したエピソードを意気揚々と語れる自分自身だ。
結局のところ、不器用さは僕を癒している。
自己嫌悪とはいいつつ、自己嫌悪に苛まれる自分が確かに愛されている。
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