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日常:2019/4/29 僕が知ってる、この街は20代のまま

「中央線」と聞くと、同名の路線を3つ知っている。個人的に、朝のJR東海の中央本線に風情を感じる。早朝、ひとけのない都市部から走り出す。徐々に標高を上げ、住宅街を抜けて、霧の山間を走っていく。田舎の静けさと冷たい空気が、停車したドアから溢れ出る。ひと駅ずつ、ひと知れず、慣れた街を離れていく。

さて、この連休で、大阪から名古屋に帰ってきた。名古屋にはちょいちょい帰ってるけど、今回フリーな時間ができたので、出かけることにした。

滞在先の高蔵寺ニュータウンから、中央線に乗って、市内へ向かう。どこか垢抜けない車内の雰囲気に、ひとり浮いている。内向きのベンチシートから車窓の先に視界を向ける。快速列車は風景を飛ばして進む。日本の似たような住居の配列が、やがてビルやマンション、工場の無骨に変わっていく。ほどなくして市内へと入った。

乗り換え、たどり着いた中心部。何年も過ごした街をグーグルマップなしでうろつく。歩きかたは知っている、知っているつもりだ。

ディープな今池近辺に住んでよく利用した千種駅。前職で通っていた久屋大通から、もっぱらランチでしか寄らない歓楽街の錦。買い物をするには高くて、見栄の象徴のようでいてどこか薄い栄(愛を込めて)。服屋や雑貨屋、カフェなど若者文化との距離感が近くて、わりとよく遊んだ矢場町。サブカルに国際色を増してなお、圧迫感がなく回りやすい大須・上前津。今の奥さんと毎週のように待ち合わせ・見送りした金山。20代を過ごした街のことなんて、挙げればキリがない。

名古屋に(正確に言うと愛知に)10年もいて、だいたい暇を埋める何かを探して、後先も気にせず、いろんな場所に行っては金と時間を消費していた。どこに何があるか知っている、つもりだった。

イベント、ギャラリー、ラーメン屋、カフェ、ショッピングセンター、観光地。クルマ社会はどこに行くにもクルマ。移動範囲は広かったはずなのに、大阪も東京も、いまよりもっと遠く感じていた。ずっとここにいると思っていた。そのままここにいたら、もっと離れられなくなっていたかもしれない。

フラフラ歩きながらみた景色は、やはり記憶の景色とは、少しずつ違っていた。新しいお店がチラホラある。

夜、知り合いのセンパイがたとごはんを食べた。変わらずあたたかく迎えてくれた。名古屋の知り合いとのトークは、どこかメタかった(自らを一歩引いた視点から客観的に解釈している)。達観していて、自虐しない。「わぁ、すごい」という期待値は求めておらず、各々が淡々と語る。話を聞けば聞くほど、どこかセンパイがたが話している名古屋と、ゲストである自分のなかのそれが違うように感じはじめた。この人たちは名古屋で齢を重ね、自分は大阪にいる、そんな違いだけなんだろうけど。

会を離れたあと、よりハッキリ理解できるように思った。僕にとっての名古屋は、たぶん20代の視点のままだ。

どこにでも等しく、時間が流れている。たくさんの人が暮らしている。行きつけだったカメラ屋さんは移転して、古着屋さんは年齢のせいか少し入りづらくなっていた。少しずつ街は変わる。例にもれず、明日から令和の名古屋になる。

かつて暮らした街が、知らない街になっていく。どうせまた来るんだけど、どこか少し寂しい気持ちにさせた。2つの場所で生きることはできない。平成最後の名古屋で、僕はそんな1日を過ごすことができた。

また帰りますね。


もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。