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私の学び直し

社会人を経て再度、大学受験を経て学部へ入り直す人の多くは、収入を上げたい・医師としてのやりがいのある仕事をしたいというのが目的で医学部に入るが、それ以外の学部へ進む人も少数ではあるが居て、私もそのうちの一人である。日本は修士や博士ならまだしも学部生としての大学への再進学については恐らく冷たいほうであり、学部生のなかで25歳以上が占める割合は約2%であると統計がでているが、海外では社会人を経験した後の20代後半以降の大学進学は一般的であり、25歳以上の割合は約20%である。

日本においては、高校卒業後にいい大学へ行って、いい企業に就職し、そこで長く働き昇進して収入をあげつつキャリアを積んでいくことが、社会人に敷かれたレールであり、それに沿って人生を勧め経済的に豊かにしていくことが、皆が共通して目指すべき美徳あるいは成功と思われている節がある。しかしもちろん、その社会人的志向を歩まなければならない法はなく、各人が好きに生きるのは自由であり、一般的な社会人が属するコミュニティにおいてはあまり遭遇することはなくとも、ちょっと行動範囲や人との関わりの範囲を広げてみれば、好きなように生きている人というのはいっぱいいる。

私はとくに収入に拘らず、社会的地位を欲さず、お金にたいする執着もなく、結婚願望はあるが諸事情によりおそらく不可能であり、生活費と読書やその他の趣味にかかるお金さえあれば、とくに問題ないという感覚で生きており、社会人的な上昇志向というのは持ち合わせていない。それで音楽活動など趣味に関する活動はしていたが、それも終えた後、派遣社員として働いるなかでとくに生活に困ったことはないものの、何かしら人生が空虚に感じることがよくあった。

青春期は文学と音楽と哲学に熱狂的に没頭していた。学校さえ行かず。文盲に近いくらい文字で書かれた文章を読むのが苦手だったのが、詩や小説や評論文などに熱中しているうちに、そしてその感想文や覚書などを書いているうちに、リテラシーは養われ、言語の運用は比較的出来るほうになった。もちろんそれだけでなく、文学や芸術が有している多種多様な意匠、人の感性と知性を豊かにする思想などを感得することができ、15歳から20歳の間に人格までも全く変わってしまったものだ。歩くカメラ程度の視聴覚に漠然とした意識だけがあった少年が、その5年間でやっと人間になれたといったぐらい、人文は自分にとって最も人格形成に寄与したものだった。

天変地異であり天使たちの降臨でさえあった。ランボー、ニーチェ、ベルクソン、小林秀雄、ショーペンハウアー、ゲーテ、ヘッセ、ボードレール、ヘミングウェイ、ポー、シェイクスピア、ジョン・レノン、尾崎豊、カート・コバーン、挙げればきりがないほどの偶像が若い時の私の心には生き生きと現前しており、人間的なものや思想的なものが全霊で呼吸していた。

20代後半から30代前半あたりはそれなりに働くことで忙殺され、週末はとりあえず誰かと飲み、読む小説といえば大衆娯楽小説で、うまくいかない恋愛を何度かしつつも、やはり生きている実感が薄い空虚な毎日を送っていた。ここでは言えないが大きな災難・困難(以下、略称でTCとする)に継続的に直面しており、それで苦労してうちのめされていたことも、虚無を感じる要因となっていた。虚無感は増大し、ひどいニヒリズムにまで陥った。

30も半ばに近づいたとき、ワンルームで彼女と同棲していたのだが喧嘩ばかりになっており、恋愛は自分には一生向いてないと悟り、ただ仕事と大衆小説だけが残されているような虚無の中、発心した。大学へ行こう。そして哲学か文学を学び、研究し、それをライフワークにしたい。私にとっての人生における至上命題といってもいいほど大事なことは、ヒューマニズムであり、アカデミズムであり、それらにひたすら従事し学び研究すること、できることならそれらにおいて価値を創出することだと思われた。

せっかく大学に行くのであれば、そしてなけなしの貯金を投入するのであれば、一流の名門大学に行きたい。できることなら東大に行きたいと思った。やはり東大であれば、日本で1番優秀な学生が居て、1~2を争う水準の教育があり、もちろん教授のレベルも高いので、よりよい学習体験をすることができ、より意義のある学業を遂行することができるように思われた。

まだその時点では一緒に住んでいた彼女は、その少し前に同じジャンルでのある活動を少しだけ共にしたというか、活動というほどでないが私のそのジャンルにおいての仕事、主に文章によるものなのだが、それをよく読んでくれていて、高く評価していたどころか、私のことを天才だと思っていた。だから好きになったらしい。実際つきあってみると、人のことを物事の集合としか思っていないサイコパスだと思ったらしいが。とにかく喧嘩ばかりしつつ部屋の端と端で気まずく生息してる状態で、私が大学受験用の学参や英語教材などを読んでいると、「ジャンなら東大いくんでしょう、間違いなく受かるだろうけど勉強することばっかりになってさらに冷たく、私に無関心になるのでしょう」と言われた。実際に、学参を開いた数時間後には、もうその人には関心を失っていた。(結果、1か月半後には別れていた)

学参の内容が久々に味わった教育課程で刺激的だったのもあるが、これを攻略していけば、大学の門が開いて好きなだけ哲学や文学、文化や文明などを勉強できる…そう思いを馳せると、安定した生活や経済的豊かさや恋愛・結婚や、音楽の趣味までも、なにもかも捨てて、世捨て人のように勉強し続けたいと思った。

実際、約15年振りに高校課程を勉強した(さらに高校の時まともに学校の勉強したのは半年だった)のと、TCのせいで色々とフラフラできついなか、仕事をしながらの受験勉強は捗らず、成績は奮わず、東大模試を受けた結果の成績を見て、東大文三は断念したが、何も対策をしていなかった京大模試でB判定が出たので、志望校を京都大学文学部に変更した。

そのときは特に京大に強い思い入れはなかったのだが…、京大入試のとくに英語の内容などを読んでるうちに、こういう出題形式でこういう内容の問題を出す大学か、など思いつつ、京大入学後どんな学業が待っているのか等を夢想しているうちに、だんだんと京大が好きになった。もはや恋に近いぐらい、あの時計台の棟の写真を見るとドキドキするぐらいいつのまにか京大が好きになっていた。一流の名門大学で好きなことを、ライフワークにしてもいいと思っていることを学べることは、非常に魅力的に思えた。

必ず合格したい。1年目では無理でも、2年目には必ず合格し、あの門をくぐり楠の下であの時計台を眺めたい。居たい場所において、青春期に私の人格を一変させた思想的体験に関する事でありこれから人生をかけて取り組んでいきたいことを、真剣に学べるというのは、仕事と遊興を行うだけの人生と比べ、希望と夢に満ち溢れている。まずは合格からその希望を実現させたい。

私はここでは詳しく言えず略で言ってるTCによって非常に苦しい思いをしていて、生きる意味をほとんど剥奪されている。哲学や文学は意味や価値を追求していく学問でもあり、それによってニヒリズムは克服できるかもしれない。ニーチェが積極的ニヒリズム云々で言っていたように、意味や価値を創造するのはニヒリズムにおいてこそ、力が発揮されて、新しい価値の創出につながるかもしれない。無意味の彼方から意味と価値を携えて、むしろ少しでも論文等で学術界に何か価値的寄与をできたら至上の喜びである。

文学は主に想像力のうちにではあるものの、個々の出来事を取り扱い、その出来事やそれらにおける人間の振る舞いや言葉や感情に対する豊かな解釈を述べたり、その出来事の連続としてのストーリーとして一個の人生を描いたり、人と人が織りなす大きな話を描いたりする。たとえば文学上の人間に対する解釈についていえば、それらを感得し自分の精神のうちに抱えることができたなら、想像上ではなく読者の実際の生活においても、その人を取り巻く身近な出来事や人の振る舞いにも豊かな解釈を施すことができ、ひとつひとつの事象に意味を与え価値を見出していくことができるだろう。

哲学についていえば、哲学は人類普遍の物事を取り扱うというだけでなく、考え方自体がジェネラルシンキングの連続で、個々の出来事を取り扱うというよりそれらが抽象された結果としての一般観念の群れやそれらの関係性を取り扱う分野である。個々の現象を一般性や普遍性の局面で考えることができれば、その個々の現象は周辺のあるいは類似の色々な物事と関係を持つし、それらに関する様々な感覚や感情に結び付けることも可能にするだろうと思われる。現実世界上で哲学が人の少なくとも精神にとって役に立つ一例としては、ひとつひとつの出来事に、より広い意味関連からの解釈を与えることで、その出来事が世界や人間の全体性においてどのような意味を持っているか、普段の思考では遠いと思われる他の事象とどのような関係を持っているかなど、幅広い思考を可能にしていくことで、人生全体の展望の相で物事の意味を考えていけるようになる。

色々考えた結果、今の直近の目標としてはもちろん京大文学部入学であるが、具体的に専修したいのは英米文学。そして博士課程も履修したいという思いが日に日につよくなってきている。金銭的に間に合わない可能性が高いので、給与が出て学費無償のアメリカの大学院に行きたい。アメリカの大学院に行けたら、英米哲学またはフランス哲学を専修し、博士号を取りたい。夢ではあるが、哲学博士として評論家になれたら…。受験勉強をすればそれらの目標や夢が現実に近づいていくとなると、モチベーションは上がる。

正直、TCがきつすぎて、脳の働きもそれのせいで低下しており、生活も体調も不安定なので、秋に突入する今の段階で京大文学部A判定でも、2年目での合格はこれから相当頑張らない限りは難しいものと思われる。それでも今現在、意味の喪失の渦中にある中で、唯一の希望といってもいい人文系学問を、高い水準の環境で学べる京大文学部には必ず入る。意志を貫き、困難の中でも意味を創り、人生を生きてよかったものにしたい。

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