見出し画像

春だったね

昔、肉体労働のバイトをしていた時の昼食は、白飯を弁当箱に詰めたやつだった

梅干しなんて洒落たものは無い!ただの白米だ

休憩室のポットから熱い湯を注ぐと立派な湯漬けになる

俺はためらいもなく「どうだ、湯漬けだ!俺は素材の味を楽しんでるんだ!ガハハハハ〜」と都会での極貧一人暮らしをそれなりに楽しんでいた

そんなある日、隣で持参した弁当を食べるインテリ風の作業員が「何!おかず無いの?しょーがないな〜」と焼き鮭を半分、俺の湯漬けに浮かべてくれた

も一度言うが俺は、そんな生活を楽しんでいたんだ!決して引け目など感じてはいなかった

しかし湯漬けと言うのは正直、味が無い!もともと食べ物には無頓着だった俺は、それに満足して慣れきっていた

そこに焼き鮭の塩辛さが全身を駆け巡ったんだ!

う、う、美味い〜!

何故か泣きそーになって慌てて腹に流し込んだ

礼もそこそこに休憩室を飛び出した俺は心底、嬉しくってしょうがなかった

次の日も同じ様に、今度は無言で湯漬けに鮭を浮かべてくれた

都会の小さな工事現場なんて2、3日で作業員は変わって行く…みんな本業が有って、何かの事情を抱えバイトをやっている人がほとんどだ

俺の作業行程は終わって、その現場最後の日。ひとこと礼を言いたい

多分二度と会う事は無いだろうから…

でも恥ずかしくってしょうがねぇ。現場ではおちゃらけ担当の俺だが、あの人の前では何故だか泣きそうになっちまう!

でも一言、礼を言わないと多分一生後悔する気がしたんだ

俺は靴や作業服をくしゃくしゃの紙袋に入れ、ヘルメットを脇に抱え休憩室を出たが、忘れ物をした風を装い、戻ってあの人の前に立った

「鮭、くれてありがとう御座いました!」と大真面目なトーンで言うと

それ迄ふざけたバカ話ばかりしていた俺が急に鮭の礼を言ったもんだから、皆んなビックリしていた

でも良いさ、この現場にはもう顔を出す事は無い

緊張したのとホッとしたのとが、ぐるぐるして俺は駅までの坂道を号泣しながら全力で走った

風を切って花びらを舞い上げて走ったんだ

今年も花びらが風に揺れているのは、きっと何処かで若い奴らが全力で走ってるんだろう

全力ってのは「限りなく早く」って言う意味じゃねえ!「力の限り」って言う意味なんだ!

遅かったら遅いなりに、倒れたら這いつくばっても、力を尽くせば良い!

また春が来る…誰だって何時だって走れるんだぜ、俺だって!へ、へ…

そうさ、あん時も確かに春だった

あぁ、春だったんだね…

この記事が参加している募集

私の作品紹介

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?