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一歩踏み出さなければ何も始まらない|山川聖立選手

病気が発覚して野球を諦めたーー当時の後悔が今の原動力

今回は、日本ブラインドサッカー協会(以下、JBFA)で働いている山川 聖立(やまがわ せいりゅう/弱視/Avanzareつくば所属)選手を紹介します。

高校生のときに眼の病気が発覚し視覚に障がい者に。それまで一般校で過ごし、野球に打ち込んでいた山川選手にとっては、受け入れるのが難しい出来事でした。その後、彼が進路として選んだのは、視覚障がい者と聴覚障がい者のための大学「筑波技術大学」でした。

山川選手の学生時代とブラインドサッカー選手としてのキャリアを振り返ると、彼がいつも大切にしている「失敗を恐れずにチャレンジすること」の根源が見えてきました!

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病気がわかって野球を諦めた。その後選んだ進路は?

ーー山川選手の生い立ちを教えてください

1996年5月4日に長崎県壱岐市で生まれました。小学校3年生の頃から視力は低かったのですが、眼鏡をかければ黒板の文字も見えましたし、生活上は特に問題ありませんでした。

小学生から野球を始めて、習い事は空手や書道をしていました。中学校でもそれらを続けながら普通に生活していました。そして、地元の一般高校に進学しました。

ーー自分に視覚障がいがあるという自覚はなかったということですか?

小さい頃から、柱にぶつかったり、人とぶつかったりすることは多かったのですが、それは自分がおっちょこちょいで、ボーッとしているだけだと思っていました。

中学生になった頃から「自分はなんだか他の人とちがうんじゃないか?」と思うこともありましたが、それ以上は気にすることなく生活していました。地元の高校に進学しても硬式野球部に入部して、野球を続けていました。

ーー視覚に障がいがあるということには、いつ頃気づいたのですか?

高校生になると、自分が明らかに周りとちがうことに気づき始めました。やっぱり自分はおかしいんじゃないか。そう思って1年生のときに眼科に行くと「網膜色素変性症」という診断を受けました。簡単に言うと、暗いところで視力が悪くなったり、視野が狭くなったりする進行性の病気です。

ーー診断を受けたときはどんな気持ちでしたか?

普通であればとても落ち込むのだと思いますが、私の場合は「やっぱりそうだったのか」という感じでした。今までは自分がおっちょこちょいで、ボーっとしているからうまくいかないのだと思っていたことも、視覚の障がいが原因だったのかと納得しました。

ただ、大好きだった野球を諦めなくてはいけないことはとてもショックでした。

ちなみに両親は、私が小学生の頃には病気のことを伝えられていたみたいです。

ーー野球部を辞めたんですね。

野球部を辞めて、吹奏楽部に入りました。でも、正直にいうと吹奏楽へのモチベーションはあまり高くありませんでした。

野球部に戻りたいな、と思うときもありました。プレーはできなくても、マネージャーとして野球部に残ってチームを支えることはできたと思います。野球を辞めてからの高校生活の2年間は、ずっと後悔しながら過ごしていました。

ーー網膜色素変性症の診断を受けてから、学校生活に変化はありましたか?

それからの学校生活は、勉強と部活の単調な繰り返しでした。体育の授業は休みがちになって、体育祭も見学していました。ストレスをどこにぶつければいいのかわからず、素行が悪い生徒だったと思います。

でも、病気がわかって自分が”視覚障がい者”になっても、周りの友だちは友だちのままでいてくれました。それまでと変わらず一緒に勉強したり、一緒に遊んだり。高校時代の私は、本当に周りに恵まれていたと思います。

ーー進路については?

そもそも視覚障がい者ができる仕事を知らなかったのですが、目が見えなくてもできる仕事ということで眼科の先生から鍼灸師を薦められました。スポーツをしていたこともあったので、トレーナーとしての道も開けるのかなと思って、鍼灸師を目指すようになりました。

そして、鍼灸の勉強ができる大学や専門学校を探したのですが、一つだけ自分の中で条件がありました。それは軟式野球部があることです。当時、その条件は親には言っていませんでしたが、いろいろな学校のパンフレットを見て、軟式野球部がない学校は省いていました。そうして志望校を3校ぐらいに絞って、面接の練習などもしていました。

そんななか、野球部の副顧問だった先生と担任の先生が、筑波技術大学という学校を見つけてくれました。でも、そのとき私は”筑波大学”は聞いたことがあるけども”筑波技術大学”は聞いたことがないな・・・・・・、と思いました。調べてみると、野球部もないし。視覚障がい者と聴覚障がい者のみが通える国立大学か・・・・・・。そんなふうに思っていました。

ーーあまり良いイメージを持っていなかったんですね?

視覚障がい者と聴覚障がい者だけが通えると聞くと、盲学校や聾学校が思い浮かびました。それまでずっと一般の学校に通っていたので、いきなり障がい者だけの学校に通うことになるなんて、正直嫌でした。

今振り返ると、当時の私は障がいに対しての偏見が強かったなと思います。それまで、自身に視覚障がいがあっても、障がい者と接したことがありませんでした。

先生たちは、病気が進行して目が見えなくなる私の将来のことを考えて、こういった学校を探してくれたのだろう。同じ障がいを持った人たちと一緒に勉強していくなかで、新しく気づくこともあるのかもしれないと思い、筑波技術大学への進学を目指すことになりました。

ブラインドサッカーとの出会いと現在の目標

ーーその後無事筑波技術大学に合格しましたね。大学生活はどうでしたか?

高校までは地元の九州で過ごし、大学からは茨城に引っ越して初の一人暮らしだったので、とても浮かれていました(笑)「鍼灸師になりたい」というモチベーションは薄く、「野球がしたい!」という一心でした。でも大学には野球部がない。とりあえず身体を動かしたかったので、サークル見学に行きました。

筑波技術大学のサークルなので、運動系のサークルはゴールボールなどのパラスポーツがメインです。当時の私は、障がい者スポーツのことを何も知らず、マイナスの印象さえ持っていました。実際、いくつかサークルを見てみましたが、どのサークルにも入る気にはなれないでいました。そんななかクラスメイトから「ブラインドサッカーサークルを見に行こう!」と誘われました。

「サークルはもういいよー・・・・・・」と思いながら、渋々ブラインドサッカーサークルに見学に行きました。

ーーついにブラインドサッカーと出会いましたね!

普通にボールを蹴って、止めて、ドリブルして、シュートを打っている。しかもアイマスクをして走っている。そこで見た光景に度肝を抜かれました。”障がい者スポーツ”は動きが遅くてつまらないというイメージがあったので、普通に”サッカー”をしている選手たちに衝撃を受けました。

そのチームにはブラインドサッカー日本代表の選手もいて驚きました。

自分も体験してみると、本当に難しくて全く上手くできませんでした。それでもチームの人から「すごく上手い!」や「俺が初めてしたときはこんなにできなかった」とたくさん褒められてとてもうれしかったです。今となっては、上手くのせられてたんだなと思いますが(笑)。

気分が良くなった私は、その場でブラインドサッカーチーム・Avanzareつくばへの加入を決めました。

ーーそれから強豪・Avanzareつくばでブラインドサッカー選手としてのキャリアをスタートさせます。

ブラインドサッカーをやるからにはしっかりやりたいと思っていました。同じチームには、日本代表の川村怜選手や佐々木ロベルト泉選手がいて、自分も日の丸を背負う選手になりたいという目標を持つことができました。

ブラインドサッカーを始めた年の日本選手権で優勝し、ブラサカを始めて7ヶ月目の公式戦では初ゴールを決めることができました。

ーーすごい成長スピードですね。

当初はひたすらブラインドサッカーに慣れること、そして強いシュートを打つことを心がけて練習していました。レベルの高いチームメイトと一緒に練習することによって、強制的に技術が磨かれたと思います。

あとは学校の勉強が嫌いだったので、そのストレス発散です(笑)

ーーその後ブラインドサッカーを初めて8ヶ月足らずで、日本代表の強化指定選手に選出されています。

日の丸を背負って戦うのがずっと夢でした。海外遠征にも何度か帯同して、貴重な経験ができました。

「IBSA ブラインドサッカーワールドグランプリ 2018」と併催された、国際強化試合「ディベロプメントゲームズ」で日本のナショナルトレセンメンバーとして、インド代表、ベルギー代表と戦うことができました。

初めて日の丸を背負ってプレーする大会で、たくさんの人に応援してもらえて、とても気合が入っていました。これまで支えてくれた人に感謝の気持ちを示すためにも、精一杯プレーしようと思いました。

その試合では、自分が満足できるプレーはできませんでしたが、とても良い経験でした。

ーー現在、ブラインドサッカーに関してはいかがですか?

2019年からはナショナルトレセンのメンバーとして、レベルアップを目指しています。今のルールでは、国際大会には全盲の選手しか出場できず、弱視の私は出場資格がありません。どれだけレベルアップしても、視力の関係で日本代表にはなれないという状況でモチベーションを保つことは難しいです。

もしも自分の病気が進行して全盲になったら、国際大会にも出場できる可能性も出てきます。ですが、全盲になることに対して、素直に受け止めることができるか不安でもあります。その複雑な気持ちはずっと消えません。

それでも、ブラインドサッカーでやりたいことが新たにできました。それは地元の長崎でブラインドサッカーチームを作ることです。最近は地元の壱岐でブラインドサッカー体験会を行ったり、島原の高校でイベントを開催したり、少しずつ長崎でブラインドサッカーの普及活動をができています。

自分が生まれ育った長崎にブラインドサッカーという形で恩返ししたいです。

一歩踏み出さなければ何も始まらない。
野球に再挑戦した2021年

ーー最近は草野球チームで活動してますよね?

はい。やっぱり野球が好きなのはずっと変わりません。大学生のときは、”障がい者”として飛び込むことが怖くて、野球チームに入る勇気がありませんでした。でも、人生一度きり。自分のやりたいことはやろうと思って、昨年から近くの草野球チームに入って、また野球をプレーし始めることが出来ました。

ーー草野球チームに入ったとき、チームのメンバーの反応はどうでしたか?

視覚に障がいがあることは、事前に連絡して参加しました。初めて私が参加したのはリーグ戦の日だったので、代打で1打席だけ出場させてもらいました。次に参加した日はチーム練習だったので、そこで自分がどの程度プレーをできるのか判断してもらいました。

小中学生時代の野球の経験を生かして、すんなりプレーに混ざることができました。チームの人からは「本当に視覚に障がいがあるの?」と、とても驚かれました。

写真・左から3番目、チームメイトと会話する山川選手。

ーー見えにくいなかで、晴眼者に混じって普通の野球をするのはとても難しいと思います。どんな工夫をしているのですか?

バッティングでは、自分が打った後の打球が見えないので、どこにボールがあるかなどを声で教えてもらって走っています。

守備では、サードを守っているのですが、ボールと送球先を同時に見ることができないので、送球先にいるチームメイトに声を出してもらって、その声を聞いて送球しています。

このように、チームメイトに声かけをしてもらいながら、一緒に野球をしています。

ーーそのような声かけは、どんなきっかけでされるようになったんですか?

チーム全体には「自分の見え方はこんな感じで、こういうことをしてくれると助かる」という説明はしなかったのですが、チームには特別支援学級の元職員や、障がい者就労支援の職員がいて、自分の目の見え方を伝えると、彼らが自然と声かけをしてくれるようになりました。それが次第にチーム全体に浸透していって、今ではみんなが声かけをしてくれています。

障がいに関して理解があって、みんなブラインドサッカーも応援してくれます。本当に良いチームです!

ーーもしかしたらこの記事が、高校時代や大学時代の山川選手と似た境遇にある人に届くかもしれません。読者の皆さんに伝えたいことはありますか?

「一歩踏み出さなければ何も始まらない」ということです。一歩踏み出して、ちょっとちがうなと思ったら、一歩下がってやり直せばいいんです。失敗から学ぶことはたくさんあります。しかし、挑戦していかないと何も始まりません。

私は、勇気を出して一歩踏み出したからこそ、ブラインドサッカーでいろいろな経験ができたし、一度辞めた野球をまた始めることができました。

自分がやりたいことを諦めないで挑戦し続けてほしいです。

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編集後記

最後までお読みいただき、ありがとうございます。ブラサカマガジン担当の貴戸です。

以前インタビューしたバンドやゲームを楽しむ丹羽選手も、今回インタビューした野球をプレーする山川選手も、視覚に障がいがありながらも周りの人と工夫しながら、晴眼者と同じ趣味を楽しんでいます。そんな彼らと関わっていると「視覚障がい者=できない」といった固定観念が取り払われます。

障がいがあっても”できること”を知る。反対に、障がいが理由で”できないこと”も知る。そして、どんな工夫をすれば”できる”ようになるかを一緒に考える。そんな経験が、誰もが混ざり合う社会をつくるのではいかと思います。

山川選手とは、個人向けブラインドサッカー体験プログラム・OFF T!MEでお話しすることができます。ぜひOFF T!MEに参加して、山川選手に会いに来てください!

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