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貧乏大学院生が100円ショップの名刺入れで社会人を装ってきた話【後編】

こんにちは。私はJBA札幌拠点の学生ライター二号。
前回の記事「貧乏大学院生が100円ショップの名刺入れで社会人を装ってきた話(前編)」では、札幌拠点でライターもとい「コンテンツビジネスデザイナー」として働く私がコンテンツをデザインすることの難しさを感じた話をした。前編を読んでいない方も後編だけで楽しめるように書くつもりではあるが、お暇な方は前編も目を通して頂ければこの上ない喜びである。

さて、タイトルにある「貧乏大学院生」だが、世の中に貧乏ではない院生っているのだろうか。少なくとも私はまだ出会っていない。そして歴史的に見ても院生は大抵貧乏だ。18世紀ごろに生きたイマヌエル・カントさんという哲学者は学生時代あまりに貧乏で上着が買えず、友人たちがカンパして買おうとするほど貧相な服を着ていたらしい。

どんなに貧しくても昔の偉人たちと同じだと思うと力が湧いてきて、食事を摂れずとも学問に邁進するぞ、という気持ちになる。
なんてことはまるでなく、「この本売り払って焼き肉食べたい」が口癖だ。


社会人3年目?

死闘の末にプロットと質問項目リストをつくりあげ、残すところは現地での取材と執筆だけ。準備万端、恐れるものは何もない!と調子に乗っていた私。ところがどっこい、取材当日から遡ること1週間前、ディレクターさんとのzoom事前打ち合わせでYさんから思わぬ発言があった。

「名刺持ってないよね?当日までに用意するから!」
え?名刺交換するの?私が?

考えてみれば当たり前のことだが、プロットと取材と執筆のことしか頭になかったので「お客様と会話する」ことが急に不安になった。学生6年目、社会人としての言葉使いや振る舞い、マナーなどなどは未履修である。

JBAでは学生もプロとして責任を持って記事を書いており、「入社3ヶ月で社会人1年分の成長」ともいわれる。そんなJBAでインターン生として9ヶ月働いている私は、単純計算すれば入社3年目並みの成長を遂げているはずだ。

しかしそれは執筆の話。私にとってお客様の場に赴いての取材は今回が初めてであり、嫌が応にも緊張する。しかもお客様は取材にライターも同席するということで、楽しみにしてくださっているという。期待されるとプレッシャーを感じるのが人間というもの。実際に会ってみて「思ってたのと違う」と言われたらどうしよう、と心配になる。

「大根役者すぎてサプライズに最も向かない人種」と友達から酷評されている自分が、無事に「入社3年目」の振る舞いができるのか、あまりにも不安が大きかった。

名刺交換の作法

現地の最寄り駅で合流したディレクターAさんから、人生初の名刺を受け取る。名刺入れはもちろん持っていなかったので、この日のために近所の100円ショップで一番高級そうに見える名刺入れを用意した。

さあ出発、とタクシーに乗り込んだところで私は致命的な失敗に気がつく。習っておいた名刺交換のやり方、忘れた。
右手から受け取るんだっけ、これは賞状を受け取るときか?受け取ったら何て言うんだっけ?何かタブーがなかったっけ?なぜ名刺を交換するだけでこんなにややこしい決まり事がたくさんあるんだろう、と思っていたら
「タクシーで15分くらい」と言われていたのに5分も経たずに取材現場に到着してしまった。どうしよう。

お客様がいる場で名刺交換のやり方を確認すれば、「名刺交換もできない社会不適合ライターに、うちの大事な社員の記事を書かせられるか!」と思われかねない。仕方が無いので周囲の本物の社会人をチラ見しながら、ひたすらニコニコして何とか名刺交換を終えたのだった。

こうして取材前にドキドキの名刺交換を体験して気がついたことがある。
それは見た目や肩書き、立ち居振る舞いで信頼を損ねるのはライターにとってとても怖ろしいものだということ。どんなに良い記事が書けても、「でもこれ、あいつが書いたんだよな」と思われれば感じ方が変わってしまうだろう。そして文章というのは、読者の感じ方が全てといっても過言ではない。良いものを良いもののまま受け取ってもらう、そのために必要な土台が信頼関係であり、「社会人としてのマナー」というやつなのだ。

一人の職人

今回取材対象になったのは、関東の某所にある倉庫でお客様から預けられた荷物の管理を担当しているFさん。16歳で物流業界の仕事を始めたFさんは、経験の豊富さと責任感の強さから、まだ20代の若手でありながら様々な仕事を任されている。

できる限りの準備はしてきた。あとは答えてもらうだけ、と思ったが、取材が始まると二度目の「ところがどっこい」が起こる。

私は「若手」ということで、ギラギラしたエネルギッシュな人をイメージし、質問もプロットもそんな回答が来ることを想定して作成していた。ところが実際にFさんの話を聞いてみると「一つひとつの仕事に真摯に向き合う職人」といった表現がしっくりくる方で、随分とイメージが異なる。

そして実際に質問してみてもあまりはっきりした回答を得られない。Fさんにとって任された仕事に真剣に取り組むのは当たり前のことで、インタビューで改めて答えるほどの内容でもないのだ。さらに仕事のノウハウについて聞いてみても、「頭の中で考えて、実際にやるとできる」とのこと。

倉庫の荷物管理は、倉庫内のがらんどうの空間に自分で棚を設置し、荷物の置き方を考えるのだという。色や形が違うブロックをひたすら積み上げていく、ロシア民謡がテーマソングになっているあのゲームを想像してみてほしい。ゲームでは二次元の平面で組んでいくだけだが、倉庫の仕事では縦横奥行まで計算し、三次元空間で荷物を積まなくてはいけない。想像しただけで思考回路がショート寸前だ。

それを何となく、感覚でうまいことやっているという。「この人天才じゃないか!」と思った。すべての仕事に真剣に向き合う姿勢も、卓越した空間把握能力も、もっと誇っていいものだ。それなのにFさんは自分のすごさに気づいていない。

それなら私が書いてやらあ、とひそかに決意を固め、取材と撮影で4時間近くお邪魔した物流倉庫を後にしたのだった。

当たり前を特別に

さて、無事に(?)取材を終え、取材の録音とメモをもとに、新たなプロットを練ることから始めた。

Fさんの入社から現在までを時系列に沿って書くという大まかな構成は変更せず、仕事に対する姿勢がずっと一貫している様子を書く。Fさんを知らない読者がFさんの人柄や魅力を感じ取れるように、この記事を見たFさんが自分のことを誇りに思えるように、ということを意識した。

こうしてディレクターAさんやお客様と何度か原稿をやりとりし、修正や提案をもらいながら推敲を重ね、最終的に3回目の修正で完成原稿が仕上がったのだった。

今回はプロット提出から取材、原稿執筆まで「ところがどっこい」の連続で、私は終始あたふたしていた。それでもとても貴重な経験をさせてもらったと思う。中でも印象に残ったのは、Fさんの上司と同僚の皆様だ。

特に同僚の皆様は、取材と撮影の間、ちょっとしたイベントのようにはしゃいでおられた。Fさんのポージングにコメントを出し、かっこいい写真が撮れたといっては笑い、3秒に一回は自分の前髪も気にしながら、何度も「記事になるの楽しみだなあ~!」と口にされていた。同僚の方の写真はちょこっと載るだけなのに。

JBAはコンテンツを作るのが仕事だ。長く働いていると、記事を作るということは良くも悪くもルーチンワークになってしまう。しかし取材される人やその周りの人にとっては、「記事になる」ことは特別なことなのだ。

一人ひとりが営んでいる当たり前の生活を特別なものにする。これが「プロのライター」として私ができる仕事なのかもしれない。社会人としては半人前だが、ライターとしてはこれからもよい記事を書き続けたいと思う。そしてこの記事を読んでライターの仕事に興味を持ってくださった方は、ぜひ応募を検討していただければ幸いである。

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