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【ホラー小説】eaters 第三話

あらすじと各話は、こちらから↓

 瀬奈の瞳は、もはやどこを見ているのかも分からないほど、黒く染まっていた。
 
「……瀬奈」
 
 とっさに買い物カゴを床に置き、小百合は瀬奈の顔を伏せさせた。
 瀬奈の肩と頭を押さえながら、急いで外に出る。
 
 車の中は、うだるような暑さだった。
 すぐにエンジンを掛けて、クーラーを付ける。
 助手席に目をやると、いつの間にか瀬奈の瞳は元に戻っていた。
 
「瀬奈、大丈夫?」
「……うん」
 
「本当に? 何ともない?」
「うん」
「あそこで……何してたの?」
 
 小百合の胸の鼓動は、今も鳴りやまない。
 
「なんか、美味しそうだなぁって」
「……そう。それじゃお母さん、ちょっと買い物してくるから、瀬奈はここで待ってて」
「分かった」
 
 小百合は急いでスーパーに戻った。
 月曜の昼間というのもあり、客の数はそこまで多くない。
 瀬奈の顔を誰にも見られていなかったのが、せめてもの救いだった。
 
 小百合は、手早く買い物を済ませて車に戻ってきた。
 買い物袋を後部座席に置いて運転席に乗り込んだあと、肩で息をつく。
 暑い外とは違い、涼しい車内にホッとしただけではない。
 
「帰ったら、ご飯を作るから」
「……うん」
 
 運転中も瀬奈は、しきりに後ろを気にしている。
 小百合は気付きながら、ずっと黙っていた。
 
 十分ほど車を走らせて、ようやく我が家が見えてきた。
 
 小百合と夫の良一りょういちは結婚を機に、街の中心部にマンションを購入していた。
 瀬奈の病気が分かってからは、購入したばかりのマンションを売り払い、この町外れに一軒家の平屋を建てた。
 
 少しでも空気が綺麗な場所に、住ませてやりたかった。
 平屋にしたのも、瀬奈の体調が悪くなった時に、二階からかついで下りるわけにもいかないからだ。
 
 病院は遠く、良一の職場も遠くなった。
 不便でもしかたがない。
 すべては瀬奈のためだ。
 
「手洗いとうがいは今まで通り、ちゃんとやってね」
 
 家に入るなり、小百合が言った。
 今までなら、このあとシャワーを浴びて着替えをさせていた。
 瀬奈だけではない。
 小百合も良一も同じだ。
 これは沼澤家の日課だった。
 
 家族全員、一度外に出た時は手洗い、うがい、シャワーと着替えが必要になる。
 だが、これからはそこまでする必要もない。
 手洗いと、うがいだけで十分だ。
 
「もう、手も洗わなくていいんじゃないの?」
「ほかの人だって、家に帰ったらそれくらいするでしょ」
「……分かった」
 
 瀬奈が洗面所を使ったあと、小百合も除菌ソープで手を洗い、うがいを済ませる。
 
 キッチンに戻り、買い物袋の中身を冷蔵庫にしまっていた小百合は手を止めた。
 その手にあるのは、パック詰めされた魚。
 小百合の頭に、スーパーでの出来事がよぎった。
 
 鮫島からの説明も思い出したが、そこにはスーパーで売られている魚を見ても、そうなるとは聞いていない。
 瞳と歯に変化が見られるのは、あくまで生魚や生肉を食べる時だけ。
 ただ見ただけでは……そうならないはず。
 小百合は、そう思っていた。
 
 Tシャツに着替えた瀬奈が、リビングにやって来た。
 家の中でだけ許される半袖だ。
 
「お昼は、何を作るの?」
 
 瀬奈が水槽を見つめながら言った。
 
 
 一年前、小百合は瀬奈にペットをせがまれた。
 学校に行っても友達は一人もいなく、それ以外のほとんどを家と病院で過ごしてきた瀬奈。
 夫が仕事に行っている間も、家で小百合と二人きり。
 家族以外に相手になってくれる存在が欲しかったのだろう。
 
 もちろん、小百合は猛反対した。
 犬や猫、鳥にハムスターなど、瀬奈には絶対に近付けられない。
 
 それでも瀬奈は諦めず「金魚でもいいから、お願い!」と必死に訴えてきた。
 金魚なら犬や猫のように直接、触れることもない。
 水槽の水にさえ触れなければ、問題ないかもしれない。
 小百合は「金魚なら」と飼うのを許した。
 
 
 今も水槽には何匹もの金魚がいる。
 瀬奈が金魚のエサをパラパラと水槽にまいた。
 それに食い付く金魚達をジッと見ている。
 
 金魚を見つめる瀬奈に、小百合は不安に襲われた。
 だが、瀬奈の瞳に変化はない。
 スーパーで瞳が黒くなった時、瀬奈は氷の上に並べられた魚を見ていた。
 瀬奈が今も見ている金魚と、いったい何が違うというのか?
 
 魚売り場の前で、瀬奈の視線の先に目をやった時、魚のエラ辺りに少しの血が付いていたのを思い出した。
 生魚と……血。
 だとすると、生きている魚では瀬奈に変化は現れない?
 
「お母さん?」
「……あ、あぁ、ごめんね。お昼は鮭のムニエルだよ」
 
 小百合が手にしていたのは、鮭の切り身だった。
 
「ムニエルより、生がいい」
「……生、って」
 
 瀬奈は再び水槽に視線を戻している。
 生魚を好むようになるのは、新薬の副作用だ。
 
「それじゃ、お母さんだけムニエルにするから、少し待っててね」
「うん」
 
 瀬奈はソファーに座って、テレビを見始めた。
 
 
「ご飯、できたよ」
 
 昼食は鮭のムニエルと、スープにサラダ。
 瀬奈には、ムニエルの代わりに生の切り身が一切れ。
 
「いただきます」
 
 小百合が言うと、瀬奈は何も言わずに食べ始めた。
 黒く染まった瞳で牙をむき出したまま、犬食いの格好で魚が乗せられた皿に顔をうずめている。
 
 向かいの席を見つめたまま、小百合の顔は青ざめていた。
 こんな姿を夫には見せられない。
 自分でも、見るにえない娘の姿だ。
 目の前で食事を続ける瀬奈に、食欲も失せてくる。
 
「お母さん、足りない」
「足りない……って、ご飯とか残ってるでしょ?」
 
 瀬奈の前には、まだ手付かずのご飯にスープ、サラダが残っている。
 
「食べたくない」
 
 そう言った瀬奈の瞳が、元に戻っていく。
 これまでは病気というのもあり、甘やかしてきたところもあったが、瀬奈は食べ物の好き嫌いはないほうだった。
 
「……そう。ちょっと待ってて」
 
 小百合は席を立って冷蔵庫に向かった。
 鮭の切り身がまだ二切れ残っている。
 それを新しい皿に乗せて、空になった瀬奈の皿と交換した。
 
 瀬奈の瞳は再び黒く染まり、あっという間に生の切り身を平らげた。
 
「お母さん、もう食べないの?」
「なんだか……食欲がなくて」
「じゃ、そのムニエル、もらってもいい?」
 
 瞳の色は元に戻っている。
 小百合はムニエルの乗った皿を差し出した。
 火の通った鮭を食べている時は、瞳の色に変化は見られなかった。
 
「瀬奈、お母さんと約束してくれる?」
 
 小百合は瀬奈に、いくつかの約束事をさせた。

◆第四話は、こちらから↓


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