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【ホラー小説】eaters 第6話

◆あらすじと各話は、こちらから

 翌日。
 小百合は瀬奈とショッピングモールにやって来た。
 
 駐車場から直結になっている店内の二階に入った。
 長い通路を挟んだ両側には、いくつもの店が並んでいる。
 通路の中央は吹き抜けになっていて、瀬奈は目を輝かせながら手すり越しに一階の様子を覗き込んだ。
 
「瀬奈、欲しい服を選んで」
「何でもいいの?」
 
 小百合がうなずくと、瀬奈は嬉しそうに服を選びだした。
 明るい色の半袖、スカートを手にとっては鏡の前で合わせみる。
 
 小百合は、笑顔で服を選ぶ娘の姿を微笑ましく見つめていた。
 
「お母さん、これがいい」
「じゃ、お会計しないとね」
 
 瀬奈が抱えてきた服を受け取って、レジに向かう。
 二人はほかの店も見て回り、必要な物を買い揃えていった。
 
「こんなにいっぱい、ありがとう!」
「今まで我慢してくれた、ご褒美だよ」
 
 互いに笑みがこぼれた。
 
 少し前まで、娘と仲良くショッピングできる日が来るとは、小百合は思ってもみなかった。
 絶望しかなかった未来が今、輝いている。
 両手いっぱいに抱えた袋の重みが、何よりの証拠だ。
 
「お腹、空いた」
「いっぱい歩いたもんね。お昼も近いし、どこかで食べていこうか」
 
 二人はファミレスに入った。
 席に着いて、広げたメニューを一緒に見る。
 
「お母さんは、ハンバーグセットにしようかな」
「私、これがいい」
 
 瀬奈が指差したのは、単品の厚切りステーキだ。
 しかも、大人でも腹いっぱいになる300g。
 
「……レアにしてもいい?」
「ダメ!」
 
 ほかにも客がいる場所で、瀬奈の瞳を黒くさせるわけにはいかない。
 歯も、食べ方も……。
 小百合の顔には、怒りにも似た感情がにじんでいた。
 
 そんな母を初めて見た瀬奈は、シュンと顔をうつむかせた。
 
「瀬奈、お母さんとの約束、覚えてる?」
 
 小百合は瀬奈に、四つの約束をさせていた。
 
 ・家で父がいる時は生肉と生魚を食べず、箸を使う
 ・外では絶対に生肉と生魚を食べない
 ・スーパーなど、生の肉と魚を扱っている場所には近付かない
 ・動物園と水族館にも行かない
 
 動物園と水族館も、エサの時間で肉食獣が生肉や生魚を食べているところに出くわすかもしれない。
 
 瀬奈は、ゆっくりと顔を上げて小さく頷いた。
 
「これはね、瀬奈を守るためなの。分かってくれるでしょ?」
「……ごめんなさい」
「ステーキは、ウェルダンね」
 
 少しして、注文した料理が運ばれてきた。
 一枚肉のステーキは、鉄板の上でジュウジュウと音を立てながら、辺りに小さな肉汁を飛ばしている。
 
「ちゃんとナイフを使って、食べやすい大きさに肉を切ってね」
「……うん」
 
 小さくカットした肉を口へ運んでいく。
 その途中、瀬奈のフォークを握る手が止まった。
 
        ◆
 
 新薬の詳細について、瀬奈は何も聞かされていなかった。
 初めて知ったのは、両親の言い争う声が聞こえてきた時だ。
 
 自分の体内に、ホホジロザメの遺伝子が……。
 
 考えるだけで、肩が震えてきた。
 ベッドで目を閉じていても、なかなか眠れない。
 そっと目を開けると、違和感を覚えた。
 
 暗闇に包まれていたはずの室内。
 木目調のドアの模様、本棚に並んでいる背表紙の文字。
 
 暗い場所に慣れた目の見え方ではなかった。
 暗視カメラの映像のように、細かいところまでハッキリと見える。
 なんだか怖くなって、すぐに目を閉じた。
 
 昨夜も眠れず、深夜になってスマホでホホジロザメについて調べ始めた。
 
 体長が4メートル以上ある、最大の肉食魚。
 真っ黒な瞳と、ノコギリのような鋭い歯。
 遠く離れた場所の血の匂いも嗅ぎ分けられる嗅覚。
 暗闇でも視力があり、すぐれた聴力で水中では1km先の心臓の音を頼りに狩りをすることもある。
 普段はゆったりと泳いでいるが、獲物を狙う時は時速40km以上のスピードが出せる。
 
 それがホホジロザメの生態だった。
 
 洗面所の扉を閉めていても、離れていた両親の声がハッキリと聞こえた。
 スーパーに行った時、店に入る前から血の匂いがした。
 
 氷の上に並べられた魚を見た時、昼食で生の切り身や生肉を前にした時も、目と歯がうずくようだった。
 同時に体中の血がざわめき、全身の毛が逆立つほどの興奮が込み上げていた。
 
 瀬奈は、こっそりと部屋を抜け出した。
 廊下も明かりがないのに、よく見える。
 
 やって来たのは、キッチンだ。
 かすかな匂いのする冷蔵庫を開けると、胸が高鳴った。
 チルド室にパック詰めの鶏肉がある。
 
 パックを剥がして肉を一つくわえ、今すぐ飲み込みたいのを必死に我慢して洗面所に向かった。
 明かりを点けなくても、鏡に映る顔がハッキリ見える。
 
 黒く染まった瞳。
 肉を咥える鋭くとがった歯。
 
 スマホで見た、写真のホホジロザメのようだった。
 
 息を吸うのも忘れるほど、鏡に映る顔から目が離せない。
 ガクガクと足が震える。
 心臓の音がより強く、速くなっていく。
 
 それだけではない。
 口の中で滴る肉の脂に、あらがえない興奮が入り混じってくる。
 
 鏡から視線を落とした瀬奈は、うつむいたまま噛み砕いた肉を飲み込んだ。
 
 大きく息を吸ってから顔を上げてみると、いつの間にか瞳と歯は元に戻っていた。
 身体の変化に戸惑いつつも、残っていたのは興奮の余韻だった。
 
        ◆
 
 今、目の前のステーキとは別に、奥の厨房から食欲をそそる匂いが漂っている。
 
「瀬奈? どうしたの?」
 
 手を止めていた瀬奈に、小百合が気付いた。
 
「……ううん、なんでもない」
 
 瀬奈は慌てて肉を口にしていった。
 食べ終えた鉄板の上には、付け合わせの人参と、じゃがいもだけが残っている。
 
「お母さん、これからは……ちゃんと約束を守るから」
 
 瀬奈が言ったあと、小百合は優しい笑みで返した。
 
 今まで両親には苦労ばかりをさせてきた。
 これ以上、心配は掛けられない。
 何があっても約束だけは守る。
 
 瀬奈は母だけでなく、自分にもそう誓った。
 
 
 店を出たあと、二人は靴を買いに向かった。
 スカートにも似合う靴を選んで、レジに向かう。
 
 小百合が会計をしている間、瀬奈は後ろへ振り返った。
 店に入ってきた一人の女性客が、スニーカーを手に取っている。
 瀬奈は、その女性から目が離せずにいた。
 
「さ、帰ろうか」
 
 支払いを済ませた小百合は、瀬奈の視線の先に目をやった。
 
「どうしたの? 知ってる人?」
「……ううん。なんでもない」
 
 二十代前半くらいの女性で、家の近所でも見掛けない顔だ。
 
「それじゃ帰ろうか」
「……うん」
 
 二人は駐車場へ向かった。
 
        ◆
 
 それからも、小百合は瀬奈をたびたび外へ連れ出した。
 毎日服用していた抗菌薬も飲んでいない。
 週末で混み合う街に連れて行っても、瀬奈の体調は悪くならなかった。
 
 健康な身体を手に入れて食事の量も増えたおかげか、瀬奈の背が少し伸びてきた。
 半袖からのぞく腕は相変わらずほっそりとしているが、痩せ細っていた以前とはまるで違う。
 
 明日からは、いよいよ学校だ。
 
 何事もなく無事に学校生活を送れるよう、小百合は祈るばかりだった。

◆第7話は、こちらから


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