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居心地のいい場所

自分の居場所というものを見つけられずにいる。

それは、仕事でもあり、趣味の音楽を楽しむ場所であったり、自宅以外のどこか自分が自分らしくいられる場所。自分を自分のまま受け入れてくれる場所。

そのような場所はあるのだろうか?
他の人たちにはそのような場所があるのだろうか?

ともだちと呼べるような人もいなく、家庭もない。
恋人と呼べる人もいた時期はあるが、もうこの数年、そのような存在もいない。

仕事も辞めて、自宅に引きこもっているので、人と会話をすることがほとんどなくなってしまった。
ひと月の間で話しをしたのが、ハローワークの担当職員と、心療内科の主治医と受付の人だけなんてことも当たり前のようになってしまった。

社会とのつながりが途絶えてしまった。
そんなの死んでいるのと同じじゃないのか?
生きているとは言えないのではないか。

仕事を辞めるまでは、1日2日誰とも話しをしないことはあったが、それでも仕事に行けば同僚・上司と会話はするし、月に何度かはライブハウスへ行って、顔見知りになったミュージシャンや観に来ているお客さんと軽い話しはしていた。
彼女がいた頃には、月に何度かは会ってどこかへ出掛けたりしていたし、SMSで連絡を取り合ったりもしていた。

しかし、それも仕事は一つの職場で長続きしないことがほとんどで、他の職場へ移ると以前の職場の人たちとは、しばらくの間は連絡を取ったりすることもあるけれど、それでも徐々に疎遠となる。
仕事を辞める理由は、その時その時で何かしらのきっかけはあるのだが、居心地が悪くなって辞めることもあれば、居心地は良いのだが何かしらの小さな事柄を過剰に誇大化して、もっと他に自分に合ったいい場所があるはずだと思い込んで飛び出してしまうこともあった。自惚れと劣等感のいずれかの気持ちがそこにはあったのだと思う。

自惚れと劣等感

自分が自分自身を誇大評価して、この場所に収まっているべきではないと思ってしまう。
自分を比べる必要もないのに、他人と比較して足りないところばかりを気にし過ぎてしまう。

そんな相反する気持ちが自分を支配していて、耐えきれずにひと所に落ち着けれない。
仕事に限らず、人間関係においても同じ。
自分が何を求めているのか、どうしたいのか、どうしてもらいたいのか、明確なものを何一つ見つけられずにいるから、今いる場所でその何かを見つけられない自分に不安になって逃げ出してしまう。

そして、一人になって、ただ時間を無駄に過ごしてしまっている。
この人生、あとどれほど残っているのかわからないのに。
毎日何かしらの理由をつけて、社会に戻ることを先延ばしにしてしまっている。
このまま引きこもったまま人生を終えてもいいのか?
このまま社会のせいにして、卑屈に孤独死を迎えるのをただ待っているのか?

こんなことを書いていたって、何一つ解決しないことはわかっているのに、それでもまだ動こうとしない自分に苛立つ気持ちを誤魔化して、明日になれば誰かが明るい未来へ連れていってくれると思い込んで、ただ待ち続けている。




ばっかじゃねーの!

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