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初恋 ~6歳のワタクシ~

末っ子で、親戚中の中で一番歳下、加えて女ばっかりの中で育ったワタクシは、お姉ちゃん達の真似をして、常に背伸びしてたし、耳年増だったと思う。

当時、クラスの男子が興じていたのは確か、ガンダムのプラモデルだの、スーパーファミコンだの…一方、ワタクシが興味を示していたのは、ラジカセだのZARDやレベッカ(「負けないで」と「Smile」をエンドレスに聞き続けていた気がする)。

そんなワタクシの記憶の中でボンヤリ覚えている最初の恋みたいな感情はおそらく6歳の夏。

その当時、体操を習っていて、側転だのバク転だの出来る小僧だったワタクシは、「中国雑技団に売り飛ばすぞ」と言われるほど活発な子だった。その時の両親は我が子が自ら中華圏に出て行ったきり帰ってこない事になるだろうとは思っていなかっただろう…。

そんなある日、その体操教室で右の小指を骨折したのである。

そう、バク転するときにバランスを崩して…

とかじゃなくて、

普通に教室が終わって我先に帰ろうと、チームメイトを押しのけ、先陣を切って走ったら、何もないところで足をもつれさせ、ボーイソプラノの甲高い声で悲鳴を上げ、ド派手に転んだだけである。

その時、治療をしてくれたのが、近所の接骨院の先生@年の頃多分27くらい。平日の月曜日から金曜日の夕方、じーちゃん・ばーちゃんのあふれかえる診療所でポツンと子供一人、毎日治療に通っていた。

優しい笑顔にコロッと一目ぼれ。妻子持ちで、そもそも話にもならないのだけれど、世の中の事も恋心もよくわかっていなかった当時のワタクシは、プライベートで映画に連れて行ってもらい、食事もして、お土産まで買ってもらうというところまでこぎつける押しの強さがあった。

あぁ、思えば、そんなときから不倫・略奪愛願望があったなんて…おまけにゲイ。なんて恐ろしい確信犯な子供…。

6歳の男の子に話を合わせようと、先生がしてくれた話は、確かガメラ。世間一般の男の子が興味を示すものに、全く興味がなかったワタクシは、先生の子供の頃のコレクションを見せてもらい、一生懸命興味を持とうとするそういう憎い小娘だった。気がする。

けれど、時の経過とともに、骨折の具合は良くなっていく。時を同じくして親の転勤の話が出て引っ越しする事になったのである。

先生に会えなくなっちゃう!!

そう思ったワタクシは、内見会に連れて行かれるたび「こんな家イヤだ!」と駄々をこね、治療中「これは痛い?」と言われるたび、ほぼ治ってるのに「すごい痛い!!超痛い!!」と嘘をついた。

治療が終わらなかったら引っ越しが延期になるかもしれない。
新しい家が決まらなければ引っ越さないで済むかもしれない。

そんな子供ながらの抵抗をしていたのでしょうねぇ…いじらしい。

とはいえ、そんなもの子供の一存でどうなる物でもなく、永遠の別れを告げる事になってしまう。

姉からくすねた、リボンの付録のピンクのThe女の子向けの便箋に、涙ながらに想いをしたため、2Bの鉛筆で筆圧強めにしたため、、、したためすぎて、源氏物語のような長さの手紙を、タイトな封筒にねじ込み、先生の家のポストにこっそり入れて、走って逃げたわ。今じゃ何を書いたかも思い出せない…あぁ、さよなら恋心…。

もうどうにもならないと諦めたワタクシは、はかなく終わりを迎えた恋心とともに、全く興味のかけらもないカメの怪物(*ガメラ)を段ボールに詰め込み、完治しているのにもかかわらず最後の日まで治療を続け、巻き続けた包帯を外し、別の街、別の人生へと旅立っていくのでした…。

でも数ヶ月、伸ばしたままで固定された右手の小指は…飲み物を飲む時、いまだにのびたまま…(おそらくそれは別の理由)

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