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第三外国語への挑戦 |ベトナム語編|ベトナム語はきつかった、涙目で勉強した

私がベトナムに赴任したのは40台半ばの頃。
ベトナム子会社の社長というポジションでの赴任だった。
ベトナム語はそれまで全く触れたことがなかった。
(ホーチミンとサイゴンが同じ街の名前だとも知らなかった。。。)

既に自分のキャリアの中で、英語と中国語がビジネス用途ではネイティブレベルになっていたので、ベトナム語への挑戦は第三外国語としてであった。

海外営業のプロとして、現地のお客様と簡単な挨拶会話はできた方がよいし、また駐在員として、レストランや買い物で使う簡単な日常会話のローカル言語は身につけた方が便利だし、また、生活も楽しくなる。
赴任しはじめの頃から、週に2-3回、先生に教えてもらえば、1年も経つと、だいたいの赴任者は簡単な日常会話を身に着けることができる。

赴任しはじめの頃に語学学習を開始するのは鉄則である。
投資の複利計算と同じで、語学は初期投資を早めにして、期間を長く投資すると、2年目は1年目の2倍話せるようになり、3年目は4倍、4年目はその8倍というように、雪だるまのように成長する。

そして、ある臨界点を超えると、社内会議、商談、メールなどで、日々ローカル言語を使うこととなり、更には、新聞、web情報、TVニュースなど日常生活でも活用、飛躍的にその言語能力を伸ばすことができる。

私も赴任そうそう、家庭教師をつけ、ベトナム語基礎の参考書を使って勉強を始めた。
そしてベトナム語には中国語と似たような単語が結構あることに気づく。
それも、そのはず、ベトナム語は元々中国語から派生した言語ということであたった。
約160年前にフランスがベトナムを植民地化してから、ベトナム語の漢字表記が禁止され、今のアルファベット表示へと変化していったのである。

私は既にビジネス中国語に関しては、ネイティブに近いレベルになっていたので、それを大きなアドバンテージとして、割と早くベトナム語を身に着けることができるのではと、習い始め早々は意気込んでいた。

しかし、ベトナム語はその発音が複雑であり、特に、言葉を話すのは相当難しかった。
私にしてみると、英語の勉強は難易度1、中国語は難易度3という感覚で、ベトナム語は難易度10というくらい桁違いに難しかった。

正確にいうと、ベトナム語は言語が学術的に難しいというだけでなく、聞き手側のストライクゾーンが極めて狭かった。
例えば、英語の場合、世界中に英語を話す人がおり、インド訛りやシンガポール訛り、メキシコ訛りなど、いろいろな国の訛りを持った英語があちらこちらで話されており、それに触れることにより、自然と訛りのある英語への対応能力がついてくる。

ところが、当時はベトナム語を話す外国人の数は圧倒的に少なかった。
レストランやお店で、私がベトナム語で話しかけても、相手は、私が英語を話している前提で言葉を聞き、時には、私は英語は分からないと返事されたりした。
今、私はベトナム語を話しているのですよ、と再度ベトナム語で言っても、だから、私は英語は分からないと言っているでしょ、とベトナム語で返事されたりした。

それでも、週に3回オフィスと週末とで、週に4回程度ベトナム語の勉強を続けた。
家にいる時はなるべくベトナム語のTV放送を見た。また、道端でベトナム語に吹き替えられている海賊版のDVD映画などもよく見た。

新商品発表会があるときは、2週間前にはプレゼン資料、原稿を完成させ、100回くらい家庭教師の人に聞いてもらい、発音を修正してもらった。
ちなみに、プレゼン資料は各ページの下の方に、ベトナム語で私の原稿の要約が書かれていた。

会社の中での簡単な会話や、会議中の簡単なやりとりは一部ベトナム語で会話ができるようになってきた。

ベトナムに来て1年半、ようやくベトナム学習も実を結んできたなと感じでいた頃、また、新商品発表会の仕事がやってきた。
既に、3-4回はこなしており、ある意味慣れたもので、今回も早々にプレゼン資料、原稿を用意して、ベトナム語のスピーチ練習に入った。

そんなある日、広告課長が私に話しがあると、私の席にやってきた。
彼女は、今度新商品発表会ありますが、今回もベトナム語でプレゼンをされる予定ですか、と聞いてきた。
これまでもずっとそうしてきていたので、ちょっと不思議に思いながら、そうするつもりだけど、どうかしたと聞くと。

彼女曰く、今回の発表会は英語でやる方がよいと言う。
なぜなら、社長のベトナム語は発音が上手くないので、聞いている方はほとんど理解できない。結局プレゼン資料の下にでてくるベトナム語を皆読んでおり、スピーチ自体はほぼノイズになっていると、気まずそうに言った。

これには、さすがに驚いた。
ベトナム語の発音が難しく、また、私の発音もまだまだレベルと認識していたが、イベント毎にに100回くらい家庭教師を前に練習してから臨んでいたのに、ほぼ分からないとは、どういうこと、と頭が一瞬白くなる感じであった。

私が広告課長に、実際は半分くらいは通じているのでは、と聞いてみたが、彼女曰く、おそらく10-20%ぐらいだと思うと言った。
社員が聞いても30-40%程度しかわからないので、普段から私のベトナム語に慣れていないメディアの人や、お客さんは、ほぼ分からないと思うとのことだった。

既にイベントは10日後くらいに迫っていた。
私は広告課長に、言いにくかったろうに、現状を私にシェアしてくれてありがとうと感謝し、そして、今回のイベントをラストチャンスにさせて欲しいとお願いした。

今回は、100回ではなく、1,000回くらいリハーサルしてイベントに臨む。
それで、もし、聴衆の人の理解が50%以下の場合は、確かに効率がよくないので、その次の回からは英語でやろうという話しになった。
そう話す私の目には薄っすらと涙が浮いていたと思う。

流石に1,000回も同じ原稿を繰り返し読んでいると、原稿を見なくてもほぼ空で言えるようになった。
当時、平日と週末と異なる家庭教師をつけており、どちらにも今回の話しをしたが、さすがにこれまでの発表会で10%も分からないということはないだろう、最低半分くらいは通じていたはずでとのコメントだった。

ベトナム人は、とても、相手のメンツを気遣い、大事にする気質があるため、どこまで気を使たコメントをしているのかの判断は非常に難しい。
ただ言えるのは、家庭教師の人は、私の日本語訛りベトナム語に免疫ができており、その言葉に甘えていては危ないということは確信が持てた。

で、イベントの日、ホテルのボールルームを借り切り、舞台、大画面スクリーンやライティング、新商品であるTV等を設置。
お昼の部はメディアの人を150人くらい入れ、夜は、家電販売店のお客さんを200名程度いれての商品発表会である。

発表会のプレゼンは、これまでのキャリアの中で、何十回とやってきたことがあるので、慣れたものであったが、この日は、いつになく緊張した。
これで、ひょっとすると公式の場でベトナム語を使えなくなるかもと思うと、なにか不当にいじめられているかのような気持にもなった。

で、判定はどうっだったか。
広告課長を含め、広告課のスタッフが、イベントの後に、聴衆にサウンディングをする手筈になっており。その集計では、ちょうど約50%との理解度ということであった。
数字は低いといえば低いとも言えたし、いや、10%から随分と伸びたと言えば伸びたし、こうして、広告課長同意のもと、私はベトナム語のスピーチを継続していけることとなったのである。

新商品発表の後、お客さんと同じボールルームで晩餐会をしている中、私は心の中で大きなガッツポーズをしていた。そして、これは、私の人生の中のprecious momentの1つとなった。

余談となるが、宴会などでお酒が入った中でのベトナム語の会話というのは不思議とよく通じる。どんどん酔うと、どんどん通じる、最後はもう自由自在に会話している感じになる。
で、翌朝のホテルの朝食で昨晩のベトナム人と一緒にテーブルに座って、ベトナム語で朝の会話を始めると、驚くほど通じなくてビックリする。
これは、ホント、不思議な現象であるが、私は何度も体験している。

ベトナム語での公式プレゼンの許可がでたえから、、更に3年半、トータル5年間私はベトナムで働いた。
先にに書いた言語習得の複利の力が働き、私のベトナム語は成長した。

一番よかったのは、家電販売店のお客さんが、新しいお店のオープニングセレモニーをする時には、真っ先に、私のスケジュールを確認して招待してくれることだった。
日系、韓国系、中国系、欧米系といろいろな家電メーカがいたが、通訳をつけずにベトナム語で祝辞のスピーチをする外国人社長は、私だけとの事で、引っ張りだこであった。
New openのお店では、社長(私)が来るからということで、我々の商品がよい場所に置かれたり、セレモニーの時には、相手の社長や店長が隣に座るので、お近づきになれたりしたものである。

確かにベトナム語は赴任の5年間で成長した、しかし残念ながら、英語、中国語とは異なり、ベトナム語をネイティブのように話すようにはなれなかった。
けれど、人生はまだ続くので、いずれは再挑戦する機会があるのではと密かに思っている。

そうそう、ベトナム語を学んだ結果として、今だにSNSを通じて昔の同僚を中心に、数百名と繋がっている。以外これがベトナム語を頑張った1番のご褒美かもしれない。




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