孤独の正体

こんばんは。

ちょっと奥さん、聞いてくださいよ。
40年経ってやっと気づけたことがあるんですよ。
びっくりですよ。
この話が誰かの参考になれば幸いです。

そもそも友達がいないわけじゃなかったのに
孤独感を募らせてばかりいた子ども時代。
思春期ってそういうもんよという人もいるでしょうが
ずっと付き合っていける友人を私は作りませんでした。

その答えの一つがわかったのです。

40年前、通っていた中学校はとても荒れていました。
いわゆる校内暴力全盛期でした。
毎日が緊張の連続。いじめはそこここであるし、先生は何もしていない生徒でも竹刀で叩いたりするし、授業は成り立たないし。
子どもを育てた今、考えただけでも、よく学校に通えたなと思います。
どれだけの緊張が体にかかったのか、心の負荷をかけたのか、何も感じないように目を閉じてきたか。
いじめにあっているクラスメイトの居場所になったりもしました。
サバイバルですよ。いじめにあわなかったから、私はまだましなほう。
だから大丈夫なはず。とずっと思っていました。

高校は進学校。いきなり平和な生活になりました。
周りの人に緊張する必要はないはずで、いじめもなければ、先生も穏やかです。幸せだなと感じていました。
でも・・・そこで友達とうまくいかなかったのです。
なんだか気が抜けたみたいに勉強に身が入らず、テストは赤点ぎりぎり。
クラスメイトとの会話もぎこちなく、溶け込める気がしませんでした。

それを私はずっと自分の性格の問題だと思っていました。

心理学を学べばわかるはずです。
緊張状態の日々から解放されたらどうなるか。
まあ、腑抜けになります。ほっとするあまり、そこで頑張るなどということは難しいでしょう。
パワハラの職場をやめた後すぐに頑張れないのと同じです。

そして、「誰とも話が合わない」というのが一番の課題でした。
今思えば、色んな我慢をし続けたことについて、誰かに話したかったし、わかってもらいたかった。その頃はスクールカウンセラーなどいませんし。
進学校ですし、校内暴力のない中学校から来た人もたくさんいて
もうその経験値のギャップがダメでした。
ヤンキー風にしている男子もいましたけど、こっちは本物のヤンキーを見てきたわけです。

この感覚はずっと続きます。
悩みの質が違う人とどうやってつながればいいのかわからない、という感覚。

そして、大学からは自分の所属している場所以外に友達を求めるようになっていきます。大学に行けただけで恵まれていることはわかっていても
それこそ地方のお金持ちのお嬢様たちと生活が違う。「どうすべき?」状態です。なので私は「私は人見知りかもしれない」「おとなしい性格かもしれない」と自分を誤解し続けました。

今の私を知っている人には信じられないかもしれませんね。
誰とでも話すし、なんなら舞台でしゃべっちゃうよ、ぐらいの人間です、今は。

学生時代は、もう「生まれた国が違う」くらいのギャップを他人に感じていて「単語伝わらないよね?」って思ってました。

高校生で不登校になる子どもたちが多いというのは聞いていますが
中学校までで頑張りすぎるとしんどくなるのは私の経験上とてもよくわかります。
ホルモンバランスと自律神経の乱れはあったでしょうし、もう緊張しなくていいのに身体だけ緊張してたのかなあと思います。

エンジンがかかったのは高校三年生になってからです。元に戻るのに2年かかりました。

私だけ何かから取り残されたような、宇宙でぽつんとひとりで生きているような感覚。言ってもわかってもらえないだろうなあ、他人事のように話を聞くんだろうなあ、みんないい人だからなあ。
そういう感じ。

その後もまあまあ経験値だけが山のように高くなる人生の中で
「プライベートを聞きたがる人はNG」な人間になってしまいましたが
それも「わかった風に返事されるのがとても嫌」だからです。
そして「大変な話をされても私にはわからないわ」と顔に書いてあるからです。

さすがに、大人になってからはちゃんと表面上の話題でいけますし
語りたかったことはカウンセラーさんなどに全部聞いてもらって整理しているので変に自分から漏れ出すこともなく
いい人間関係を築けるようにはなりました。

まっすぐに自分のことだけ考えて生きてこれた人たちに対する嫉妬心は
いまだにくすぶっていますけれど、それも大切な自分の一部。
うっすらヤングケアラーだったので、どうしても「他人軸!」などと言われて、ほんま腹立つなあと思うんですけどね(笑)

高校時代のあの「ぼんやりした」感覚の原因にやっと気が付けて
ようやくひとつ、自責の念を抜け出しました。

気分障害だったのでは?という疑惑もあって。
それよりはADHDとかPTSDのほうがあり得るかなとも思いますけれど
本当に疲れていただけかも、と思います。

これを読んで「私もそうかも!」とか「似てる!」と思う人がいればいいな。自分のせいじゃないよ~。
そしてね、そういうものの究極が戦争だから。
戦争から戻ってきてすぐに普通に働ける人なんて少ないんじゃない?
戦後祖父も全然仕事しなかったみたいで、そのことを祖母はずっと愚痴ってました。精神的にも肉体的にもくたくたになってしまったら、とことん「何もしない」でいるしか、回復する道はないのでしょう。
よっぽど鈍感力がすごい人なら大丈夫かもしれないけど。

だから、戦争はあかんのです。
いじめもパワハラもあかんのです。
元気な人を減らすのはあかんのですよ。

影響を受けるのは当事者だけじゃないです。
終わったから何もかも一瞬で回復するということなどないんです。
必ず何十年も引きずっていく。子供や孫に受け継がれていく傷になります。

トラウマを勉強した人なら、自分のトラウマを癒してきた人なら
これは理解できるはず。身に染みてわかるはず。
自分の身に起きたことを繰り返したくないって思う、私は。

とりとめのない今日のお話はこれで終わりです。
ではまた。


★「りすんと♪」という活動をしています。
 雑談、対話をしながらのカウンセリングをしています。
 自分の過去を誰かに語りたい人、整理してみたい人、理解者が近くにいない人など、ご相談受け付けています。
★むやみにパンドラの箱を開けたりはしませんし、何かを強要することもあ りませんのでご安心ください。癒しとか治るとかはいたしませんので。

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