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皇室問題について語るつもりはないけど in NYその2

前回このタイトルの記事を書いたすぐ後に、例のカップルの男性の方が、NYの司法試験に落ちたと言うニュースが瞬く間に日本の多くのメデイアから流れてきた。

私は普段は日本のメデイアの有名人スキャンダルなどには基本的には興味はないのだけれど、今回はやはり二人のNY移住問題が絡んでいるので、ここに住む人たちにとってはそれなりにリアルな話題になりつつあることは間違いない。

実際にここに住む立場としては、日本のメデイア報道のあり方に関しては色々と思うところがある人たちは私だけではないはずだ。

私は二人がどんな選択をしようとも、どんな生き方をしようとも、それに関してはあくまでも自己責任だという風にしか思わないので、そういったことに関して何かを言及しようとしているのではない。

問題を感じるのは、メデイアの取り扱いによる印象操作の方だ。

そもそも最初の段階で、男性側が、3年間でロースクールを卒業して弁護士事務所に入るつもりで渡米したと言う話を聞いた時、そんなに簡単にそれが実現可能と考えて予定を立てていると言うことは、よほど語学も学力も優秀で、英語もパーフェクトバイリンガルなみにペラペラなのだなあと単純に思った。

実際にそうかどうかと言う問題は私にはわからないので、それに関してはどちらでもいい。

ただ、フォーダム大学がどのレベルかとか言う問題とは関係なく、海外の大学を卒業して、その後に就職してそこで弁護士になると言うことは、やったことがない人が考えるほど簡単なことではないと思う。

アメリカは学歴社会だ。

そしてそれはコネ社会という意味もある。つまり、学閥つながりというのは社会での現場の仕事のクオリテイーや収入に密接に関わっている。その上、そういったコミュニテイーで繋がれるというベネフィットのある大学の学費は恐るベく高い。

奨学金がもらえればまだなんとかなるけれど、それ以外の多くの人たちは、若い現役学生は富裕層のご子息が多いし、そうでなければ、一度社会で働いてからある程度お金を貯めて大学に出戻るパターンになったりもする。

日本と違って大学は高校卒業と同時にに行くものだ、という縛りはないので、ここでは大学に行く年齢の決まりはない。(日本も本当はそんなシステムはないはずだけど、みんなが勝手に大学というのは、浪人生でない限り、18歳から22歳の人たちが通うべきという暗黙の決め事にしてしまっていて、それに合わせるのが当たり前だと思っている人たちが多すぎるだけの話だと思う。)

とはいえ、さすがに中での勉強は大変だ。

日本とは違い、ただ授業に出て座っているだけで夜は遊びに行ったりバイトをしたりではとても卒業できない場合も多い。だから、テストの時期などはみんな連日徹夜だったり、ほとんど体力勝負のような部分すらある。(人によってはドラッグでハイにならなければとても連日徹夜はこなせないというような話すら聞いたことがあるぐらいだ。)

そして、学校によるとはいえ、ある程度世間に通用するような大学では、その過酷な状況を乗り越えなければ、簡単には卒業できない。

それは外国生まれのパーフェクトバイリンガル、もしくは親が片方英語を話すようなハーフの場合ではなく、英語が第一言語ではない外国人、特に日本語のように英語と全く構造的に違う言語体系で、実際に使える英語教育を全く受けてきていない場合はそれなりに大変だ。

だから、日本で法律関係の学部にも行っていない立場で、アメリカで3年で就職までの全てを完了するという見通しで国を出たようだという話を聞いた時に、それは英語も含めて相当優秀か、あるいは、ものすごく頑張らなければいけないことを見越した上での決断だと思えた。

そして、それがもしも後者のパターンであったとすれば、海外移住を一定の期間内に成功させなければいけないという強力なプレッシャーの下での選択ということになる。

日本でああだこうだ言っている人たちやマスコミ、マスメデイアなどは、実際にこの辺りの状況について、どの程度リアルに理解しているのだろうか?私にはそれほど多くの人たちがわかっているとはあまり思えない。

おそらく、多くの場合は現実的に海外生活の経験がある人たちが記事を書いたり発信しているわけでもないだろうし、海外に旅行で行くのと、実際にそこで学校を卒業したり就職したりと言うのは全く違うスペックを使わなければいけないことになる。

そのことを身を以て経験していれば、今巷に出回っているようなここまでバッシングの表現だらけの記事を、そんなに簡単に世の中に垂れ流す気にはなれないのではないだろうか。

それに対しては、ここに住む何人かの日本の友人たちも同意していた。

先にも書いたように、アメリカは強力な学歴社会の国だ。

それは、日本のように単なる世間体的な意味合いだけではなく、ここでは学歴は現実の仕事の場で有効利用するためにこそ存在しているので、それにより、圧倒的に収入に大差が出る。だから、どの学校で勉強して、どんなネットワークを作れるのか、どういった世界にコミットしている教授に引っ張ってもらえるかなどで、一生の生活の明暗が変わってくる場合もあるぐらいだ。

そう考えると、十分にサポートを受けられる富裕層の親を持つようなケースでなければ、外国人を含む多くの人たちがここで高学歴のベネフィットを得て生きていくためには、大小の差はあれ、サバイバルの為にある程度ストリートスマート的な生き方になってしまう部分があったとしても、半ば仕方がない場合もあるのではないかと思う。

だから、その良し悪しの問題はさておいて、最短で出世したければ、何がしかの意味でうまくやる事を考えなければいけなくなると言うのは、ここではさして珍しいことではない。

そういう人たちがもし身近にいたとしても、みんなそういうものだ、そういう奴もいる、と言った感じでスルーしているのが一般的だ。

それに関して、内実あまり好きではなかったとしても、特にああだこうだと日本のように大きく批判ネタに持ち上げられるようなこともない。

ただ、今回問題なのは、どちらかというとそういった生き方を選んで来ているかもしれない人物が相手にしたのが、皇室出身の女性だったということだ。

そして、そういうストリートスマートな生き方を選んできているタイプの若者に対して、お嬢さん育ちの女性の方が、一般の大人しい日本人男性にはないある種の頼もしさ、もしくは破天荒な魅力を感じ、思わず自分の立場も利用してサポートしてあげたくなってしまったしまったというのが今の状況ではないかとも想像する。

そういうケースは、世の中的に見れば決して少なくはない。

ただ、そこに家の世襲というものが関係すると、全ては簡単ではなくなる。その意味では、今後この状況がどういう展開になるのかは、日本という国にとっての皇室制度というアイデンティティーが果たしてどう変わっていくのかという重要な分岐点にもなるだろう。

その意味では、いままで日本の社会で当たり前のようにあった従来の価値観や常識というものを大きく覆す時期に突入して来ているのかもしれない。

だから、現実をただ見守る以上にメデイアがどうのこうのとよく知りもしない現実に尾ひれをつけることは、もはや意味がない。

実際に、今回の皇室問題に関して、重箱の隅をつつきまくる日本人や日本のメデイアの大きすぎる反応には、欧米諸国は半ば異常だと呆れている。

自分たちの身に直近に降りかかってくるような政治問題でもない事柄に対し、ここまで多くの人が拘り、後を追跡し、延々とメデイアを通してその話題が繰り広げられる状況というのはやはり諸外国の常識では普通には考えにくい。

そう考えると、今の日本人の生活がどれほどメデイアによって作られているのもなのかがはっきりと見えてくると同時に、それはある意味では全く大人の社会ではないような気もする。

色々な現実について、想像することと体験することの違いにみんながもっと敏感に気がつけば、他者が犯している失敗や、通常とは違った行動パターンに関し、みんなはもう少し口をつぐむことを覚えるだろう。

そうなって初めて、日本という国は諸外国と対等にやりあえる。

だから、全てはメデイアによって作られてるってことを一人でも多くの日本人の人たちに少しでも早く気がついて欲しい。

日本人の本当の個人の自立は、やはりそこからしか始まらない。



























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