桜
春というにはまだ寒くて、気を抜いたら降り出してしまいそうな雲だった。
この通りはあと1ヶ月もしないうちに人が溢れるのに、まだ人通りはまばらで、半分は駅に向かう人、半分は通りで働いている人だった。
「誰もいないんだね」
あなたは川を目で撫でながら言った。
「まだ蕾だもん」
寒いし、昼だし、と心の中で続けた。
「ここいつもこんな感じ?」
1.5メートル先のあなたが振り向いた。
「知らない………初めて来たし…」
「へえ、意外」
前に向き直る横顔がにやっと笑っていたのが見えた。
しばらく、街の雑踏と履き慣れないヒールの男だけが響いていたと思う。
声が聞きたかった。同時に、いつまでも背中を追いかけていたかった。
背中なら、見てるのがバレないから。
「あ」
あなたはポケットに手を突っ込んだまま。
目線は空へ。
「咲いてるじゃん」
両手で覆えそうなくらいの範囲に、弱々しく開花し始めた桜が見えた。
「え、あ……えっどこ…」
1.5メートル、1メートル、50センチ
たった3歩の前進を脳内で何度も繰り返した。
横から一瞬だけあなたの目を見て、その標的を見た。
白い空に紛れそうな桜を見ながら
「お花見、できたね」
と絞り出す。
もう寒さなんて感じないけど、マフラーを巻き直した。
私の顔、見ないで。
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