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#51style

本日次のお題は「Style」。
これについて話していこうと思う。

この話は私自身も非常に興味がある。
初めてこのStyleについて考えたのは高校生の時だ。
きっかけはTaylor Swiftがリリースした曲「Style」だ。
それまでのスタイルについての考え方は日本でいう、体型、姿、形を強くイメージしていた。

当時高校生であった私は自分のスタイルが全く掴めずにいたし、そもそもの自分の体型もよくわからないでいた。
詳細はここでは記さないがかなり自分「Style」も「スタイル」も掴めずにいたのだ。
どうやってそれを解決しようかと考えていたときに出会ったのがこの曲だ。

曲中のそれは恋愛に関して謳っているが、私はそれを当時悩んでいた人間関係に落とし込んで内容を理解しようとしていた。

結局のところ当時は考えることが面倒くさくなり、自分からその場を離れていってしまったのが本当のところ。(半分逃げてしまっていました)

それでもこの曲に出会ったお陰で救われたし、自分のStyleを曲げようと思うことは無くなったし、自分らしく生きることの大切だを教えてもらった気がしました。
今はたしてそのようにして生きてるかは「?」が浮かびます。
だからこそ、当時から約7年経った今でもこの曲が刺さってくるんだなと感じます。

正直今の自分は当時の自分よりも弱くなっているし、その当時のトンガッタ個性、「Style」が薄れていると感じます。

社会人になったのだから当然のようにも感じるし、社会人になったからといってそれは関係ないし、さらに尖りが増しても良い気がする。
もちろん良い方向に。しかし実際はそうはいっていない。
どうしたら良いのか。自分が何になりたいのかずっと探しているけどまだ見つかっていない。本当に自分がなりたい姿は何なのか。最終終着地点には一体何が待っているのか。
それが分からないから人生はきっと面白いのだと感じるが、そんな話はうまくいかない。

目の前をたくさんの学生が歩いている、将来に目を輝かしている。彼らが見るのは私が見たものと変わらないのか、果たしてどうだろうか、、、、
そこまで大きく変わらない将来を彼らも迎えるのだろうが、私より良い人生は歩むではないだろうか。
私は今まで楽な人生を歩みすぎた。それまでのツケがここで精算されているだけだと考えれば納得がいく。でもそこまで自分は楽な人生を今まで送ってきたのだろうか。
それなりの人生を送ってきたと思っていただけに悲しくなる。
全く中身のない人生のようで悲しくなるんだ。Styleについてここまで話を続けてきたが話がかなり大きく逸れてきたので無理やり戻す。

黒の肌に身を包んだ人間が信号を闊歩している。人種差別かだって?、全くそんな気はしていない。自分の目に入っている事象をただ淡々と述べているだけだ。
そんなnoteに何か意味があるのか。
何か意味をもたらしたくてこのnoteを書いているのか、いや違う。

全く持ってそんな深い意味はこのnoteにはない。全く持ってない。それが事実だ。
意味もなく綴っている。

どう締め括ろうか自分でも分からなくなってきたのでそろそろ終了しよう。
本日も長々と投稿ご覧いただきありがとうございます

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