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Tokyoという街を愛する僕が、91%山林・農用地の“とある町”に住むことになった理由。

人は皆、育った景色で映画を撮る。

学生の頃から映画を撮ってきて、1つだけこだわり続けていたのは「東京で撮る」ということだった。映画は(特に予算のない学生映画は)、田舎で撮られることが多い。それでも東京にこだわった理由はシンプルだった。それほど東京が好きだったのだ。

東京に生まれ、東京に育った。

とんかつなら目黒に行かなくちゃ。寿司なら銀座、うなぎなら上野か…生意気に言えば、そんな風に東京への愛を深めていた。地方出身の友人や同僚が盆や正月に東京を後にしても、ガランとした東京で静かな地元を楽しんでいた。

東京を離れることは決してない。帰省と言っても、僕の場合は10分ちょっとで済むほどのものだった。

そんな僕が、今北海道にいる。しかも、札幌でも旭川でもない。帯広空港から車で1時間以上、十勝平野の真ん中に家を借りた。

僕が東京を離れてまで、住むと決めたまちの名前は、上士幌町(かみしほろ ちょう)という。街じゃなくて町だった。

30歳を過ぎて、東京を愛した自分のスタイルを変えたわけではない。むしろ、自分が大事にしてきたこと、習ってきた流儀みたいなものを変えないために、北海道上士幌町と東京の二拠点生活を始めることにしたのだ。

北海道上士幌町は外務省の「第4回 ジャパンSDGsアワード」におけるSDGs推進副本部長賞(内閣官房長官賞)を受賞し、内閣府の2021年度「SDGs未来都市」「自治体SDGsモデル事業」に選定もされた、SDGs先進自治体でもあり、サスティナビリティアクションの体現者だ。

書く前に飲む、食べる…そして寝る。

僕が大学を卒業して最初に入った会社は、東京コピーライターズクラブの会員がゴロゴロいるような、無骨なコピーライターばかりのブランディング会社だった。

前述の通り、映画を撮り、学生賞に少しだけ引っかかった程度の実績の僕を拾ってくれた会社だ。いくら映像が好き!と訴えても、当たり前のようにコピーの勉強をさせられる…そんな会社だった。

そんな会社の重鎮に、いかにも長老といった感じの、絵に描いたような長く白い髭を生やしたコピーライターがいた。彼と出会って10年ほど。出会った日から今まで、ずっと「〇〇先生」と呼んでいる。(プライバシー保護のため、名前は伏せます。)

その人は、「とりあえず100本やな」そう言って、同じお題でコピーを、最低100本書くことを求めてきた。ごまかして提出して、よく怒られた。「1、2、3、4…」提出したコピーは目の前で、読む前に数えられた。「…95、96、97…あれ?」「…すいません。」笑顔で突き返された。

まだ笑顔だから良かった。

本気で怒っているのは、1回しか見たことがない。ある商品のコピーをみんなで書こうとなった時。1年目の同期に雷は落ちた。

「で、その商品、お前さん的にはうまかったかい?」ヨーグルトか何かだったと思う。「…すいません、飲んでいません。」その後は、あまり記憶がない。感覚的には同期もろとも、宇宙のチリとなった。

いや、普通飲むだろう?と誰でも思うだろう。だが、先輩の仕事の手伝いをして、夜中から徹夜で自分の仕事を終わらせる。そんな日々が続いて、やっと寝られる!と思っても、床で寝る。ベッドや絨毯の上で寝ると、寝過ぎてしまう。朝、起きられない。寝坊は、負け。

毎日、とんでもない量の入稿をする若手時代、寝過ぎた朝は事故多発の臭いがする。焦げ臭い月曜の朝は、まさに地獄だった。そんな感覚が当たり前だと思っていた日々。そういう時間軸の中で、100本書かなきゃ!というプレッシャーが襲い掛かる。

そういう時、人は間違いを犯す。商品のサイトや口コミをテキトーに読んで、それっぽいコピーを量産することがうまくなるのだ。とは言え、宇宙のチリになって以来、その商品を食べずに、もしくは飲まずに、コピーは一文字も書いていない。(ちなみに床で寝ることもなくなったw)

次は書く前に、住む。もしくは、暮らす。

あの日、コピーの課題として出された飲み物を飲むのと同じように、僕は上士幌町に住む必要があった。来年の春、我々Jardinが事業開発と運営を行うワーケーション施設が開業する。

建物やその周辺環境をプロデュースしてくれたのは無印良品の家。窓の家と言われる三角屋根の白い家をベースとしたデザインで、一度に4人が泊まれる家を2棟並べて建設し、計8人が泊まれる施設となる。

この施設で僕たちが町外から来る人に提供するのは、この上士幌町で過ごす価値そのものだ。一方で、この施設が上士幌に提供するのは、この施設の登場によって町の人々が受ける恩恵であり、町の人が求めていることを提供することにある。

東京に生まれ育った自分の目から見て、上士幌の魅力ってなんだろう?上士幌に住んでいる自分が感じる、町の人が喜んでくれるものって、どんなだろう?長い髭を撫でながら笑顔で、先生がこちらを見ている。

「ほんで、暮らしてみて、どないやった?」そんな問いに答えられる準備とその実行(仕込み)を次の春までに成し遂げるのが、僕の今の課題だ。

ちなみにこのイラストが、今回のプロジェクトの最初のリリースに使った、施設をイメージしたイラストです!みなさま、春になったら遊びに来てください!このプロジェクトの進捗は、引き続きこのnoteで丁寧な暮らしを、つくる暮らし。というマガジンで発信していきますので。よろしくお願い致しますー!!(↓こんなプロジェクトを形にする日々です。どうぞ、よろしくお願い致します!)

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@jardin_kamishihoro

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