はじめてのインタビューは全国紙
コロナ禍があけ、久々に学会が対面で開催された。
同年代の新規性を帯びた堅実な研究発表が続き、私も研究を頑張らねば。。。と勝手に発破をかけられた。
その後、久々にお目にかかる先生方との懇親会で、発表者をはじめ沢山の方と自身の研究について尋ねられたり、お尋ねしたり。
" 対面にしかないモノ " を感じつつ懇親会を終えた。
後日、この懇親会が発端でインタビューが決定した。
SNSをしている身で言うのもおかしな話だが、人前に出ること、自身の情報を他者に知られていることに、大きな抵抗があり(要は恥ずかしい)ので、これまでの研究成果や活動を極力インターネットに出ないようにしていた。
お話を頂いた時は、特段面白いお話ができることもないし、やはり断ってしまおうかとも考えた。
しかし、そんなことを思っている間に、話はトントン拍子に進み、祇園祭の終わる七月末、記者さんとの初対面で2時間ほどお話をした。
余談だが、
インタビュー数日前に人間国宝のニュースが報じられた。
父が、どこからもインタビューを受けていないのに、やはり私が受けていいものか。という小さな葛藤もあったりした。
紙面は2023年8月26日「朝日新聞」夕刊であった。
この日は、金沢の石川県立音楽堂にいた。
終演後、声を掛けられて掲載を知った。
インタビュー後のやり取りは、電話だけだったので正確な掲載日を忘れてしまっていた。
金沢から初めて乗車する北陸新幹線で東京へ移動しつつ、「夕刊買えるかしら」と思っていたが、残念ながら紙面をその日に入手することは出来なかった。
掲載から数日間、様々な方からメッセージを頂いた。
一番嬉しかったのは、一度お目にかかった研究者の方からのメールであった。
" 自分の研究は誰かの研究につながる " という経験をした。
一週間後、紙面を朝日新聞さんから郵送して頂き初めて本当に載ったのだなぁ。と実感した。
今回のインタビューで、社会との繋がりというものを、意識するようになった。
これまでは、恥ずかしい、知られたくない、見られたくないと、引きこもりモードが先行して、恐怖心が強かった。
しかし、インタビューが新聞に載るという、人生であるかないかの経験をして、
” いまの自分にできること ” をチャレンジしてみることにした。
全ての方に感謝の気持ちを忘れないように、少しずつ外の世界と繋がってみようと思う。
以上、社会との繋がり作戦、第一歩のnoteでした。
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