【小説:ある静岡県民たかしの青春】

楽器メーカーに入社したたかしは入社式と研修を終えて、母の住むアパートに帰って一息ついてテレビをつけると、知事が半笑いで話をしていた。

「野菜を売ったり、牛飼いをしたり、ものを作るのは知性が低い」

ニュースを見ながら、たかしは涙を流していた。

たかしは、静岡の小さな街で生まれ育った。
父は地元の自動車メーカーで働き、母は茶畑で働いていた。
両親と妹の4人家族で、決して裕福ではなかったけれど、幸せな家庭で慎ましく暮らしていた。

しかし、たかしが小学校3年生の時、父が交通事故で突然亡くなった。
おしどり夫婦として地元でも知られていた母は悲しみの中にあったが、たかしと妹のために一生懸命朝から晩まで茶畑で働いて家計を守っていた。

父がいなくなってからの生活は苦しく、たかしはゲームや漫画を買うこともできず学校の話題についていけず、時にはクラスでのけものにされることもあった。
妹も、女の子だけどたかしのお下がりの服を着ていることも多かった。
それでも、父が亡き後も家族3人幸せに慎ましく暮らしていた。

ある日たかしがお金持ちのお友達のだいすけ君の家にいくと、グランドピアノがおいてあり、だいすけ君のお母さんが上手にショパンの「ノクターン第2番」を弾いてくれた。
だいすけ君は、ピアノの家庭教師に教わっているという。

家が貧しいことを知っていたたかしは、親にピアノがほしいとは言い出せず、毎日放課後になると学校の音楽室のピアノに向かい、何時間も練習した。
まだ人情が残っていた時代、小学校の音楽の望月先生はそんなたかしを見て見ぬふりは出来ず、時間があるときにピアノの演奏方法を教えてくれた。

ある日小学校の家庭訪問のときに、担任の先生がお母さんに「たかしくんは、いつも放課後ピアノを弾いていて、音楽が本当にお好きなんですね」と伝えると、
母は、たかしが家の貧しさに配慮して自分に言い出せなかったのだと思い、心を痛めた。

ピアノの値段を調べると、やはり我が家にはとても買えない。
一生懸命方法を調べると、ヤマハのピアノは買えないけど、なき夫が残した財産と、自分がもう少し残業すれば、カワイのピアノなら中古で買ってあげられることがわかった。
近くの河合楽器の店にいき、中古のカワイのアップライトピアノを買った。高かったので、手が震えた。

ピアノが届いた日、たかしはこれまでにないほどの笑顔を見せた。
たかしは一生懸命練習した。来る日も来る日も練習した。
ピアノの前では、貧しさも寂しさも、何もかも忘れられた。

中学、高校と進学するにつれ、タカシは音楽の才能を開花させていった。
地元の音楽コンクールで入賞したりすることもあった。

高校3年の夏、進路に悩んでいたたかしはNHKでプロジェクトXの再放送をみた。
タイトルは「新たなる伝説、世界へ リヒテルが愛した執念のピアノ」。
20世紀最高のピアニストと言われたリヒテルに選ばれるピアノを作ろうと必死になったヤマハの技術者たちの物語だった。
たかしは「ものづくりに関わろう。素晴らしい仕事だ」と思った。

学力優秀だったたかしは、高校の先生に東京大学か名古屋大学への進学を打診された。
貧しい母子家庭で、茶摘み畑で一生懸命働く母と、妹のことが心配で、地元の静岡大学工学部に進学した。
高校の先生たちは惜しんでいたが、事情を知っていた先生たちは笑顔で送り出してくれた。
「お前なら、なんだって作れる。ものづくりは、崇高な仕事だよ。静岡の誇りだよ」

大学に入ったたかしは、軽音サークルに入った。
それまでやっていたクラシックなピアノだけでなく、もっと幅広い音楽をやってみたいと思った。
静岡大学の軽音サークルの部室は、工学部の建物にあった。

軽音サークルではステージでライブを行ったが、たかしはステージ用電子ピアノを持っていなかったので、買わなければならなかった。
お金がなかったたかしはバイトにも時間を使わなければならなかったので、部室が近いのはよかった。一生懸命働いた。

島村楽器に機材を見に行ったが、電子ピアノはヤマハだけでなくカシオやローランドなど様々なメーカーが出していることを知った。
先輩はローランドを勧めてきたし使っている人も多かったけど、小さい頃母から買ってもらったカワイのピアノに愛着があったたかしは、カワイのステージピアノMP-11を25万円で買った。

「カワイ?珍しいね!」と言われることがあるたびに、貧しかったから、とは言えなかった。
貧乏な家では、スタインウェイどころか、ヤマハも買えなかった。中古でも買えなかった。

軽音をやっていると、X JAPANのYOSHIKIもカワイのピアノを使っていることを知った。
YOSHIKIがよく使う透明なピアノ「クリスタルグランドピアノ」を、一度弾いてみたいと思った。
あこがれのYOSHIKIがカワイを使っていることは、心の支えになっていた。

社会人になるとき、たかしは進路に悩んだ。
高校を卒業する時に先生たちが言ってくれた「ものづくりは、崇高な仕事だよ。静岡の誇りだよ」という言葉を思い出した。
そして自分の人生に常にそばにいたピアノに、これからも関わりたいと思った。

就職面接には、大学に入った時に買ったステージ用の電子ピアノ・カワイMP11を背負って行った。その場で弾かせて欲しいと、面接官に頼み込んだ。それまでの人生と、ものづくりへの思いも語った。
農業、茶畑で働いてここまで育ててくれた母についても語った。

面接官も涙して、その場で内定を出してくれた。

母に就職先が見つかったことを報告すると、涙を流して喜んでくれた。
その日はささやかに地元のさわやかのハンバーグで祝った。
一生懸命誰かが育ててくれたその牛でできたハンバーグ、人生で一番美味しかった。

2024年4月1日。
たかしは早朝に父の眠るお墓に母と一緒に挨拶に行ってから、入社式へと向かった。

「父もかつて製造業で腕を試そうと頑張ったんだよな。自分も頑張ろう」
「誇りある仕事にできるよう、頑張るぞ」

入社式を晴れ晴れとした気持ちで迎えたたかしは、新入社員代表スピーチを任された。

「貧しいながらも私は茶畑で働く母に女手一人で育てられ、今日まで生きてきました。そしてこの静岡で、静岡出身者として、ピアノの製造に関わることが出来てとても誇らしいです」

たかしの人生を聞いて、涙をする社員もいた。

1日の新入社員研修を終えて、たかしは母が赤飯を炊いて待つ自宅に帰った。
夕方のニュースを見ていると、静岡県の知事が信じられないことを言っていた。

「野菜を売ったり、牛飼いをしたり、ものを作るのは知性が低い」

ん?耳がおかしくなったかな?
聞き間違いだと信じて、たかしはチャンネルを変えて他の局のニュースをみた。

「野菜を売ったり、牛飼いをしたり、ものを作るのは知性が低い」

聞き間違いではなかった。
自分の人生を否定された気がした。
父の、母の、全ての人生を否定された気がした。

自分を愛してくれた父が働いていた自動車工場は何だったのだろう。
毎日朝から晩まで茶摘み畑で働いて家計を支えた母は、なんだったのだろう。
自分が今日から働くピアノづくりは?
あの日食べた最高に美味しいさわやかのハンバーグは?

友達のみかん農家は?第1志望のヤマハやスズキに入っていった同級生は?
これまで頑張って生きてきた人生は、なんだったんだろう。

知らない間に、たかしの目には、涙が溢れていた。
一粒の大きな涙が床に落ちた。
隣を見ると、母も涙を流していた。

母は言った。
「こんなのに負けたらあかんよ。たかしの仕事は、お母さんが一番誇りに思ってるから」

涙を拭う母のその手には、長年の苦労がはっきりと映し出されていた。

「負けるもんか」

たかしの目には、涙の奥に強く燃ゆる炎が灯っていた。

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