文化祭に出た母

不登校だった中学1年生の頃。

母は無理に学校に行かせることはなく、いつも私の味方でいてくれた。
頑張れそうな日は仕事の合間を縫って学校まで送ってくれたし、無理な日はそっと見守っていてくれた。

そんな母が、「学校とのつながりを絶やしたくない」と始めたのが、PTA合唱団だった。
小学校のときは、PTAには人並みに参加して、任意の集まりに出かけていくことはなかったから、本当に私のためだけに参加してくれていたのだと思う。

秋。中学生になってはじめての文化祭。
私はステージ発表はクラスの席ではなく後方の相談室登校チームの席から見ていたが、どういうわけか2日目の合唱コンクールのクラス合唱だけは頑張って参加することにしていた。
(どういう経緯でこうなったのか、今となってはもう思い出せない)
練習もそれなりにしたし、クラスの仲間は受け入れてくれていたけれど、当日近くなってだんだんと気が重くなってきた。

「お母さん、文化祭の合唱出たくない。お休みしたい。」
私はそう母に言った。「休んでいいよ」の言葉を期待して。
母は少し困ったような顔で、
「せっかく頑張ったんだし、あとちょっと頑張って出てみない?」
と言った。

味方がいなくなった気がした。
今まで私の気持ちを尊重してくれていたのに。
なんで頑張らせようとするんだろう。
悲しくて、それ以上反論することもできなかった。

文化祭2日目の朝。
重い気持ちで身支度をした私に、母が小さな封筒を渡してきた。
「これ、あとで読んで」
私はカバンに封筒を入れて、家を出た。

学校に着いて、相談室に行き、一人でそっと封筒を開けた。
そこには、母たちがPTA合唱で歌う曲、「見えない翼」の歌詞とともに、母からの手紙が入っていた。

風に向かい 大空に 高く高く舞い上がれ
僕の背中に ほら透明な翼がはえたよ
初めて出会う悲しみに 心が震えてしぼむ時
光の見えない暗闇で 生きてる意味に迷う時
そっと背中を振り返る
見えない翼が僕に言うよ

見ようよ
ほら見えるよ
空の向こうに 君の明日が
眼を閉じるな 耳を澄ませ
大きく翼ひろげて
風に向かい空を駆ける鳥になれ

雲をこえて 大空に 高く高く舞い上がれ
君の心に ほら透明の翼がはえたよ
初めて感じる切なさに 伝えきれないもどかしさ
大人になる日のとまどいに 君の心がすくむ時
そっと背中を見てごらん
見えない翼に僕がなるよ

翔ぼうよ
ほら翔べるよ
光めざして 大きな空へ
眼を閉じるな 耳を澄ませ
大きく翼ひろげて
明日に向かい夢を架ける人になれ
風うけて 明日に向かえ
「見えない翼」(作詞:佐々木香)

母からの手紙には、こんなことが綴られていた。

PTA合唱がはじめは大変だったけれど、だんだん楽しくなってきたこと。
練習のときに、指導してくださる先生から「皆さんはお子さんの“見えない翼”です。当日はお子さんにメッセージを伝えるように歌ってください」と言われたこと。
だからどうしても私に歌を聞いてほしくて、文化祭に行くように言ったこと。
そして、いつでも私の味方でいること。

読みながら、ぼろぼろ泣いた。
はじめて出会った曲、まだメロディーも知らない曲なのに、心が震えて仕方がなかった。
母は私を信じてくれている。支えてくれている。
一人で戦っているつもりだったけど、私には「見えない翼」が生えている。
一人きりの相談室で、そっと自分の背中の翼を感じた。

そして迎えた合唱コンクール。
私は相談室登校チームの席ではなく、クラスの席にいた。
クラスの仲間と一緒にステージに上がるために。
そして、母の歌を間近で聴くために。
怖かったけれど、ドキドキしたけれど、母のように自分も頑張りたかった。

PTA合唱の番がやってきた。
入場する列の中に母を見つけ、私は目で追いかけた。

ピアノが鳴り始め、歌が始まった。
優しいメロディー。柔らかな歌声。
私の中で「言葉」だった歌詞が「音楽」になる。
また涙が出た。
周りに同級生がいたから、必死で堪えていたけれど、一人きりだったら大泣きしていたに違いない。

母は、全力で歌っていた。
私のために。私だけのために。
母からのメッセージを一つも逃すまいと、私も全力で耳を傾けた。


母からの手紙は、その後の中学生活の間、毎日持ち歩いた。ブレザーの左側のポケットが定位置だった。
読み返すことはあまりなかったけれど、学校生活で不安なとき、つらいとき、ブレザーの左側のポケットをそっと触って、「見えない翼」を感じていた。
夏になると制服に封筒が入るちょうどいいポケットがなくなってしまったから、サブバッグに入れた。
身につけていないときも、封筒のテディベアの絵を思い出して力を貰っていた。

あの日の母の手紙と歌声が、3年間、私を励まし続けてくれた。

そして今も。
「見えない翼」という曲は、そして今は実家に保管してある母からの手紙は、母から私への全身全霊の愛の証である。

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