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印象派の旅〜モネからゴッホまで〜

閲覧ありがとうございます。

365日美術鑑賞という企画の第2回目となるのですが前回と比べてかなりタイトルや記事で仕様を変えています。

なぜなら……


印象派って一筋縄ではいかないから!


です。

そもそも印象派を取り上げようとなったのが私の趣味以外にも近く、上野の国立西洋美術館で印象派展が開催されるからなんですね。

その前にちょっとおさらいを一緒にしましょうということで今回の記事は特定の作品について深掘りするのではなく印象派の歴史、つまり流れを解説しようかななんて思ってます。

印象派と聞くとまず思い浮かべるのがモネの「青い睡蓮」だと思うんですけど実は後期印象主義まで分類されるくらい印象派の世界って奥深いんですよね。

今回のヘッダー画像を「青い睡蓮」にしたのも印象派を代表する絵画だからです。
(ちょっと画像だけでも暑すぎるこの時期を吹き飛ばしたいとかいう気持ちもある)

今回の記事を通して

ただのモワモワした類の絵画じゃないぞ!

ってことを理解して貰えたら嬉しいです。

今回の記事を書くにあたって参考にするのがフランスにあるオルセー美術館で購入した図録ですね。

読者さんが増えたら今年の二月に行った

円安地獄だけど花の都で美術館を巡りたい!
フランス・パリ旅行記

でも出そうかと思います。


では早速印象派の始まりから旅をしましょう……



1,印象派の初期


印象派が世間に広まるまでは写実主義といった伝統的な様式が美術界を支配していると言っても過言ではありませんでした。

しかしエドゥアール・マネがある日アトリエにて伝統にうるさかった師匠に

私が見たものを作るので、他人が見て喜ぶものを作るのではありません。そうであるものを作るのであり、そうでないものは作りません。

オルセー美術館 図録

他人に見せて喜ばせるために綺麗に、完璧に整えられたものではなく自分の肉眼で見た世界をありのままに描写してやろうという決意が感じられますね。

1870年代に始まった印象派は


世界と自然を究極の誠実さで見せる

ということをモットーにしていました。

時は今もこうして確実に進んでいて、常に同じ様子を保っているものなんて案外考えてみれば数少ないですよね。

私から見ると写実主義はその名の通り写真みたいに画面が完全停止していて、反対に印象派の絵画ってどこかからそよ風が吹いてきているみたいに一刻一刻の変化を描いているように思えるんですよね。

古典伝統は否定しないけど、新たな価値を見出すという欲求から、画家たちは近代社会、その変異、その儚さを描く必要性を感じていたと言う。

こうして印象派が生まれたわけですがもちろん伝統を打ち破る新たな動向には批判もつきものです。


①「オランピア」から見る伝統の変化



エドゥアール・マネ「オランピア」


印象派の始まりとも言えるマネの作品です。

(裸婦の絵画ってnoteの規約的にギリギリなのか分からないけど万が一のためのちょっと画質悪い版です)

ギリギリなゾーンに飛び込むのも読者の皆様のためなのです。
でもれっきとした芸術作品なので別に大丈夫な気もしますが

こちらの作品は売春婦を主に描いていてそれを表すモチーフとして宝飾品や脱げたスリッパ、黒猫が傍に描かれています🐈‍⬛

宝飾品や脱げたスリッパ(正直そこ?という感はあるが)なら分かりますが黒猫🐈‍⬛がそういうモチーフとして用いられるのは知らなかった知識なので図録読んでて勉強になりました✍🏻

鮮やかな色調で花束を持っている人との肌の色の対比、体の塗りは単色しか用いておらず陰影がほとんどありません。

そう、これが印象派初期の特徴となります。


こう言葉だけ並べてみましたが想像するにはちょっと難しい……


写実主義とどう変わったかの具体的な画像が必要そうですね。引っ張ってきます


ドン…!



カミーユ・コロー「真珠の女」


写実主義の代表であるミレーの「落ち穂拾い」にするか悩んだんですけど女性の体の描き方で比較するならこちらの方が適切かなと

写実主義って正直暗い雰囲気で、私個人としてはあまり好んで見ないのですがリアリティと言えばこちらの方が説得力ありますね。

特に女性の体の彩色に注目して欲しいのですが写実主義は体が同一色で塗られてるのではなく影が有効活用されています。

これによって写真のように立体的に見せていたのですね。


こちらの写実主義が伝統だとすると新興の印象派が叩かれる理由が何となく予想できますね……

実際、マネの絵画は


「子供じみた絵で遠近法のような基本的な規則を放棄した」


と非難されています。

そして、印象派は公式サロンでは受け入れられませんでした。

他にも写実主義の絵画を見たいという方は画像の引用元であるこちらのサイトさんをどうぞ


②印象派へのモネの参入



クロード・モネ「庭の女たち」


ネットの画像だとなかなか画質や色味の問題があったので直接図録を撮影しました。
かなり上手く撮れたはず

1866年頃にモネによって描かれた作品です。

「青い睡蓮」や「ヒナゲシ」からは想像できないほどこの頃はまだ人の顔や背景がはっきりしていましたね。

それもそのはずこの頃はまだモネが極めて不明瞭な描き方に興味を持っていません。


この絵画で彼が注力したのは


緑地と布地への光の効果


です。

なんとこのタブローは縦に250cmあります。
そのため、部分的に屋外で描かれたそうです。

上部を描くためにカンヴァスをスライドさせるための溝を床に掘ったという……

こだわりが凄すぎる。

実際に目の前にお昼の風景が広がっているように見える絵画ですね。

③「印象派」は嘲笑から誕生した?


「印象派」という言葉が誕生したのは1874年4月25日、写真家ナダールのアトリエで35名の芸術家展が開かれた時だそう。

記者がモネの「印象ー日の出」を文字って嘲笑するために

「とても印象深かったので、その中には印象があるはずだ」

と冷笑したことから。

理解できそうでできないこの感じ フレンチ的な表現を感じます

印象ー日の出



クロード・モネ「ヒナゲシ」

しかし、その冷笑があった頃には既に印象派の技術は円熟し、確立されていました。

1873年制作の「ヒナゲシ」を見ると出始めばかりの頃とは違い背景や人物の抽象化に成功しています。

先程出したモネの絵画と比較しても顔のパーツの解像度が違いますよね。

一刻一刻と変わっていく要素の揺らめきを彼は生涯をかけて表現しようとしていました。


さて、ここから近代芸術が到来してくるのですが……


絵画も沢山見てきたので一旦本日はここまで、後編に続きます……お楽しみに!

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