神話が継続する国
世界からみた日本の不思議なところとして、神の直系の子孫が天皇で、この天皇制が現代の日本まで続いている事、があるそうです。
継続性の保持と大改革の併存、神話と科学の発展が同時に継続的に続いている事が不思議なんだそうです。
日本人は継続性を保持し、それがいかなることがあっても継続性が保証されていると信ずるがゆえに遠慮のない改革を平然をやってのけるのだ、と。
日本の神話
律令制を中国から輸入したとき、中国は神話と統治者とは無関係の国でしたが、中国の影響を受けると逆に日本は神話を集録して一種の聖典としました。なぜでしょうか?
●『古事記』…712年、天武天皇から稗田阿礼に伝授された内容を、太安万侶が万葉がなで記したことになっている。語部の語ったことを筆記した1つの物語。
●『日本書紀』…720年、天武天皇の皇子舎人親王が、天皇の命で編纂している。本文と別の伝承が並べて附加されている。
神話は天地創造から始まるが、東アジアでこういう体系的な神話を残し、その神話の主役の子孫とされる者が今も天皇である国は日本だけのようです。どの国にも神話はありますが、人間の世界と接続しません。
古代以来、中国にも神話がありますが、儒教が神話を否定し、代わりに聖人物語と歴史物語がその位置を占めるようになったからだと言われています。(儒教は神なしで成立しうる思想)
天地創造神話には「進化型」と「創造型」があると言われるが、日本の神話は、はじめ「進化型」で後に「創造型」というより「出生型」に変わっていきます。
進化的にまず、天ができ、次いで地ができたのだが、その地がまだ沈みきらずに水の上に浮いているようなときに、葦の芽のようなものが出てきてそれが神となった。
これが地から生じてきた「地神」でクニトコタチ(国常立)、クニノサツキチ(国狭槌)、ツヨクムヌ(豊斟淳)という三神で、「日本書紀」ではさまざまな名で呼ばれたことを記しており、それらは土地や自然現象、さらに草木等に由来するものと思われる。
それから四組の男女神が生まれる。最後に夫婦神イサナギ、イサナミの二神が生まれる。
イサナギ、イサナミは「大八洲国」八つの島を生んだ。
そして、山川草木を生んだのち、日神、月神、スサノオ、蛭児(ひるこ)を生んだ。
日神オオヒルメムチ、この女神がいわば太陽神アマテラスであり、天皇家の祖先とされる。
アマテラスの子、アマノオシモミミからニニギが生まれる。
ニニギが高天原から降りて着いたところが「日向の襲の高千穂峯」。これが「天孫降臨」。似た話がモンゴルにもあると言われている。
ニニギの子供、ヒコホホデミ。ヒコホホデミの子供のヒコナギサタケ・ウガヤフキアエズ。
ヒコナギサタケ・ウガヤフキアエズの4人の子供のうち1人が神武天皇と言われている。
こうして神話により天皇の正統性を伝えている。
《神々の系図》
第十代の崇神天皇は実在の人物としても、それ以前を史実として見ることは難しく、通常これを「闕史時代」といいます。
※闕史(けっし)時代…第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8代の天皇を指す。
唐から律令制を輸入するのと並行して、なぜ神話の集成ともいうべき「日本書紀」が宮廷の事業として編纂されたのか?
それは、中国は長い歴史を経た先進国で、正統性の理論は孔子・孟子によってすでに完成していたから。天子とは北極星を中心に整々とめぐる天の秩序を地上に再現すべき存在であり、最も徳の高い者にそれが可能だから、天がその者を天子に任命する。これが天命で、千年近い歳月を経て1つの伝統となっていました。
日本にはそういった思想も伝統もなかったので、律令制を導入するという大きな改革を実施するにあたって、その主導権を発揮する天皇の正統性は何に基づくかという疑問を、卑弥呼の時代から五百年以上続く祭儀権と継承性とその祭儀の対象である神話の神々たちに求めることがごく普通の帰結だったからでしょう。そのため、正統性を根拠づける書として「日本書紀」が編纂されたとみてよさそうです。
【感想】
冒頭の『日本人は継続性を保持し、それがいかなることがあっても継続性が保証されていると信ずるがゆえに遠慮のない改革を平然をやってのけるのだ』ですが、言われてみれば確かにその感覚があるなと気がつきました。
侵略された事がないからなのか、平和ボケしているのか分かりませんが、こんなに地震が多く、最近は災害も多いのに、何故だか、このままの生活が継続していく気がしていて怯えたり焦ったりしません。
また、近隣の国と違い、神話から人の時代へと続いている国、というのも面白い。
何かを終わらせず新しい事をはじめる。やる事がどんどん増える。
自分の会社みたいだとちょっと思いました。これも太古からの習慣なのか…?
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