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「かな」は日本文化の源

「日本人とは何か。」、今回は飛鳥〜奈良時代に生まれたとされる「かな(仮名)」です。

平安時代までの日本は、中国文化を取り入れることに躍起になっていました。現在の日本にある文化も、多くが中国が起源になっています。
そんな中で本当に日本の創造的な発明は「かな(仮名)」だったそうです。

「かな」が無ければ、日本文化も、そして現代の日本もないと言われるほど‥。


「かな」の基本的な功績

・自分の考えを自分の言葉で書き記すこと、何の束縛もなく自由自在に記すことができるようになった

・広く庶民まで普及して識字率を高めた

・和歌・俳句を生み出して日本的な感性を育んだ


東アジアの「漢字」とは

中国の漢字は、身分と経済上の枠を設けて大衆を寄せ付けず、『難』という敷居があった。この高い敷居だけでも、十余年の勉強をしないと用意に越えられるものではない。やっと踏み越えた者が士大夫したいふ(支配階級)であり、文字をより一層難しくしようとする。
難しい事が士大夫を尊厳ならしめ、平凡な士大夫の上に一段と頭を出させることになるからである。
漢字を知る物は尊厳な者で支配階級になる。これは中国・韓国の特徴でもあった。

士大夫したいふ‥科挙官僚、地主、文人の三社を兼ね備えた者。

漢字は特権者に限られ、平民にいたっては文字を知らない。学資が足らないのではなく、文字は特権者のものであったから、尊厳を持つようになり、エジプトのヒエログリフと同じ様に神秘性を持つようになる。

日本の「かな」とは

一方「かな」には尊厳性も神秘性もない。日本は、日常や公式に必要なだけの漢字を学ぶ。中国の漢字を覚えるを大変に感じたので簡単にして、書簡や覚え書きなどを記すのに庶民一般にも都合がいいようにひらがなを作っていった。
公式書簡などは別だが、私的な手紙では、信長も秀吉も家康もまるで「かな文字論者」のように仮名が多い。


万葉がなで記した「いろは歌」

「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」
〈色は匂へど散りぬるを,我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山 今日越えて浅き夢見じ,酔ひもせず〉

<いろは歌の元になったふたつの和歌>

「咲く花の 匂へど散りぬるを わが世誰ぞ と言うぞはかなし
常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔ひもせず」


「かな」は、意思と伝達と心中の思いを表現する手段に過ぎず、学ぶのに別に「難」という敷居もない。
だから、特権者だけでなく庶民まで広く使えるようになり、『古事記』『万葉集』『竹取物語』『源氏物語』『伊勢物語』『平家物語』『徒然草』に至る「かな古典文学」ともいえるものが創造された。

仮名が無ければ、日本はなく、当時超先進大国の中国の漢字文化の中に包摂ほうせつされ埋没してしまったかもしれなかった。漢字を手なずけて日本語の文字にできなければ、最初に失うのは詩と歌だったはずで、和歌を漢文にすれば死んでしまう。

日本人は、「かな」による自国語の世界に生きつつ、同時に漢字という当時の東アジアの「世界文字」に繋がって生きていた。そしてこのように独自性と普遍性を併せ持つことで日本の文化は形成されていった。

「かな」が日本文化を作り、「かな」は日本を作ったといえる。

この創出がなければ日本は存在しなかった。近代化・工業化にも多大な困難を伴ったであろう。

〔感想〕
まず、「かな」って、こんなにも日本にとって重要で大切なものだったんだ!!という事ですね。教えておいてよ!!と心の中で思いました。
このnoteの文字も、この頃に、かなを作ってくれたおかげで書けているし、自分や日本人の感性にも多大な影響を与えているはずですね。
そして、いろは歌をはじめ、和歌って本当に美しいな…と思いました。
いろいろと、目で読むだけでなく、声に出して読んでみたい。
中国の漢字と違い、難しくなかったこともあり、庶民にもひろがり、それによって識字率が高くなったと…。功績があり過ぎる…。「かな」、素敵!!

参考にさせて頂いている本です📙

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