2月(下) 理想の自分探訪
理想の自分ってなんだろうか。
未だ思春期を引きずっているのか、立場や役割を度外視した抽象的な意味での「理想の自分」について、最近よく考えます。
職場での自分、家族にとっての自分ではない自分。平たく言えば、本当の自分でしょうか。書いてみて思わず笑ってしまいましたが、確かにそういうものを知りたがっている。
むしろ、知ることで安心したがっている。自分に対する無駄な期待をしたくないと思っている。見当違いの努力をして、時間を無駄に過ごしてしまうことを恐れている。無駄が意味するところをよく分かっていないくせに、漠然とそう思っている。
本当の自分(そういうものがあるとして)について考える時、一番に思い浮かぶのが、誰かと向き合って話している時の姿。陽の当たる小さな部屋で雑談をしている。歴史や小説の一部を引用して、何やら助言をしているようにみえます。
自分の頭の中の引き出しから、その人に合ったものを取り出し、組み合わせ、結果として目の前の誰かの力になっている。そうありたいという、ザックリしたイメージがある。
そこはとても静かで、壁は白く、大きな窓がある。テーブルには質素なコーヒーカップが置いてある。スーツを着ている感じではなくて、気を張っておらず、対等に話をしている。パソコンなどの電子機器は手元になく、代わりに小さなノートと、何冊かの本。
これが具体的な仕事を指しているのか、はたまた日常のワンシーンなのかは分からないけれど、理想の自分を考える時に決まって浮かぶシーンです。
このイメージを仮に仕事と捉える場合、今の職場はあまりにもかけ離れていて、日常と捉えるならばシチュエーションがますます意味不明です。
イメージしているものが、そのまま現前するかどうかも分からない。けれどもこの頭の中にあるイメージが何なのか、人生のどこかで答え合わせがしたいという気持ちでいます。
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藤原辰史さんの『分解の哲学-腐敗と発酵をめぐる思考-』を読みました。
うまれた瞬間から死に向かっている、崩壊に向けて歩んでいるという、昨今の進歩主義的な風潮に真っ向からぶつかるような内容。
死とは、分解されて新たなものの一部に生まれ直すこと。積み木、ゴミ処理、SF小説などを引き合いに論じており、ぐいぐい引き込まれました。
個人的にはフレーベルと積み木の章がお気に入り。積み木が崩れ落ちる音、そして散らばったそれぞれが次の創造を予感させる。三島由紀夫『金閣寺』を思わせるような内容。
結局人間も、自我があるだけで世の中の循環の一つの材料でしかないんだな~と気楽になった反面、人間的な意味での生まれてきた意味を見つけたいという欲望にも、逆に向き合わされる本でした。
また更新します。
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