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30年日本史00660【鎌倉中期】鉢の木の伝説

 北条時頼の伝説はまだまだあります。恐らく後世の創作でしょうが、時頼は執権を引退した後、出家し、幼少の時宗を連れて全国を行脚したというのです。
 時頼が旅先で知り合った庶民から、
「土地を奪われ、訴訟を起こそうと掛け合ったのだが、取り上げてもらえない」
との話を聞きました。そこで時頼は身分を隠しつつ、
「私は卑しい身分ではありますが、かつて高貴な人に仕えていたことがあります。その人に手紙を書きますから、手紙を持って鎌倉に訴え出てみてはどうでしょう」
と言って手紙を渡しました。半信半疑で鎌倉に訴え出てみると、訴訟を取り仕切る公文所の役人は時頼直筆の手紙を受け取って驚愕しました。その訴訟は無事に取り上げてもらうことができ、所領は無事に返ってきたといいます。
 もう一つの有名な伝説が「鉢の木」というタイトルで能の題材になっています。時頼が子の時宗を連れて佐野荘(栃木県佐野市)にやって来たとき、大雪が降っていました。雪に悩む時頼父子を、あばら家に住む武士が招き入れ、一夜の宿を提供します。武士は佐野常世(さのつねよ)と名乗り、なけなしの粟飯を出しながら、
「私はかつて三十余郷の所領を持つ身分であったが、一族に横領されこのように落ちぶれてしまったのです」
と身の上を語ります。話をするうちに薪が燃え尽きてしまいます、継ぎ足すべき薪もなく、常世は松・梅・桜の三鉢の盆栽を出してきて、
「かつて集めた自慢の品でしたが、今となっては無用のもの。これを薪にいたしましょう」
と言って火にくべました。そして
「今はかかる身の上でありますが、あのように鎧と薙刀と馬だけは残してあるのです。いざ鎌倉というときが来れば、馬に鞭打っていち早く鎌倉に駆け付け、命がけで戦う決意です」
と述べました。
 年が明け、突然召集を受けた常世は鎌倉に駆けつけ、時頼の御前に呼び出されます。時頼は、
「あの雪の夜、旅の僧として貴殿の宿を借りたのは自分である。言葉に偽りなく、馳せ参じてくれたことを嬉しく思うぞ」
と語りかけ、失った領地を返した上、鉢の木にちなんで3ヶ所の領地
・加賀国梅田庄(石川県金沢市梅田町)
・越中国桜井庄(富山県黒部市三日市)
・上野国松井田庄(群馬県安中市松井田)
を新たに恩賞として与えました。
 ちなみに佐野常世の領地は栃木県佐野市鉢木町と群馬県高崎市上佐野町それぞれにあり、前者には常世の墓が、後者には常世を祀る常世神社があります。

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