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30年日本史00148【古墳】古墳時代概観

 今回から古墳時代に入ります。考古学的な意味での古墳時代は3世紀から7世紀までを指すのですが、本稿で扱うのは第26代継体天皇即位(507年)から第32代崇峻天皇崩御(592年)までです。この時代の天皇は以下のとおりです。
・第26代継体(けいたい): 在位507~531
・第27代安閑(あんかん): 在位531~535
・第28代宣化(せんか): 在位535~539
・第29代欽明(きんめい): 在位539~571
・第30代敏達(びだつ): 在位572~585
・第31代用明(ようめい): 在位585~587
・第32代崇峻(すしゅん): 在位587~592
 この時代になると、(疑義が生じるところはいくつかあるものの)日本書紀の年代が概ね信用できます。20年以上ずれるということはまずないでしょう。
 初期の天皇は存在自体が疑われたり、
「もしかして途絶えてるんじゃないの?」
と万世一系が疑われたりするところがありますが、継体天皇以降の血統のつながりについてはほぼ疑いはありません。まあ、稀に「明治天皇は全然違うところから連れて来られた幼児だった」などという説を繰り出す人もいますが、まあそれは無視するとして。
 さて、古墳時代の終焉をなぜ32代崇峻天皇崩御に置いたのかといいますと、飛鳥時代の始まりを592年の33代推古天皇即位に置く研究者が多いからです。古墳時代の次が飛鳥時代だから、
「古墳時代の終わり=飛鳥時代の始まり」
と考えたというわけです。
 しかし、厳密に言うと、古墳時代と飛鳥時代は必ずしも連続するわけではありません。
そもそも「古墳時代」というのは考古学上の概念であり、一方「飛鳥時代」というのは歴史学上の概念です。両者は別々の学問で形成された時代区分ですので、数十年程度の重なりを持っているのです。言い換えれば、飛鳥時代になってからも古墳は作られているので、飛鳥時代の前半は古墳時代の末期と重なるというわけですね。
 とはいえ、読者の便宜のために、どこかで区切りを設けねばなりません。そこで今回は、崇峻天皇崩御をもって古墳時代終了とみなすことにしました。
 古墳時代後期には、大伴(おおとも)氏、物部(もののべ)氏、蘇我(そが)氏といった有力豪族が次々と登場し、政策決定に重要な役割を果たすようになります。それらの勢力争いが、時に武力衝突や暗殺事件を引き起こすようにもなります。
 まずは、皇位継承者が突然よそからやって来る、継体天皇即位から書き始めます。

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