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ミシシッピ川(Mississippi River)

 マーク・トウェイン(1835年ー1910年)は、トムソーヤの冒険などを書いた小説家であるが、彼の生い立ちにこうある。

夏の霞の立ち込めたミシシッピ川の船上でハック達(木こりや、それに従事するもの?スラングです)の様子を観察していると、酔っぱらった一人が退屈な歌を歌い出し、みんながやめろ!といった。腹を立てた歌い手は、飛び上がり悪態をつき勝負を挑む。勝負といっても、三度空中に飛び上がり踵を鳴らすダンス。それを見せて自慢する。下がれ!俺のを見やがれと、粋なセリフを吐き、同じダンスをする。すると次の男が叫び出し、俺のを見やがれと荒々しく自分の胸を叩きながら登場し、例のダンスをふみ鳴らし、ウォー!と叫んだ。スローチハットを右目の上まで傾けて、再度喧嘩を始めると。シャドーボクシングの様な仕草を見せ、見てろよ!ともう一度飛び跳ねて踵を揃えて3回鳴らす。

これは、良いコントを見てる様な、天丼ぶりだ!!

荒くれ者が多かったであろう、この地域と移民達、彼らの暇を持て余した遊びだったのであろうか。

ジョージ・カレブ・ビンガムの作品に鮮やかに表現された作品が多数残っている。

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どうやって踊れる様になったかわからないこのダンスは、仲間と一緒にいるときに踊られたもので1840年代にはほとんど見られなくなった。それは蒸気船がミシシッピ川の平底船に取って代わられてしまったからだ。高く上がったデッキの上で、ダンサー達は音響を拡大して両足をふみ鳴らす。アイルランド人のテンポの速いジグのコンテストには、スピードや正確性が求められ、それを評価するためにステージ下には寝転んで陣取っているとある。

当時のアメリカはミズーリ協定など、高度成長と米英戦争から南北戦争へ、奴隷制度反対協会が活動を始めたりと、経済政治の両面での対立が見られる時代。アイルランドの若い人々も例外なく夢をもちアメリカへ移住していたことであろう。この頃に南部で生まれたとされる、リズム&ブルースも、ミシシッピ川を含め、デルタ地帯、テネシー、テキサス、ミズーリを含め、ブルースの原型が北部へと伝わっていき、今日のブラックミュージックの礎となるのだが、ダンスも然り。南部に多くいた黒人奴隷たちの持つ、土着的、文化的ダンスとアイリッシュダンスが混じり、タップダンスが出来上がった説は有力であろう。

今商業的に踊られているリバーダンスは、アイリッシュダンスのようでそうではないらしいが、非常にルーツを感じる。(てかすごく似てますけど?)

またまた、名前がリバーダンスって。何か、このミシシッピ川と関連があるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。(笑)

ビル・ボージャングル(初期の黒人タップダンサー)の作品で、好きなのが映像で残っつている。

これは、蒸気船に取って代わられてはいるが、当時の世俗を映像に昇華させたのではないだろうかと推測する。

ここで、私は思うのであります。

静かで雄大なミシシッピ川の船上。波の音、小鳥たちの鳴き声、森や風に包まれた静寂の中でふみ鳴らすステップの音はさぞ気持ちよかっただろうな。(蒸気船はうるさい笑)

そして、連日酒を煽り、仲間たちとの船上での、ショーとコント、大声で罵り合い笑い合い、ダンスをふみ鳴らす。それは、厳しい肉体労働の影にある、夢と希望の詰まった若者たちの青春のストリートダンスだったのかもしれない。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます!!


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