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【フュリオサ】は本当に怒りのデスロードの前日譚と呼べるのか?

#ネタバレ

怒りのデスロードを観直して、改めて思ったのですが、映画フュリオサがMMFR(怒りのデスロード)の前日譚だと言うのは大ホラですよ。(笑)

以下、ネタバレを気にせず語るので未見の方はブラウザバック推奨します。


映画では最後にMMFRのワイヴスと名場面集を見せることで誤魔化されそうになりますが、本作ではフュリオサとイモータンジョーの因縁をほとんど描きません。

例えばMMFRで示されるフュリオサの背中に焼印が付けられた経緯も、フュリオサが脱走をredemption(贖罪)と言った理由も語られません。せいぜいロボアームと坊主頭になった理由くらいですよね。

それで《表面しか見えない一部の人達には「ただカーチェイスしてるだけ」と揶揄されるが実際には結構意味深なセリフの応酬で深みを出してアカデミー作品賞・監督賞ノミネートまで昇り詰めた大傑作》であるMMFRに、直接つながる物語を名乗るのは、ちょっと言い過ぎでしょう。

https://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuriosa/about.html

改めて、公式サイトの宣伝文を読んでみましたが…

・戦士フュリオサの原点が描かれる ←まあ、わかる。

・驚愕のラストで初めて怒りのデスロードが完成する ←ちょっと納得できない。完成はしてないよ。笑

…と言わざるを得ません。


分かりやすくするためにスターウォーズに例えると…

フュリオサはMMFRの前日譚だと聞かされてたけど、実際はエピソード1と2を無理やり2時間にまとめた版で、私が本当に観たかったのはエピソード3だったんだけどなあ…ちなみにローグワンに当たるストーリーはコミックブックで読んだよ!

…って感じですかね。

なおエピソード1、2だと割り切れば映画フュリオサは十分面白い作品です。

でもMMFRに渡すにはエピソード3が必要です。

MMFRでフュリオサは、Remember me?って言うくらいだから、名前を覚えられなくて屈辱だった過去が必要です。でも本作でイモータンジョーはむしろフュリオサの恩人ポジションになっています。

MMFRでフュリオサは、Redemption.って言うくらいだから、何か悪いことに手を染めた描写が必要なんですよ、本当は。(EP3でアナキンがフォースの暗黒面に堕ちたように)でも本作でフュリオサは悪行らしい悪行はしません。バイクを壊したり、言葉が話せないと嘘をついたりはしますけど、それはあくまで身を守るため仕方なくやったことです。

つまり、このあとイモータンの下で闇堕ちして悪行や罪を重ねながら運転手から大隊長(インペレイター)にのし上がるストーリーが必要になるわけで、それを語らずして、何がMMFRの前日譚なのか?というのが私の率直な感想となります。

まあRemember meについては、イモータンは当時10歳前後のフュリオサを青田買いでワイヴスにスカウトしておきながら、フュリオサは逃げ出しても大事にならず忘れ去られて、そのままシタデルで整備工として働き続けて、なんなら運転手になってイモータンと顔を合わせるようになっても気づかれなかったようなので、Remember meと言いたくなる気持ちはまあ分からなくもない…って、いやいや、それだと自分から望んでワイヴスを選んだことにもなっちゃうし、あのセリフの気迫はそんな出来事から来てるモノじゃないでしょー?(苦笑)と感じます。

SNSで「MMFRにつながる完璧な作品!」とか書いてる人は、何をもってそんなことを仰るんですかね。。。


怒りのデスロードを完成させたいなら、VERTIGOから出版された漫画版の方がずっとオススメですよ。ジョージミラー原作で非常に面白いです。

まあ、そこでさえもフュリオサの過去は明確に語られない部分はたくさん残りますけど。…それよりも現在は日本語翻訳版の入手が困難らしい方が問題ですかね。

そこでワイヴスから「お前も昔は私達と同じだったんだろ!」と言われて、フュリオサは肯定も否定もしないので、彼女の履歴は謎に包まれたままです。


映画フュリオサはね、別にMMFRと同じものを目指さなくても神作になるポテンシャルは十分にあったと思うんです。

でも、本作では肝心のストーリーテリングが少し雑だったというか、本来向き合うべき大事な問題から目を逸らして、MMFRに全く影響しないディメンタスの物語にしてしまったのが敗因でした。あんな毒にも薬にもならないストーリーでは、映画のドラマ性が大したものになりません。

アクションの連続性や興奮を削ってまで、フュリオサの人生ドラマにアプローチした作品だったなら、もっとドラマを劇的にするべきだったと思います。アクションとドラマのどちらにも全力投球できなくて、中途半端な作品になったと、個人的には思います。

本作を高評価する人達の中には、本作はMMFRと異なり《神話》の構成であることが称賛に値すると言う人をSNSでたまに見かくます。しかし、うーん…まあ《不都合なことを語らない》という点では神話っぽいとも言えるかもしれませんねーと皮肉な返ししか思いつきませんでした。

本当に神話らしさを追求するなら、最後だけじゃなくて劇中ずっとヒストリーマンに語り部をさせるべきだったでしょう。


もしかして、2015年と随分昔のことだから思い出補正されているのかもしれないと不安になって、自宅の4KブルーレイでMMFRを再視聴しましたが、やっぱり神作でした。

だから映画フュリオサは《普通に良い》止まりの平凡なスピンオフ、というのが私の当座の結論となります。

◆2024年6月4日追記:

対案なき否定はダサイ、が信条なので、代替案を書きました。
こっちの方が面白い映画になると自信を持ってますので、どうぞご査収ください。

死の危険を冒して、大隊長の身分を捨ててまで、若い女達をグリーンプレイスに連れて行くことを、Redemption(罪ほろぼし)とまで言ったからには、彼女は過去にものすごい悪事または後悔した出来事があったはずなんですよ。それを考えてストーリーに入れました。
👉【フュリオサ】のストーリーはこうするべきだった!【脚本修正】

(了)


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