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フレンチ・ディスパッチの感想と本作におけるパイについての考察

▼140字感想:

当たり障りのない感想はTwitterに書きましたので、このnoteでは本作の3つのパイについて考察していきます。

▼幾重にも織りなす構造:

正式タイトル:
フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊
The French Dispatch of the Liberty, Kansas Evening Sun

本作は編集長が死去した架空の雑誌の最終号の紙面に準じた形で、まさに雑誌の記事のようなオムニバス形式を取っています。映画としては珍しいくらいに長いタイトルは一種の国民性ジョークになっています。

タイトルの「フレンチ・ディスパッチ」とは何なのか、映画の最初にモノローグで簡潔に紹介されます。

“The French Dispatch”: a factual weekly report on the subjects of world politics, the arts (high and low), fashion, fancy cuisine/fine drink, and diverse stories of human-interest set in faraway quartiers. He brought the world to Kansas.
『ザ・フレンチ・ディスパッチ』。それはノンフィクションの週刊誌。世界の政治、芸術(ハイソサエティからサブカルチャーまで)、ファッション、素敵な料理や上質な飲料、そして遠くフランスのカルチエ地区で起こった人々の興味を惹く多種多様なストーリー。彼(編集長)は世界をカンザスに届けたのだ。

そんなフランスのある町の時事や文化を伝えるカルチャー雑誌なので、最初は自転車乗りの記者によるフランスのとある街(アンニュイ=シュール=ブラゼ, Ennui-sur-Blasé)の紹介から始まるわけです。そしてそこから先は3つの(様々な形の愛に関する)記事が描かれます。なお雑誌も架空の存在ですが、このアンニュイ=シュール=ブラゼも架空の街です。

ただし、映画では冒頭と終幕に編集長のダイジェスト的な紹介と彼の死後に記者が集まって訃報を書き上げる描写がある上に、3つの物語はそれぞれ講演会・執筆中・テレビ出演という異なるタイムラインに即して進められ、更にはウェス・アンダーソン監督らしい演劇的・絵画的な見せ方(見たて)も多用するので、二重構造や三重構造もしくは四重構造の時間軸を行ったり来たりする構成になっており、まるでパイやミルフィーユのような様相を呈しており、やや物語が把握しくいかもしれません。

おまけにラストは本作の架空の雑誌のモデルになった『ザ・ニューヨーカー, The New Yorker』の実在の記者や編集者への献辞(●●へ捧ぐ)がリストアップされるのですが、この場面は私も前提知識ゼロで観たので唐突に出てきた名前が誰なのか初見時は分かりませんでした。なんとなく実在の人物であろうとは察しましたが。ということで最後の最後にもう一層メタ描写を追加しているのです。それに続くエンドロールでの複数の表紙絵も、もしかしたら元ネタがあるのかもしれませんね。

本作の架空の雑誌の創立者であり編集長は、ザ・ニューヨーカーの創立者をモデルにしているそうです。彼のパーソナリティは映画の冒頭で素早く描かれます。

ALUMNA (a cum laude alumna): Berensen’s article. “The Concrete Masterpiece.”
PROOFREADER (coolly): Three dangling participles, two split infinitives, and nine spelling errors in the first sentence alone.
HOWITZER (taking exception): Some of those are intentional.

(高学歴な)卒業生:ベレンセンの記事『確固たるコンクリートの傑作』はいかがでしょうか。
校正係(冷たく):分詞の時制に揺らぎが3つと、使われてない不定詞が2つと、1つ目の文章だけでスペルミスが9個ありました。
ハウイッツァー編集長(反論の構えで):いくつかは意図的なものだろう。

ALUMNA: The Krementz story. “Revisions to a Manifesto.”
STORY EDITOR (darkly): We asked for twenty-five hundred words, and she came in at 14,000, plus foot- notes, endnotes, a glossary, and two epilogues.
HOWITZER (definitively): It’s one of her best.

卒業生:クレメンツの記事です。『マニフェストの修正』。
編集者(暗い表情で):2,500字で発注したのに14,000字も書いてきました。さらには脚注と後書きと用語集と2つエピローグまで付いてます。
ハウイッツァー編集長(譲らない態度で):彼女の最高傑作の一つになったな。

ALUMNA: Sazerac?
LEGAL ADVISOR (defeated): Impossible to fact-check. He changes all the names, and only writes about hoboes, pimps, and junkies.
HOWITZER (entranced): These are his people.

卒業生:サゼラックの記事は?
法務担当者(うんざりして):事実の確認ができません。個人名は全て伏せられているし、しかも浮浪者とポン引きとヤク中の話だけです。
ハウイッツァー編集長(うっとりしながら):彼の仲間なんだよ。

ALUMNA: How about Roebuck Wright?
CHEERY WRITER (encouraging): His door’s locked, but I could hear the keys clacking.
HOWITZER (firmly): Don’t rush him.

卒業生:ルーバック・ライトの記事はいかがでしょうか。
書かない記者チェリー・ライター(励ますように):ドアには鍵が掛かってる。でもタイプライターの音は聴こえたよ。
ハウイッツァー編集長(キッパリと):彼を急かすんじゃないぞ。

このように最初の会話だけを取っても編集長の寛容さや信念が見て取れますし、彼が発言すると、全員が「ふーん(Hmm…)」と頷いてスンナリ会議が進んでいくことからも、彼が社員から絶大な信頼を置かれていることが分かります。

ALUMNA: The question is: who gets killed? There’s one piece too many, even if we print another double-issue, which we can’t afford under any circumstances.
HOWITZER: Shrink the masthead, cut some ads, and tell the foreman to buy more paper. I’m not killing anybody.

卒業生:問題は、誰を切るかです。これは1冊に収めるには多すぎます。たとえ定期号とは別に増刊号を発行したとしても収まりません。まあ、そもそも財政的にそんな余裕は無いのですけど。
ハウイッツァー編集長:発行人欄を圧縮して、広告をいくつか切る。それと発注担当者にもっと紙を買うように伝えろ。誰一人だって切らないぞ。

映画の開始数分で本作のテーマは提示されていたのです。これに加えて幕間に描かれる記者と編集長の会話はどれも編集長が記者のワガママや初期衝動を尊重してやるものになっており、ここからも本作はジャーナリズムへの応援歌であり愛情表現であることが読み取れました。

▼文字数の多さが意識している対象:

本作は雑誌や編集長の紹介をモノローグで語りながら、目の前ではウェイター風の男が建物を器用に登っていく様子がクレイアニメーション風に面白おかしく描かれるシーンから始まるのですが、常人が日本語字幕を完全に理解して読み進めながらでは、この映像的な面白さは味わえないと思われるスピード感です。

残念ですが、アンダーソン監督は英語が喋れない人は置いてけぼりにすることも辞さない姿勢だと言えるでしょう。英語話者にさえ対応しておけば、世界市場で十分パイは確保できるので、こんな極東の島国のローカルな人々など気にしなくても良いのです。日本の文化自体は好きらしくて作品に結構取り入れていますけれどね。『犬ヶ島』では『七人の侍』を引用したり、かなり影響は受けている筈です。

本作では英語と仏語を縦横無尽に行ったり来たりするのも魅力になっています。基本的に演者は英語を話すのですが、時折仏語を話す瞬間があります。そんな時にはいつも画面上にかなりクセの強い配置で英語字幕が出てきます。この英語字幕の配置も、いかにも海外の文化雑誌らしいファッショナブルな配置になっていて、これを目で追って読むのが楽しかったりします。

たとえば『確固たるコンクリートの傑作』の中で、電気椅子で殺されることを懇願する画家を、女性看守が説得(説教)する場面が顕著だったので別記事で詳しく解説しました。興味がある方はそちらもご覧ください。

今回は日本の映画館で鑑賞したので日本語字幕が出るのは止むなしですが、ぜひ自宅でパッケージソフトやストリーミングで字幕なしの状態で観たいと思わずにはいられませんでした。突然異国語を話すから面白いんです。日本語吹替でも仏語の部分は仏語のままになったら神対応かなと思いますけど、どうなりますかねー。日本語で話してるのに部分的に英語字幕が出る、というのもそれはそれで面白そうですけど。

▼まさかの体当たり演技:

正直レア・セドゥがここまで体当たりの演技をしているとは想定外でした。たしかに彼女は『アデル、ブルーは熱い色』で一躍スターダムにのしあがった女優(カンヌ映画祭で史上初の女優としてのパルム・ドール受賞)なので肝が座っているのは知っていましたが、ここまで評価も知名度も上がった今でも体当たりでやるんですね。女優魂を見た思いです。007では全く見せようとしなかったので意外でした。

今回調べて分かったのですが本作の撮影が2018年11月なのに対して、彼女は2017年1月に第一子を出産していたようです。出産後にヌードになるのは以前よりも勇気がいるんじゃないでしょうか。本当に余計なお世話だと思いますが、プロポーションはもとより妊娠線もなく綺麗なお腹だったのでお子さんがいたことに映画本編以上に驚きました。

ポージングはかなり奇抜で、一歩間違えればギャグになってしまいそうな所ですが、これをモノクロで表現していたことでアートとして成立していたと思います。また、劇中で画家の作品が示される時だけカラーになることで、画家の目線フィルターを通して彼女の色鮮やかな裸体を私達もまた見ることになる、という演出には痺れました。そういえば天井から吊るされているポージングがありましたが、壁画の中に一枚ちゃんと天地が逆転していそうな作品がありましたね。芸が細かいです。笑。

最初に絵を描いていた時に、絵の具を腹部に塗りつけてきてピシャリと手で払うのも可笑しかったですが、時間切れのベルが鳴ったら、それぞれユニフォームと拘束衣にいそいそと着替えるのも可笑しかったですね。

それから、地味にティルダ・スウィントンもぶっ込んできたのは笑いました。彼女の場合は撮影当時58歳なので、流石にボディダブルを使ったコラ画像だったのかもしれませんが。4Kの劇場で観ていても、ややピンボケな映像になっていた気がするので真相は永遠に藪の中になりそうです。笑。なんというかこうしたオバサンいじりは『グランド・ブダペスト・ホテル』から一貫したユーモアですね。

あのぶっ込みは物語上ほとんど意味があるとは言えません。その後のシーンで編集長と経費精算する際に「編集長の別荘を執筆活動に使った。当時の画家とのロマンスを思い出すために必要だった」と交渉していたので、おそらくそういう時期の写真だったのでしょう。あえて意味を与えるとしたら、講演会では画家と看守の愛の物語を話しながらも、自己顕示欲を抑えきれずわざと「間違ったスライド」を忍ばせていた、という彼女の人物描写だったのかなと私は感じました。出てきた時も全然驚いた様子がありませんでしたし。笑。

別に語るほどのことでもないですが、ティモシー・シャラメとリナ・クードリも一部体当たり演技がありました。シャラメのバスタブのシーンとかは特に初々しい感じがよく出ていました。

実はシャラメについて語り始めると、少なく見積もってもR15指定くらいまでエロレベルが上がってしまうし、本稿のテーマである「パイ」から離れてしまうので別記事にしました。興味がある方はそちらもご覧ください。

= = =

一応、まとめとしてタイトル(パイ)回収をしておきます。

  • 物語の構造がパイ生地のそれである。

  • 監督は英語話者でパイ(π)は十分あるという姿勢である。

  • 男も女もオッパイ露出を辞さない体当たり演技である。

このくだらない投稿に最後まで付き合ってくださり、お礼申し上げます。1つ目はややこじつけになっていると自覚はしています。面白かった方は高評価やコメントで意思表示してくださると嬉しいです。

了。

この記事の画像で特に明記してないものは、全てフレンチ・ディスパッチの公式予告編(日本語字幕なし)から引用しました。

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