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河瀬直美の東京大学入学式祝辞を読み解く

映画作家である河瀬直美の東大入学式祝辞はロシア擁護であるという批判がありました。部分的に切り取ればロシア擁護にも聞こえますが、それは『悪意のある切り取り』であり、全く本質を突いていません。

彼女が言及したのは「視点を変えれば正義が悪に変わりうる」という普遍的な教訓であり、ロシアを擁護も非難もしていません。

▼全体の趣旨を捉える

やや長い文章であり、映画作家らしく倒置法をガッツリ使用したものなので、あまり勉強や国語が得意でない人には難しすぎるものだったかもしれません。一度私の方でTwitterに乗せられる程度まで短くまとめてみました。

要約:
皆さん入学おめでとうございます。
私は学問ではなく映像を探求しました。
(*27歳の時にカンヌで史上最年少で新人賞を受賞しました)

人が持てる「窓」は一つまでです。
その窓によって「真理」が決まります。

世界遺産の金峯山寺の節分では「福はウチ、鬼もウチ」と言います。
ここに世界の捉え方のヒントがあるかもしれません。
私にとっての「鬼」は誰かにとっての「福」かもしれない。
逆に、私が誰かの鬼になりうることに注意していきたいです。

私が自分の窓で真理を掴み取れた時は感動しました!
皆さんも自分の窓を大切にして真理を探究してください。

これのどこにロシア擁護があるのでしょうか。

▼構造を分析する

河瀬直美の東大入学式祝辞はまるで映画の脚本のような構成になっています。最初にエピソードが示されて、次に関係なさそうな話題に飛んで、どこか根底で同じテーマを扱いながら、最後に冒頭のエピソードに帰ってきます。とても良いと思います。

先程より、もう少し詳しく口語体で意訳しました。

簡易な意訳:
入学おめでとう。コ●ナ禍で大変なのによく頑張りましたね。
私もカンヌを27歳という史上最年少で獲った時にも言われたけど、今日はお祝いムードでいいから明日からは日々成長を目指して精進してね。

私今年で53歳なんだけどマジで昭和平成令和って激動だったのよ。世界の常識が変わり続けたから。でも私の育ての親は太平洋戦争を経験した年配者だったこともあって継承とか信仰の大切さは心得ているつもり。

私はあなた達くらいの若さで「映像」に出会って、初めて8ミリフィルムカメラを回したときに世界を実感したの。まさに世界の真理に出会ったっていう感じ。私の場合は世界に「名前」をつけてやるって感じでもあったかな。

映像にのめり込んだ私だったけど平成令和は情報化社会で一つのことに集中するのが難しい時代になった。そんなとき映画人の先輩から「一つの窓で見つめ続けろ」ってアドバイスを貰ったの。マジでハッとした。それこそが自分だけの「真理」を見つける方法であり、オリジナリティなんだって。

奈良の東大寺は華厳宗なんだけど、小さいものの中に無限の宇宙が見えるって説いてる。つまり「私は私の窓から見えたものしか他人には語れない」ってこと。だから自分の窓はマジで重要だよ。

いま世界はバランスを失ってる。私も頑張ってるけど映画一本じゃ世界は変わらない、それが現実。
世界遺産の金峯山寺では山から伐ってきた様々な種目の大樹がそのまま柱として使われている。色んな存在が皆で協力して建物を支えてるってわけ。まるで人間社会そのものよね。そこの館長がこんな言葉をボソリと言ったの。
「僕は、この中であれらの国の名前を言わへんようにしとんや」
金峯山寺では鬼を諭して弟子入りさせたという伝説があって、今でも節分では「福はウチ、鬼もウチ」って言うのよ。すごくね?
つまり館長の言葉は、私の勝手な解釈だけど、ロシアを悪者にするのは簡単だけど、彼らにも彼らなりの正義があるんじゃないか。それがウクライナの正義とぶつかってるときにどうすればいいか。なぜそれが起きたのか。一方的な意見に流されてないか。片方を悪だと決めて思考停止してないか。…ということが言いたかったんだと思ってる。
人間って弱い生き物でしょ。だから自分の国を守るためにどこかの国を侵攻する可能性があることをよく自覚して、自戒も込めて、自分たちがそうならないように気をつけたい、と私は思ってる。

私があなた達と同じくらいの歳の頃、おばあちゃんを撮ってる時に私は真理を掴んだの。自分の中に冷静に世界を見つめる客観的な私と、おばあちゃんの肌に触れている主観的な私を見つけたわ。そこからファインダーを通して世界中のあらゆるものを掴めるようになった。マジで感動したんだから。それが今まで続くフィルムメイカー河瀬直美が誕生した瞬間だったわ。

あなたには今どんな光景が見えますか。
あなたの眼差しは何を見て何を描いていくのでしょう。
その未来は明るいですか。
自由な学びの場で存分に生きてね。たくさんの人に出会い、たくさんの本を読み、様々なことに挑戦してね。景色、音、匂い、味、肌触り、そこから生まれた感情を大切に、どれだけ小さかろうとあなたの真理を見つけるための一つの窓の存在を確かめて。この美しい世界で自由に生きることの苦悩と魅力を存分に楽しんでね。
最後にもう一度、入学おめでとう。

素晴らしいと思います。

これから前途揚々な若者にかける言葉として最高でしょう。

最初に自分語りをしていたらどんどん話のスケールが大きくなって、時事問題であるウクライナ紛争を例に出してきます。そしてそこから急転直下で自分がこの確信に至った瞬間の「発見の歓び」に話を戻して、サクッと終わります。まるで映画のようです。

ただし、このいかにも映画作家らしい「まるで映画のように大掛かりな倒置法(おばあちゃんとのエピソードトークで《窓と正義》をサンドイッチ)」の使用は、聞き手にそれなりの集中力と頭の回転の速さを求めるものだと思います。

私も後から文章で読んだのでスッと入ってきましたが、スピーチを耳だけで聴きながらはしんどかったかもしれません。そういう意味でも秀才揃いの東京大学の学部生の入学式は適切だったのではないでしょうか。(*有象無象が比較的簡単に編入できる大学院ではないのも重要)

一つ惜しかったなと思うのは、東京大学に入学するような受験生には映画とかカンヌとかあまり興味がない人も多いと思うので、そこはもう少しアピールしても良かったかもしれません。

1997年、初の35mm作品であると同時に最初の商業作品として制作された『萌の朱雀』にて、第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少(27歳)で受賞。また芸術選奨新人賞受賞。
2007年第60回カンヌ国際映画祭にて『殯の森』がグランプリを受賞。また、同賞を受け、奈良県民栄誉賞を受賞。なお、同作品はNHKエンタープライズが製作協力した関係で、劇場公開前の2007年5月29日(グランプリ受賞の2日後)にNHK BS-hiの『ハイビジョン特集』にて放送された。また、この年の10月に行われた山形国際ドキュメンタリー映画祭のインターナショナル・コンペティション部門で『垂乳女』が特別賞を受賞した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/河瀬直美

若くして大成功を収めた世界に名だたる天才監督の一人であるということは、特にカンヌと県民栄誉賞の部分は、謙遜しながらで良いので、はっきり語っておくべきポイントだったと思います。

「私は1997年に若くして世界3大映画祭の1つであるカンヌ映画祭の新人賞を受賞することができました。70年以上の歴史で日本人の受賞は数えるほどしかありません。27歳での受賞は世界でも最年少記録のようです。2007年には同じ賞でグランプリになり、奈良県の県民栄誉賞まで頂くことができました。こられは周囲の人達の助けや運の要素も大いにあったと思いますが、私が映像の世界で一定以上の本物を提供していることを認めていただけた出来事だったと思っています」

くらいは言った方が、若者が多くエリート意識もありそうな東大生には効果的だったと思います。そもそも知らね( ・△・)という人が多かったでしょうから。

▼問題になった箇所について

ロシア擁護を指摘された部分だけ再度抜き出しましょう。

いま世界はバランスを失ってる。私も頑張ってるけど映画一本じゃ世界は変わらない、それが現実。
世界遺産の金峯山寺では山から伐ってきた様々な種目の大樹がそのまま柱として使われている。色んな存在が皆で協力して建物を支えてるってわけ。まるで人間社会そのものよね。そこの館長がこんな言葉をボソリと言ったの。
「僕は、この中であれらの国の名前を言わへんようにしとんや」
金峯山寺では鬼を諭して弟子入りさせたという伝説があって、今でも節分では「福はウチ、鬼もウチ」って言うのよ。すごくね?
つまり館長の言葉は、私の勝手な解釈だけど、ロシアを悪者にするのは簡単だけど、彼らにも彼らなりの正義があるんじゃないか。それがウクライナの正義とぶつかってるときにどうすればいいか。なぜそれが起きたのか。一方的な意見に流されてないか。片方を悪だと決めて思考停止してないか。…ということが言いたかったんだと思ってる。
人間って弱い生き物でしょ。だから自分の国を守るためにどこかの国を侵攻する可能性があることをよく自覚して、自戒も込めて、自分たちがそうならないように気をつけたい、と私は思ってる。

これのどこがロシア擁護なのでしょうか?

部分的に読めばロシア擁護にも見えるが、それは『悪意のある切り取り』であり、全く本質を突いていません。

彼女が言及したのは「視点を変えれば正義が悪に変わりうる」という普遍的な教訓であり、ロシアを擁護も非難もしていません。

世界遺産の金峯山寺の、本殿を支える多様な樹木や、鬼もウチに含めてしまう懐の大きな考え方に感化されて、どんな相手にも立場や気持ちや考えがあることを忘れないようにしよう、翻って自分が誰かにとって害悪だと見做されうる可能性があることを忘れず自分を律していこう、と言っているだけです。

ロシアはたとえ話としてイメージしやすかったから使ったに過ぎません。

たとえ話をたとえ話だと理解できるくらいのリテラシーは持っておきたい所です。でないと、ロシアとかウクライナとかコ●ナとかワクチンとか少し「きわどいワード」を出しただけで、拒否反応を起こしたり、思考停止に繋がりやすくなります。そうした世論の傾きが、何年もかけてエスカレートして言論統制や弾圧、そして戦争や虐殺に繋がってしまう歴史を人類は繰り返してきました。人は過去から学べる存在だと私は信じたいです。

ましてや、ここは大学の入学式なのです。明治維新以降の学問では、主に農学や工学や化学など自然科学の分野において、殖産興業の下で実利を重視する側面はありました。しかし学問というのは本来、世間のあらゆる利権や思想から距離を置いて、純粋に対象を探求できるべきものです。

それは地動説を説いたガリレオにも進化論を説いたダーウィンにも言えることです。彼らはキリスト教の考えに異議を唱えていたので、世間からひどいバッシングを受けました。しかし彼らが世間の圧力に屈せず、現代でも適用されている真実を見つけ出し主張できたのは、彼らが彼ら自身の窓を持っていてそこから世界を観察していたからに他なりません。

▼東京大学で言った意味

自分の感性を信じて、たとえばメディアからの声に簡単に流されるなというメッセージは、ある意味で産官学の分離(*)を謳っているもので、大学というアイデンティティを示すという意味で、むしろ適切だと思います。

*産業・官僚・学問の頭文字。むしろ最近は「産官学の連携のためのプロジェクト」も多数あるが、言い換えれば「本来は分かれているべきもの」だからこそ、このようなプロジェクトが立ち上がると言える。

しかし実情では、産業(経済)のために「役に立つ」「お金儲けになる」研究の方が予算が出やすかったり(特に私学では経営があるので)、官僚(政治)の都合が良くなる研究成果を出す研究者の方が優遇されたり、いわゆる癒着が生じやすい側面があります。

受験生から大学生になったばかりの若者に、この学問が置かれている難しい局面がどのくらい理解できているのかは怪しいものですが。ただし東京大学は日本での注目度が他校と圧倒的に違って、部外者(私のように)でも読まれる機会が多いですので、東京大学の祝辞で言うのは有意義だと思います。

そして、それを『官僚養成所』とも揶揄される東京大学の入学式で言うところも痛快で面白いです。

▼問題になった箇所について、もう一度

今回のウクライナ危機でロシアが加害者なのは明白です。ロシアから先に軍事侵攻したのですから。これについては私も否定しません。ロシアは2022年の軍事侵攻という面で加害者です。

しかし人がよく陥るトラップとして「加害者だから嘘、被害者だから真実」という思い込みがあります。これはやってしまいがちな勘違いでしょう。でもロシア発の情報が全部ウソではないし、ウクライナが全て真実のみを発信しているとは限りません。

テレビや新聞などのマスメディアを見ると分かるとおり、世間は「ロシアが悪くて嘘つきでプーチンは馬鹿な独裁者。逆にウクライナは正義で真実でゼレンスキーは勇敢で聡明な指導者」という論調に支配されています。

しかしウクライナが出している情報にもフェイクが含まれることや、ウクライナの政権はネオナチ(過激な右翼団体)の指導者で占められているとか、さらにはこのウクライナから発信される映像やニュースにはアメリカの戦争広告代理店が深く関与していて、戦争が長引くほどアメリカに多く存在する軍事産業に携わる会社が儲かっていく、という事実があります。

これらを隠そうとする圧力がアメリカから掛かっていて、日本の政府やメディアはそれに即した言動しか取りません。メディアはお得意の「報道しない自由」を最大限に活用しています。それに世論が流されて企業もそれに従うしかなくなっています。「戦時下であれ人々には衣服の提供が必要だ」という考えのもと営業続行を明言したユニクロ社長はSNSで盛大にバッシングされて、すぐに発言撤回と営業撤退を余儀なくされたのは記憶に新しい所です。

ウクライナ側の情報発信に広告代理店が絡んでいるのは明白です。キエフ市内でベビーカーを100台並べるパフォーマンスや、人気ハリウッドスター俳優が出演した感動的なVTRメッセージや、ゼレンスキー大統領が西側諸国の議会で繰り広げた高クオリティの感動的な映像がついてる演説VTR。映像やメディアに携わっている人なら一瞬で分かるレベルです。素人や政府がパッと用意できるレベルではありません。しかも戦時中にですよ。

そして挙げ句の果てには戦争とは無縁であるべき音楽の祭典グラミー賞授賞式にまでゼレンスキー大統領のVTRが流れました。授賞式に参加したミュージシャンは半強制的にゼレンスキー支持に加わされた形とも言えます。栄誉あるグラミー賞のトロフィーを人質にされて有無も言わさずです。このグラミー賞での映像は照明が超ムーディなスタジオで作り込まれていて、ゼレンスキーのいつものTシャツ姿が不自然に浮いて滑稽でした。そこまで準備できるならノータイでもいいから、せめてジャケットくらい着ろよ。フォーマルな場所で明らかに不自然だし失礼です。厚顔無恥を絵に描いたようなVTRです。(彼は元コメディアンらしいのですが、笑わせてくれましたwww)

もし『笑っていいとも!』のような国民的娯楽番組の放送中に、一つコーナーの時間を削って、スタジオに大きなディスプレイが運び込まれて、いつものTシャツ姿のゼレンスキーのメッセージを感動的な映像+BGM付きで流されて、それが全国中継されたらどう思いますか。それに近いことをグラミー賞授賞式ではやったのです。

ここまでくると流石にやりすぎでしょう。しかし世間の大多数はもうそんな不自然さには気づきません。そのくらいウクライナを正義だと多くの人が信じ込んでしまっているからです。そして残虐な戦争行為を目の当たりにして感情的になっているので細かなことが気が回らなくなってしまっています。私にはまるで世間が集団洗脳にかかったかのように見えて、いささか気持ち悪いです。

東京大学は日本のトップの学生が多く集まる場所です。そして実際に官僚になる人には東大出身者が圧倒的に多いです。大企業に勤めて出世コースを突き進む人も多いでしょう。将来、この国の政治や産業を担う人物を多く輩出するであろう学校の入学式という最も生徒を集めやすい場所で、河瀬直美がこの祝辞を述べた意義は大きいと思います。

了。

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