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【悪は存在しない】あらすじ解説・感想

#ネタバレ

結末まで語るので、本編を未見の方にはブラウザバックを推奨します。


▼あらすじ

一幕

1)2021年3月。タクミは長野県水挽町の山間部に暮らす便利屋。ストーブ用に薪を割ったり、近所のうどん屋のために清水を汲むのを手伝ったり、などなど村のために動くのが日課。山を熟知した頼りになる男だが、どこか健忘症の節があり、放課後に自動車で学童へ娘ハナを迎えに行くのをよく忘れる。

2)毎日のように待ちくたびれるハナは先に歩いて帰ってしまうようになる。ハナはわざと遠回りして山林に入って寄り道して、タクミは後から追いかけて山林に入る。そして二人で動植物を観察しながらゆっくり帰るのが、二人の日課になっている。そんな折に、東京の会社が企画したグランピング場設営計画の話が降ってくる。村人たちは生活が壊されないかと危惧する。

二幕

3)村の土地の一区画を買った東京の芸能事務所がグランピング場設営計画の説明会を開く。明らかにコロナ特別給付金を目当てとしたことが見え透いて、計画は杜撰すぎて、村の自然と調和した生活への理解も低すぎて話にならない。村人は総員で冷静ながらも厳しいツッコミを入れて、もう一度、次は社長とコンサルを連れて来いと追い返す形になる。芸能事務所の高橋と薫はタクミの連絡先だけ貰う。

4)傷心で東京に帰った高橋と薫は社長とコンサルにWeb会議で計画の実現は難しいことを相談するも、社長はもう土地を買ってしまったと、コンサルは自分が現地に行く意味はないと、まともに話に取り合わない。それでも食い下がる高橋に社長は「お前たちの給料も払えなくなるぞ」と凄んで、タクミを味方につけて村人と上手く交渉するというデタラメな任務を与えて、二人を即座に長野に送り返す。

5)高速道路の車内で高橋と薫は会社への愚痴を吐く。芸能関係の仕事がしたくて現在の事務所に就職したのに、なぜ自分はこんな補助金目当てのクソみたいなキャンプ場の設営に奔走しなければならないのか。高橋はいっそこのままグランピング場の住み込み管理人に転職しようかと戯ける。

6)村を訪れた高橋と薫は、タクミと同行して村の自然の素晴らしさを体感することで、深く感動する。もしかして誠実に取り組めば、何とかして上手く運用できる方法が見つかるかもしれないと淡い予感が生まれる。

三幕

7)その日の夕方に、いつものように回り道で帰ったハナが失踪する。タクミは正式に村に届出をして、村人を挙げての大捜索となるが、ハナは見つからない。辺りはどんどん暗くなる。夜になれば気温も下がるので命の危険も高まる。

8)陽が堕ちて霧が立ち込めた、まるで煉獄のような幻想的な草原でタクミと高橋は立ち尽くすハナを見つける。そこには半矢(猟銃で撃たれて手負い)の鹿も居る。駆け寄ろうとした高橋をタクミが制して首を絞める。高橋は泡を吹いて動かなくなる。気がつけば鹿はもう居ない。倒れてぐったりしていたハナを抱き上げて、タクミが深い霧の中へと歩いて消えて行く。

FIN

▼解説・感想:

すごい映画です!

先日の渋谷や吉祥寺のミニシアターではなんとなく機会を逃したので、全国順次公開でようやく観ました。

●映像のマジック

第一幕でじっくり時間をかけて示されるのは、皆がコロナで大なり小なり心を病んでいたあの頃の人々の生活です。東京から様々な思惑で田舎への移住してきた人達。のどかな自然の中で長回しを多用した編集が心地良いです。そして全てのシーンの構図と色彩がとにかく絵画のように美しい。薪を割る作業とか、清水を汲む作業とか、ただ眺めているだけでも楽しかったです。

そして第二幕に入って視点がタクミから東京の二人に切り替わり、そこからのストーリーはもう芸能界に敵を作るんじゃないかと心配になるくらい攻めた脚本で素晴らしいです。あまり有名でない俳優を使うので、おそらく彼らが身近に見てきた人物をモデルに演じているわけで、監督が業界関係者に襲われないだろうかと心配になるくらいリアルな演技でした。

そして第三幕で起きる謎の描写。あの鹿は現実だったのか?それとも妖怪なのか?タクミはなぜ高橋の首を絞めたのか?これは具象表現なのか、それとも一種の抽象表現なのか?予想もしない急展開から映画はぶつりと切れて終わるので、観覧後に考察や感想戦が止まりません。

濱口竜介監督は本当にすごいですね。

●制作経緯

普通の映画とは全く異なる経緯で制作されました。このために、実に型にハマらない自由な感覚があります。こういう雰囲気を感じ取ることが好きな人には、たまらなく楽しい鑑賞体験になるでしょう。

イントロダクション INTRODUCTION
『ドライブ・マイ・カー』 から3年--
濱口竜介(監督) × 石橋英子 (企画・音楽) の新たな試みに世界が騒然。
きっかけは、石橋から濱口への映像制作のオファーだった。『ドライブ・マイ・カー』(21)で意気投合したふたりは試行錯誤のやりとりをかさね、濱口は「従来の制作手法でまずはひとつの映画を完成させ、そこから依頼されたライブパフォーマンス用映像を生み出す」ことを決断。そうして石橋のライブ用サイレント映像『GIFT』と共に誕生したのが、長編映画『悪は存在しない』である。自由に、まるでセッションのように作られた本作。濱口が「初めての経験だった」と語る映画と音楽の旅は、やがて本人たちの想像をも超えた景色へとたどり着いた。
第80回ヴェネチア国際映画祭では銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞、濱口に世界3大映画祭制覇の快挙をもたらしたのち、各国での上映や映画祭へと広がり、世界中から絶賛の声が止まない。
主演に、当初はスタッフとして参加していた大美賀均を抜擢。新人ながら鮮烈な印象を残す西川玲、物語のキーパーソンとして重要な役割を果たす人物に小坂竜士と渋谷采郁らが脇を固める。
穏やかな世界から息をのむクライマックスまでの没入感。途方もない余韻に包まれ、観る者誰もが無関係でいられなくなる魔法のような傑作が誕生した。

https://aku.incline.life/

●物語構成

では、「起承転結の無い、よくあるただのアート映画か」と言われれば、そんなことはありません。このnoteの冒頭であらすじを書き起こしたらハリウッド式三幕構成にピッタリ合致したように、ちゃんとエンタメの形式に則っています。

一幕
 一場:状況説明
 二場:目的の設定
二幕
 三場:一番低い障害
 四場:二番目に低い障害
 五場:状況の再整備
 六場:一番高い障害
三幕
 七場:真のクライマックス
 八場:すべての結末

参考:ハリウッド式三幕八場構成

第一幕:タクミとハナ
 1)タクミと村の紹介
 2)タクミが愛するハナと村の自然
第二幕:高橋と薫
 3)グランピング場の説明会
 4)東京で追い返される二人
 5)高速道路で本音をぶっちゃける
 6)村の生活を肌で感じる二人 
第三幕:事件
 7)ハナが失踪する
 8)すべての結末

ただし、長回しのショットを多用して、ゆっくり物語を進めるので、斬新に(型破りに)見えるということはありますね。

●タクミの人物像

村の便利屋を生業としているらしい職業不明の怪しい男タクミ。どうやって金銭をゲットしているのか謎すぎます。説明会の会場で彼は「自分は開墾三世だ」と名乗っていたので、祖父の代からこの村に住んでいたということになります。つまり村の中では最古参の家族ということになりますから、それなりに広い土地の権利を持っていて、農地をレンタルしているのかなと想像したりできます。

妻が不在な理由が気になります。まだ写真を飾っていたので、おそらく事故死か病死なのでしょう。ハナが一人で山歩きをするのを許していたので、おそらくこの地域にクマなどの害獣は出ないものと推察できます。

●胡散臭いコンサル

東京の芸能事務所でZOOM会議しているコンサルが胡散臭かったですね。(笑)現場を自分で視察もしないで全てわかっているように振る舞う神経の図太さというか無神経さといい、流行り物に飛びついて金儲けしようとする節操のなさといい、どうやら高そうなスーツを着て髪型にも相当気を配っているがZOOMに出演するときは自家用車の中から繋ぐというのが、全て最高に胡散臭くて笑えました。

●癖のある視点移動

自動車で移動するシーンで、後部座席のような場所に乗せられて、ただ車に乗るだけで流れる景色を眺めるだけのようなショットが多くて印象的でした。自分の意思では進む方向を決められない運命を暗示しているような気がします。

●ラストシーン

あの煉獄のような世界は何だったのか、気になります。

タクミが高橋を気絶するまで首を絞めた理由も。

あくまで私の解釈ですし、一つの仮説に過ぎませんが、筋が通りそうだなと思うのは、《おそらくタクミの妻が過去に山中で鹿に衝突して事故死していて、今回もハナが同じく手負いの鹿に襲われて倒れていた。だからタクミは一種のパニック障害を起こして、倒れているハナに走り寄ろうとする高橋を抑え込んだ。そして映画で描かれていた手負いの鹿はタクミが見た幻覚》なのかな、と私は考察します。

直前に社内で「鹿は人を襲うのか」「絶対にないが、半矢(手負い)の鹿なら逃げられないから襲うかもしれない」という会話が、伏線になっていると思います。

ただ、タクミの妻が鹿に襲われて死んだのが確定情報なら、たぶんタクミは鹿の通り道にグランピング場を設営することに反対したり、警告すると思うので、たぶん明確な証拠は出てないんじゃないでしょうか。だからこそ、映画に出てくる鹿はタクミが見た幻覚なのではないかと思います。

本作の外国版ポスターでは、この衝撃のラストを割と直接的に描いていて、人間の世界から川を越えて霧の世界に片足を突っ込むハナのような少女をただ見つめるタクミの後ろ姿が描かれています。霧の中には立派なツノを持つ雄鹿が立っています。

見ようによっては、ラストは山の怒りが顕在化した妖怪奇譚のようにも見えますし、とてもイマジネーションを刺激して面白い作品だと言えるのではないでしょうか。

まさに映画のマジックが炸裂した傑作でした。

(了)

最後まで読んでいただきありがとうございます。ぜひ「読んだよ」の一言がわりにでもスキを押していってくださると嬉しいです!