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おやじさんのチャイ(イスタンブル・チャイ紀行#1)

東西の交差点、イスタンブル。
言わずと知れたトルコの古都である。
私が初めてこの街を訪れたのは3月。
寒さに冷たい雨が追い討ちをかけていた。

そんな寒い時にはチャイだ。
といってもミルクも、スパイスもない。
それがトルコのチャイなのだ。

トルコのチャイ

日本でチャイというと牛乳でスパイスと一緒に煮出した紅茶のイメージが強い。
最近では、東京でもこの種のチャイの専門店まで見かける。
だがこれはインドやパキスタン、ネパールなどの南アジア圏のチャイだ。

そもそも「チャイ」という言葉は、トルコ語やヒンディー語(インドの主要言語)で「お茶」を意味している。
英語で“Tea”と言えば紅茶になり、日本語で「お茶」と言えば緑茶になるように、同じチャイでも地域によって指示対象が違う。
そのため、インドにはインドの、トルコにはトルコのチャイがある、というわけだ。

トルコのチャイが南アジアのチャイと大きく違うのは、基本的にストレートで出てくることだ。
では普通のストレートティーとの違いはといえば、茶葉をお湯に浸けて出すのではなく、茶葉を煮出すところにある(この点に関しては南アジアと同じだ)。

そのため、味も香りも強い印象がある。キリッとした苦味、フワッと香る茶葉の香りが特徴的である。
そして忘れてはいけないのが、砂糖。苦味が強いチャイに角砂糖をいくつも入れるのがトルコ流である。
多くの場合ガラス製の容器に入っていて、紅茶の赤がよく映える。熱々なので、グラスの縁を持ち、少しずつ飲む。

新宿のトルコ料理屋にて。
典型的なグラスに入ったチャイと
スュトラッチというスイーツ。

オヤジとチャイ

イスタンブルでは、海沿いのフンドゥクルという地区に宿泊していた。
小高い丘にあるアパートから海の方へ行くと路面電車の駅があり、その目の前に小さな食堂がある。
店主は口髭を生やした、初老のおやじさん。きっと若い頃は腕っ節が強かったのだろうな、という雰囲気を漂わせている。
朝ご飯を毎日その店で食べていたら、顔を覚えてくれるようになった。

寒かったこともあり、私はその店に行くと必ず、「メネメン」と「チャイ」を頼んでいた。
メネメンというのはトマト、玉ねぎ、唐辛子などを炒め煮にしたものを卵でとじる、という至極シンプルな料理で、寒い日の朝に体を温めるにはちょうどいい。

そして、食後はチャイである。
机に置かれている角砂糖を三つ入れると、苦味の中にほんのりと甘みがついてうまい。
それに、大抵の場合、かなりの熱々で出てくるので、これまた体が温まる。

寒空の下、メネメンを食う。
食後のチャイの写真がない。今回の主役なのに。

ある朝、チャイを飲みおわり、そろそろ店を出ようかな、と思っていたら、おやじさんがやってきて一杯のチャイを私の前に置いた。
キョトンとした顔でおやじさんを見ると、手を左の胸に当て、ポンポンっと叩く。
どうやらこれが「俺の奢りだよ」のサインのようだ。
心ゆきを感じるとともに、なんとなく認めてもらえたような誇らしい気持ちになった。

再会のチャイ

その半年後、私は再びイスタンブルを訪れた。
九月だったから、うってかわってイスタンブルも猛暑である。暑い太陽が照りつけている。

おやじさんの店にまた行ってみると、私のことを覚えていてくれたようで、ちょっと驚いた顔をしていた。
朝から日差しが強くて暑いが、私はあえてメネメンとチャイを頼んだ。
久しぶりにおやじさんのメネメンを食い、うっすらと汗をかく。夏の朝に体の芯から温めるのも悪くない。
そして、食後には角砂糖を三つ入れたチャイをグラスの縁を持って啜る。また汗がうっすらと吹き出す。
そんな、うっすらとかいた汗は、かえって朝を爽やかな気分にさせる。夏に熱いものを食べるのもいいものだ。

夏の日差しを受けるメネメンとチャイ。
肝心のチャイが…ほぼ飲み終わっている。主役なのに。

それから、二度目のイスタンブルでも、出来るだけ私はおやじさんの店で朝ご飯を食べていた。

ある日のこと。会計を済ませると、おやじさんが何やら真剣に話しかけてくる。トルコ語はほとんどわからない。キョトンとする他ない。
すると、常連らしきおじさんが、
「明日は定休日だって言ってるよ」
と英語で教えてくれた。
「エヴェット、テシェッキュル・エデリム(わかりました、ありがとう)」
私はおやじさんに言った。
だが、それは旅の最終日であった。


おやじさんは今どうしているだろうか。
あれ以来、四年間あの店には行けていない。またイスタンブルに行く日が来れば、きっとまた訪れるだろう。
メネメンを食べに。
そして、熱々のチャイを飲みに。

オヤジの店

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