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枠の決められた学習法と枠のない学習法:両方大切にしたい

オーストラリア・NSW州がロックダウンになってから3週間くらいになります。仕事の量が減った、そして時間ができたのでしめしめと思い、ちょっと時間がある時にしかできないことをやって遊んでいます。
こうやって書くこともそのひとつです。


最近毎朝、録画されたバレエのバーレッスン(いつも通っているWeMoveスタジオのアローナのレッスン)をやっています。
体の軸を中心に前後左右に足を決まった指定のやり方で動かすということ、足をポイントさせるのは難しいけど、毎日同じビデオを見ながらやっていると、だんだんバレエの型に慣れてきました。
頭からつま先までのからだぜんたいの気づきがキリッとした感じになるのが心地よい。
ダンスをしていると自分の出し方が良くなるような気がします。卑下するのでもなく、いばるのでもなく、自分をスカッと出す方法が学べるような気がするな。
先週の金曜日もいつも通り、朝のバレエのレッスンをしました。
それから午後になって、おそらくバレエとは対極にあると思われるフリースタイルのダンスをしようと思い、若い頃に毎日のようにやっていたナタラージメディテーション(40分間好きなようにダンスした後で、15分間静かに座る瞑想)をやってみました。
このダンスのメディテーション中、混沌とした枠のないダンスに思いっきり身を投じていると、何をすべきか、しないべきか、上下、前後、良し悪しということは全く関係なくなり、価値判断がどんどんはがれ落ちていく。
そのおかげで全てを吸収していくことができる。自分の中の矛盾の統合が可能であることがわかる。
踊りを通した瞑想なのだけれど、踊っていることは別に重要でないとすら思えてくる
ー枠がはっきりとしているバレエとは全く違った境地に落ち着いていくのがわかる
自分の魂がぽっかりと浮上する
このめいそうを発明した和尚の適切さにつくづく脱帽
今お祝いしていることは、あと少しで51歳になろうとしている自分がバレエとナタラージメディテーションという対極のダンスを同時に楽しめるようになってきたということ。
若い頃は、制限や抑圧の強い日本社会で育ったことの反動から、心の制限を打ち破るため、ナタラージメディテーションのようなストラクチャーのない開放的なダンスばかりを踊っていた私ですが、今はストラクチャーのあるバレエもおもしろがってやっている。
今はストラクチャーのあるダンスも、ストラクチャーの全くないダンスも両方とも大事だと思っています。
たとえば、バレエを練習しているとどうしても細かいところとかフォームを決めることに必死になりすぎて緊張してしまいがちです。バレエの練習の時にナタラジ瞑想で得たホリスティックな感覚や開放感を持ち込むことは可能だと思うんです。
バレエはナタラジ瞑想があつかっていないところに注目しているように思えます。3次元を生き抜くためには、細かいところをしっかり把握する力が必要になりますが、バレエはその力を養うために役立ってくれるように思います。
両者を組み合わせると自分と世界に対する理解が総合的なものになっていい。

教育にもこれが言えるなとつくづく今思っているところ。教師は、枠のはっきりした教え方と、枠のない学習法の両方の良さを知っていたらいいね〜

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