「この人凄い」と感じるとき
おはようございます。40代でも大人になれない人もいる世の中、「大人になるとは」とついつい考えてしまうじゃこです。今年25歳という事実に驚愕し、まだまだ大人にはなっていないと感じています。
さて、
この人は凄いと思うことがかなり頻繁にあります。
最近はClubhouseに入り浸り、教育関連の方々の話を聞いて「お、この人の考えは凄いな」「いろんな活動をしていて凄いな」と感じることが多くなってきました。
今まではTwitterやインスタグラムでの発信でただスクロールする、眺めているだけだったのが、実際に生の声で聞くことで、発信用にまとまっていないその人ならではの意見やそれを聞いての周りの人たちの意見や考えに感化され自分の世界が広がっていくと同時に、自分は何をしているんだとちっぽけな自分に出会うようになりました。
そんな「この人は凄い」と感じることが増えたときに、自分は何がきっかけで「この人は凄い」と感じるんだろうと思うようになりました。
自分なりに「この人は凄い」と感じることってどういうところなんだろうと考えてみたところ、それは人それぞれなのかなという結論に至りました。
知識の幅広さ、思考の奥深さ、ピアノがうまい、学生団体をたちあげる、自分の意見をもって話している、専門性がある、会話がうまい、話を聞くのがうまい、ファシリテーターとしてのつなぎがうまい、、、
といったように考えればきりがありません。
では、どういったもので「この人を凄い」と感じるのか、また凄いと感じなくなるのか。
僕はこれを自分と対象となる相手との心的距離での違いで考えてみました。(心的距離という表現は適切ではないと思いますが、自分からみたその対象となる相手との関係性と捉えてください。)
その関係性が三つ。
・自分がその人(対象となる人)を一方的に知っている遠い関係。
・自分はその人のことを知っていて、対象の相手は自分と一、二度会った程度の関係。
・よく会うようになった関係。
でも、これで考えていくと「この人は凄い」と感じることに焦点を当てずらいものだと思いました。
この人と(考え方が)会う合わない問題があり、それが合えばよく会うようになる。そうでなければ会わなくなっていくと考えたからです。
そして、さらに考えたのは自分の知識の範囲の大きさかなと。
自分の知識の範囲が小さいと対象となる相手から学び取ることが多くて、尊敬度が高まり、「この人凄い」と思う頻度が多くなる。
そして、ある程度自分の知識がついてきたときに、自分なりの考えや解釈ができるようになる。そのようなとに対象となる相手にどう思うかというと、「この考えの元は?」「自分も一緒の考えだ。」「いやいや、その考えはないよー」といったように、自分もその相手の人と同目線で語れると錯角し、尊敬さが少し減ってくる。したがって「この人凄い」と感じるのが小さくなってくる。
さらに人との対話を増やし勉強して自分の知識の範囲が大きくなってくると、相手と対等に話せることが増え、さらに深く相手の考えていることや価値観というのを知っていくようになる。その過程で相手の考えの深さを知り、また、相互に話せることで自分の知識を拡張でき、相手にも自分の考えが影響していることに気づく。すなわち、互いにGive-and-Takeの良好な関係性を築いている姿がうかがえる。
この関係性になっていくと、自分にも相手の考えが浸透し、相手にも自分の考えが浸透しているのが分かってくるから、より一段と相手の凄さが分かってくる。「この人凄い」と感じる部分がもう一段上がる感じです。
そうなると、互いに長い付き合いになり、切磋琢磨する関係性になっていくのではないのかなと。
「この人のこんなところが凄い」というのは人それぞれですが、自分の知識の大きさによって、相手から受け取る凄さというのは変わってくるんだと考えた日でした!
今日はここまで。
ではでは!
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