引きこもっていることもつらくなってきた
体調がすぐれない。別に血便を垂れ流していた以前のような悲惨な状態ではない。それなのにもかかわらず、気分がさえない日々が続いている。
孤独がつらい。今ははっきりとそう感じる。だけども15歳以来ずっと続けてきたこの生き方を方向転換できる気がしない。
社会で生きるということは、他者との折衷の中に生きるということだ。それが私にとってはつらい。1年ばかり努力して適応しようと思ったら、潰瘍性大腸炎になってしまうくらいには、私にとってストレスのかかることなのである。
社会でも生きられず、孤独にも生きられないとしたら、ほかに道などあるのだろうか。今は全く考えられない。
読書が出来なくなって1か月くらいたつのだろうか。私にとって唯一触れ合える他者であった本という存在も、今は全く読めない。意味が文字から抽出できない。
体を焦燥感が覆っている。もっとうまく生きれたはずだ。もっとうまく生きれるはずだったんだという焦燥感が。
良い眠りから覚めたとき以外に、幸福を感じることができない。ひたすらに孤独が私を締め付けている。
人が好きになれない。あの意志を持った、社会を作る、人という存在が。
人と共に生きれず、かといって一人では生きれない。
ぼやけた頭に、疲労が覆いかぶさった体。
追記
焦燥感に体を支配された状態が続いている。思考の過程に虚しさと、せわしなさのノイズが挟まって、つながりのある思考ができなくなる。
人間は読む生き物である。文字から、環境から、意味を読み解く。思考の過程に虚しさと焦燥感のノイズが走りやすくなっているときは、文字から、そして環境から意味が読み取れなくなる。抽出できないのである。抽出できたとしても、誤読している可能性が高くなる。思考過程に挟まった余計なノイズによって、意味が変貌する。
ストレス解消のために大音量で音楽を聴き過ぎたためか、耳の聞こえに違和感を覚えるようになった。ステロイドの副作用か、目も白っぽくかすんでいるように見える。目もダメになり、耳もダメになってしまうのか。孤独の苦しみを振り払おうとしたときの代償とはこれほどまでに大きいのか。
同級生や同年代の人たちは現世で、この資本主義社会である程度の立場を構築しつつある。一方私はどうだろうか。あるのは聞こえの悪くなった耳に、ステロイド白内障気味の目、大量の薬を使わなければ平常すら保てない大腸にあまりにも脆い心である。
救いがあるのなら、今すぐにでも救ってほしい。
一度はこれでいいのだと、これこそ私らしい生き方なのだと誓った生き方に、今では疑念以外の感情を持てなくなりつつある。
自己肯定感なんて一つの単語で回収しきれないほどの人生を、どうか誰か救ってほしい。
また長い反芻の階段を上りつつ。
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