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ライターになりたいのだけれど

私がnoteを開設したのは2年前。コロナ禍真っ只中に入学してしまったおかげでほとんどを家で過ごした大学1年生のときである。

小説が好きで、文章を書くことが好きで、何かを発信してみたいと思って初めてみたものの、これがなかなか難しい。思えば誰かに読まれる前提で文章を書いたのはいつぶりだろうか。高校生になってからはほぼなかった気がする。ましてやnoteなんて学校とは規模が全く違うのだからそりゃ混乱して当然だよなあ。

1投稿仕上げるのにとんでもない時間を要して疲れてしまい、結局諦めてしまっていたnoteを再開するきっかけは、ライターをはじめようとしたことである。

2年経っても中身が成長しないワタシ。文章書きたいなあしかも金欠だしそれ仕事にしたいんだよなあなんて考えて、自分にしてはだいぶ単純思考で初めてみたのが2週間ほど前。

未経験者の仕事なんてマニュアル完備の単価の低いものばかり。タイピングは嫌いでは無いのでコツコツと続けられているが、時給換算していたら涙がちょちょぎれるのでやめておく。


マニュアルに沿って文章を書いてお金をもらうのはいいのだが、どうしても
「これじゃない」感がすごい。私がやりたいのはこうやって書きたいことを書いて発信することなんだもの。
といったって、大した中身のない私の大した魅力もない文章、読んでもらう方が難しいのだが。

文章力って磨けば光るものだというけれど、芸術的なセンスや才能が食っている割合の方が多いんじゃ無いだろうか。
読みやすい文章=読んでいて面白い文章ってわけじゃ無いし。


それこそ、大学1年生のときに読んだ中村倫也さんのエッセイ。
小説以外の文章で、思わずクスッと笑ってしまうのはあれが初めてだった。それに、言葉の背後にある「中村倫也」を確かに感じるのだ。本の中の中村さんと共に飼ったこともないハムスターのゲージを掃除してみたり、近所のコンビニの店員さんに身バレしたり、ゴルフを初めてみたりしてしまう。
まさしく彼にしか書けない文章。


なんだか支離滅裂になってきたが、とにかく今一度「vs文章」の果てしないバトルを開催すべくnoteに戻ってきたわけである。仕事として文章を書く分、私として文章を書く場が欲しかった。

するとどういうわけかスルスル書ける。読み手を意識していないわけでもないのに、頭の中に浮かんだ文章を「いや〜こうじゃないな」なんてなる前に文字に起こせている。
結局昔は「自分は文才に恵まれている。だからかっこいい文章を書くんだ。」なんて思っていたんだろうなと。自分をよく見せようとして、でもそれをうまく言語化できなくて混乱していたんだ。当たり前だよ文才なんてそもそも無いものに縋って書こうとしてたんだもの。

言論の自由に倣って、書きたいこと書けばいいのよ、多分。使い方合ってるかな。

ということで今は考えたことを思いついたままに書くことを意識している。もちろん文章の構成とか日本語の使い方は確認しながら。最低限読み手を不快にさせないレベルを目標に。
毎日、投稿するたびにnoteさんが褒めてくれるので頑張っている。


あと思わぬタイミングで新たな推しが増えてしまったのは不可抗力。推しのことなんて何文字でも何日でも語れちゃうもの。
意図せずこのアカウントがオタクチャンネルになってしまうところであったので、今日は少し離れてみた。

ちなみに熱は相変わらずで、昔からその界隈に詳しいいとこに久しぶりに連絡してしまったし、インスタで語っていたおかげでハイライトまで作ってしまった。勢いって本当にすごい。

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