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師走初っ端

祖母が亡くなった。
祖母は父方の母で、高校まで一緒に住んでいた。
高校卒業後、私は県外に進学したし、祖母は脳出血をきっかけに、脳外入院からの認知症病棟へと病院をはしごしていた。
11月半ばにもうそろそろ終盤を迎えると思うと病院から連絡があった。

両親が面会に行った。
このご時世でも面会できるなんて、ラッキーな病院でよかったなと思う。

看護師になってから、一度、認知症病棟にいるときに面会に行ったことがある。コロナ前だったので、会ったし、お話もした。
嫁(私の母)のことも、孫の私のこともなにも覚えていないが、昔の記憶は鮮明にあり、一生懸命、可愛がってた自分の弟の話をしていた。
一つ話せば「今何時だ」「ママ(ごはん)食うの何時だっけ」と相変わらず認知症ばりばり現役だったが、とにかくにこにこしていた。背筋は曲がり、小さくなってはいたが、顔はふっくらしていて、髪もきれいに整えられており、
ああ、ここで生活できてるんだな。笑えてるんだな。と安堵したのが私の最後の記憶。

これが最後だなと思いながら祖母に会った。
看護師をしていなければ、この発想には至らなかったかもしれない。


今日はお葬式をした。
今日までお着替えや保清、棺(ひつぎ)に入れる、火葬、納骨やらなんだかよく分からない毎日を過ごした。和尚さんは3回来て、4回お経を唱えた。
お経を一番最初に唱えた時、自分にとってよく分からない儀式をして、故人にどう伝わっているのか分からなかった。
というか、なんで生まれたら死ぬのは当たり前なのに、死ぬときや死んだ後のことを私たちはなにも知らないんだろうと思った。
和尚さんは「分からないことは聞いてください。こういう不幸事の作法はあまり慣れてもいいことではないですし、覚えなくていい。」

そうなのかなあ。
まあ少なくとも、私が知らないのは今までなにも勉強してこなかったからなんだけど。
悲壮感漂うあの式。
今回のばあちゃんは、長い人生に幕を閉じたのだから、盛大におつかれさま会をあげたい。

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