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議論のきっかけとしての科研費増額署名を!

田中智之


まずは学会連合の有志のメッセージを読むところから

日本の未来のために、 科学研究費助成事業(科研費)の増額を求めましょう!」ということで、学会連合の有志という形で科学研究費補助金の倍増を求める署名が始まっています。学会によっては会員にメールすら届かないというところもあるようですが、ここは研究コミュニティ一からしっかりと声が上がることが大切です。この記事は7月13日に書いていますが、署名は25,000ということで、まだまだ伸び代はあるはずです。

日本科学振興協会(JAAS)研究環境改善WGでは以前から研究費制度に関する議論を進めていたこともあって、違和感はないという方が多いですが、一方でSNSでは「運営費交付金の状況を放置するのか」とか署名に対する厳しいスタンスの意見もあります。そこでここではこの問題を把握する上で必要な情報をいくつか提供し、現場での議論を喚起しようと思います。

署名サイトで共有されている資料は大変充実したもので、その一部はJSTの研究力低下をテーマにしたシンポジウムで東京大学の後藤由季子先生が紹介していたものです。まずは、こちらをご覧ください。

日本の研究力低下と基盤的研究費について(PDF)

https://seikaren.org/wp/wp-content/uploads/2024/07/kakenhi3shiryo.pdf

運営費交付金の増額を求めなくて良いのか?

科研費増額要望書には「天然資源の少ない日本を経済大国へと押し上げた革新的な『科学技術』と高度人材の育成に基づいて国際競争力を発揮することが、もはや出来ないという国家の危機的状況に直面しています。 」という一節があります。科研費が増額したとしても科研費で実現できる雇用は時限付きですから、人材育成に資することにはならないのでは?という意見もあります。博士3倍計画が構想されていますが、そもそも国立大学のポストが減少しているという状況ではポスドク1万人計画の二の舞になりかねないという見方もあり、心配なところです。

国立大学法人の運営費交付金は2004年度には1.24兆円ありましたが、そこから効率化係数という仕組みのせいで年々減額され、現在は1兆円くらいです。科研費が2,400億円ですから、科研費と同じくらいの予算が削減されたわけです。大学予算の内訳を知らないとどのくらいのインパクトがあるかが分かりにくいですが、人件費をはじめとする固定費を除いて考えれば相当なカット率になります。その結果、大学院教育は事実上、競争的資金なしでは回らないということになりました。夏休みが終わる頃に「今年の実験はここまでです」と教授が宣言するラボもあれば、研究費が集中しているせいで、学生の海外学会の参加、発表が奨励されるようなラボもあり、国立大学の研究室間の格差は拡大しました。私も不安を覚えていましたが、博士課程への進学希望があったときに最後までサポートできるのだろうかと考える教員も少なくないと思います。

「没落する地方国立大の何とも悲惨な台所事情」

(東洋経済2018年)

そもそも運営費交付金の増額は国立大学協会がアピールしなければいけないですが、こちらはどうでしょう。「しかし、もう限界です」という一節が話題になった最近の提言では遠回しには求めているように見えますが迫力に欠けます。

「国立大学協会声明 −我が国の輝ける未来のために−」

地方国立大学を中心にポストの削減が続いていますが、いわゆる人事院勧告に沿った賃上げも難しいのではないかという観測もあります。2016年に、国立大学は「地域、特色、世界」という三類型のどこかに属することが求められ、目指す方向の異なる集団に分断されました。また、10兆円ファンドでは「令和の帝国大学」を目指すかのような構想が語らています。このような状況の中、国大協が統一したメッセージを打ち出すことはもはや難しいのかもしれません。

地方国立大学が個別に交付金増額の要望を出すことは過去にも何度かありました。また、ノーベル賞受賞者も基盤的研究費の重要性をアピールしています。しかしながら、こうしたアクションが政策に影響を与えることはありませんでした。いくら頑張っても運営費交付金増額は無理、と考える関係者も少なくありません。

そもそも運営費交付金が減額されなければ科研費をはじめとする競争的資金への応募が殺到することもないわけですが、運営費交付金を補填するために利用されている科研費が増額されることは国立大学における大学院生の修学環境を改善する可能性はあるでしょう。

運営費交付金の増額は特に国立大学の問題として極めて重要ですが、この問題に手を付けるためには、日本の国として国立大学に何を求めるのか、そしてどのくらいの規模でこれを支援するのかという大枠の議論が必要です。政策決定者は米国のトップ大学をモデルにして大学改革を実施しようとしていますが、そうした方向性が現在の日本の状況をふまえて妥当なものなのかについて、識者を交えてじっくり議論が行われたことはないように見えます。

2020年の有馬朗人元文相のインタビューは話題になりましたが、法人化と以降の大学改革の失敗からも教訓を引き出す必要があるでしょう。「選択と集中」の弊害です。

「国立大学法人化は失敗だった」

有馬朗人元東大総長・文相の悔恨

科研費増額はシンプルで実現可能性の高い方策

日本の科学研究支援において問題が大きいのは、トップダウンの大型予算であり、科研費のようなボトムアップ的な研究支援は論文数を始めとする数値評価において優位にあることが明らかになっています。論文数や被引用数だけが研究の価値でないことはもちろんですが、研究力の厚みというものを考えれば、科研費の増額はシンプルに厚みを増す効果が期待できます。既存のシステムをそのまま利用すれば良いというメリットもあります。

「ビッグデータ解析基盤(e-CSTI)を活用し「選択と集中」について考える」

大型予算の審査が透明性に欠けるものである一方で、科研費はシステムの見直しが常時行われており、また評価者の評価も行われているという点で優れています。評価者当たりの審査数が多すぎる点が問題ですが、研究者の間では比較的公平感があると考えられているように思います。運営費交付金減額の弊害を解消する上では、採択率の向上がひとつの方策になるでしょう。

高等教育・科学研究支援の予算の規模感を知る

こうした問題を考えるときには、予算の規模感を身につけると良いのではないかと思います。私は以前文科省の官僚の方に、国立大学の運営費交付金が年間1兆円、瀬戸大橋をかけるのがほぼ同じくらい、という説明を受けました。社会に対する貢献を比較するとどうでしょう、という問いかけであったと思います。「研究者は社会保障を削って研究費を増やせと言えますか?」という問いもありました。これは大変巧みな誘導ですが、両者はそもそも規模が全然違うので、問いそのものが成立しないように思います。科研費を増やすからといって社会保障費を減らさなければいけないわけではありません。先日、防衛費が急拡大したせいで調達がうまくいかず1,600億円余ったというニュースがありました。こちらは総額が6兆円ですから、まあそういうことも仕方ないですね、という受け止めになっています。しかし、この額は科研費に匹敵する規模なのです。ちなみに、「Fラン大学への補助は打ち切れ」とネットで話題の私立大学等への補助金は総額で3,000億円です。我が国からもイノベーションを生み出すとか、研究開発を通じて次世代の産業を育成するとか、そういうスローガンと予算規模がマッチしていないように見えます。

国の予算ですから、これから我が国はどういう方針でやっていくのか、高等教育や専門家育成、科学技術への支援はその中でどう位置づけられるのか、そうした大きな議論が必要だと思います。

科学研究や高等教育をトピックにすることが重要

科研費増額の署名はいろいろな受け止めがあることと思いますが、社会の中での科学研究を考えるひとつのきっかけとなると思います。たくさんの署名が集まれば、「研究者は自分の自由になるお金が欲しいだけ」といった攻撃も受けるでしょうが、それに対してしっかり反論していくことが重要だと思います。一方で、署名が十分な数に達しない場合は、それよりもさらに厳しい状況に陥る可能性があります。即ち、仲間内ですら声が上がらないわけですから、重要な話ではないという取り扱いになるかもしれません。社会では科学がますます重要な位置を占めようとしている中、高等教育や科学研究が軽視されることによるダメージは大きなものになるでしょう。たくさんの人が関心を持っていることを示していただきたいところです。

JAAS会員のみなさま、そして科学振興に関心をお持ちのみなさま、是非、署名をお願いします。

日本の未来のために、科学研究費助成事業(科研費)の増額を求めましょう!

参考:科研費とは

文部科学省 研究振興局 学術研究推進課(令和6(2024)年7月) PDF

https://www.jsps.go.jp/file/storage/kaken_g_1860/r6_siryou1.pdf


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