自己の経験から「オタ卒」を考えてみる

こんにちは。YASHIです。

今回のテーマは「オタ卒」です。
いきなり物騒なタイトルですが、今推しているアイドルグループのオタ卒をするからという訳ではなく、これまで自身が経験した「オタ卒」を振り返りながら、それがどのような状態であったかを分析することが本記事の趣旨となります。

はじめに

私が経験した大きな「オタ卒」は2回あります。
①AKB48
②櫻坂46&日向坂46

①については約10年前で、人気曲の「フォーチュンクッキー」がリリースされるより前のことです。そのため、当時の記憶や感情はかなりあやふやです。(グッズも全て手元に残っていません)


②についてはつい最近のことで、昨年の夏〜秋にかけてになります。ですので、今回は②の経験をベースに記述していきます。

上記の記事で記述した通り、昨年の櫻坂46の東京ドーム公演にて個人的にライブを心の底から楽しむことができず、自分の心が坂道グループから離れたことを強く実感しました。

この時不思議だったのは、「4年間楽しんでいたものがそんな急に楽しめなくなるのか?」という点です。「この時既にK-POP界に心が移っていたから」がその答えでほぼ間違いないのですが、それにしてもそんなに簡単に鞍替えできるものかと自分自身に懐疑的になっていました。
(私という人間は本当に面倒くさいやつだなと自覚しています、、汗)


そのような状況の中で、久保(川合)南海子氏の本に出会います。

まず単純に、こちらの『「推しの」科学』に記載のある、「推し」に対するファン側の能動的活動(付随するプロジェクション・サイエンス)とは逆の状態が、私自身の中に生成されてしまったためオタ卒をしたのでは?という仮説を一旦立てました。


それでは、本書を主な参考文献としながら、自己の経験も交えつつ「オタ卒」を考えていきます。


なお、『「推しの」科学』において、「推し」をポジティブなものとして捉え、人生を豊かにするものとして語られています。
逆に本記事は「オタ卒」という真逆なテーマになり、久保(川合)氏ご本人と本書を愛読されている方には非常に申し訳なく思いますが、今回のテーマを考える上で抜群に参考になるため、何卒ご容赦いただきたくお願いいたします。


なぜ「オタ卒」をするのか

オタ卒の代表例

オタ卒をする理由は人によって様々なタイプがあると思います。

例えばこちらのサイトでは、

  • 私生活の充実

  • スキャンダル

  • 他の芸能人を好きになった

といった理由が多い項目として書かれています。

「オタ活」=「推し活」というように同義で扱いたいと思っていますが、久保(川合)南海子氏は著書の中で「推し」を以下のように定義しています。

(前略)好きな対象のイメージをもとになにかを生成してしまう、好きな対象と同じことをしてしまう。好きな対象の世界を現実で体感しようとしてしまう、など「推し」をめぐってファンはいろいろなことをしています。その対象をただ受身的に愛好するだけでは飽き足らず、能動的になにか行動してしまう対象が「推し」である、と本書では考えます。

「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か (集英社新書) 久保(川合)南海子著
P19

久保(川合)氏が定義する「推し」をベースに逆の意味で考えてみると、「能動的行動意欲の喪失」=「オタ卒」と言って良いと思います。

そちらをベースに先の三つの例を少し深掘りしてみます。

①「私生活の充実」&「他の芸能人を好きになった」
これは特定のアイドルに向けられていた推しに対する「能動的行動意欲」が他の対象(推し)に移行したということだと思います。
「私生活の充実」は、例えば彼女彼氏ができたとか、子どもが生まれたなど。「他の芸能人を好きになった」は、例えばジャニーズからK-POPアイドルに興味が移ったなど、比較的想像しやすいかと思います。

②スキャンダル
こちらは例えば、推しが女性と歩いているところを週刊誌にスクープされるなどで推しへの感情が冷めてしまったといったものがあると思います。つい最近も、有名女性アイドルグループのメンバーにスキャンダルが発覚し、そのメンバーのファンが10年以上集めてきたグッズをぐちゃぐちゃに破いた様子をtwitterに投稿して大きな話題になりました。
こちらの場合は推しに対する「能動的行動意欲」がアイドルの行動や活動により消失したということだと思います。ちなみに提供されるコンテンツに変化がないなどで「飽きる」もこちらに内包されると思います。

ということで、オタ卒する理由を大きく二つに分類すると、

推しに対する「能動的行動意欲」が他の対象に移行する
推しに対する「能動的行動意欲」が推しの行動や活動により消失する

以上に大きく分けられると思います。
細かく見るとより細分化できるかと思いますが、このnoteでは主にこちらの二つをベースに記述していきます。


「推し(オタ活)」に関する前提

久保(川合)氏は著書『「推しの」科学』の中において、「プロジェクション」を中心に話を展開されています。

世界の中に自分(主体)がいます。主体以外の世界を外界とします。外界からの情報を発する人や事物を「ソース(発射元)」と呼びます。外界からの情報を受けとって処理する主体は、ソースが提供する情報を処理して「表象(イメージ)」を構成します。そして主体は、その表象を世界の特定の人や事物に「投射」します。この表象が投射されたものを「ターゲット(投射先)」と呼びます。この一連のシステムが「プロジェクション」です。

「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か (集英社新書) 久保(川合)南海子著
P41~42

アイドルオタク(主体)と呼ばれる人々においては、推し(ソース)が提供する情報を処理してイメージ(表象)を構成し、そしてそれをアイドル(ターゲット)に投射している「プロジェクション」のシステムが構築されていると言えます。
例えば、清楚系アイドルが清楚系の曲を中心にパフォーマンスし、ファンサービスも同じイメージで対応をしていたら、推しに対してアイドルオタクはより強く「清楚系」というイメージをアイドルに投射していくことになると思います。
なお、詳しくは『「推しの」科学』をお読み頂ければと思いますが、推しが着ていた服と同じものを買ったり、ライブで掴んだ銀テープを部屋に飾ったり、推しのトレカと一緒に聖地巡礼をすることもプロジェクションの概念に内包されています。

また、投射とはかなり多様な形があり、ソースから発せられる現実に表出したものだけでなく、ソースからの情報を拡大させて生成した虚構を投射したり、全く異なる事物をソースに投射するなど様々な形があります。
最近人気が鰻登りのNew JeansのMVはまさにこのプロジェクションを活用した分かりやすい一例です。「Ditto」のMVの主人公ヒスは、実在しないNew Jeansのメンバーを自分の日常生活に投射しています。
また「OMG」のMVでは各メンバーが実際の自分とは異なる自己を自らに投射しています。

『「推しの」科学』においては、非常に多様な例とアイドル以外の様々な事例が紹介されていますので、ぜひご一読いただきたい一冊です。

さて、上記を踏まえまして、「推し活」は能動的活動を伴うということを前提に、この「プロジェクション」もともに発生していきます。

なお、「プロジェクション」において、「表象」および「投射」という活動が行われなくなった場合は、ただ単純にソースが発信するものを受けるだけになるので、それは「推し」とは言えない状態かと思います。一般に「ライト層」と言われる方々はそれに近いかと思います。


「能動的行動意欲」の移行

さて、「プロジェクション」の話をした上で、「オタ卒」の具体的な事例を改めて深掘りしていきます。

まず、推しに対する「能動的行動意欲」が他の対象(推し)に移行した場合ですが、基本的に「プロジェクション」は消失していません。あくまで、対象が別のものに移ったというだけで、「推し」という概念が生き続けています。アイドルだけでなく、一般生活の話も同様です。彼女彼氏ができたり、子どもが生まれたりすれば、その人間関係の中に「プロジェクション」が生じます。
ただ本記事はアイドルを対象としていることが前提ですので、その「推し」の対象がアイドルでなくなった場合は全て「オタ卒」と言えます。

ちなみに、『「推しの」科学』において特に言及はされていませんが、「プロジェクション」は個人の中で複数種類かつ多方面に同時展開できるかと思います。というのも、アイドルの「推し」を持ちながらも恋人や家庭を継続して持つ人々も多いからです。また、ジャニーズもK-POPも坂道アイドルもアニメもみんな好きという方もいます。

また、②「能動的行動意欲」の消失によって、違うアイドルを推し始める場合もあるかと思います。これは「オタ卒」から新しい「推し」の始まりと言えます。


「能動的行動意欲」の消失

さて、こちらは先ほどの「移行」とは打って変わって、「プロジェクション」も含めて完全な消失が起きていると仮定します。なお、今回は「スキャンダル」による消失を主軸とします。

まず、アイドルに関して言えば大前提として、「アイドルは恋愛をしない(してはならない)」というプロジェクションがあると思います。これはアイドル側が明確に表明しているかしていないかに関わらず、これまでの文化的構築の積み重ね故に、ファン側からほぼ自動的に投射されます。(個人差はあります。)

そして、私の経験上ですが、上記を土台としてファンからアイドルに投射されるものは大きく二つあると思います。

①アイドルとの1on1の関係の投射

②アイドルは誰のものでもない普遍的存在であるという投射

①は例えばアイドルとの疑似恋愛などが当てはまるかと思います。ファンは「推しと(恋愛と同等の)心を通わせている」という投射をする、それらは例えばK-POPで言うヨントンといったビデオ通話やサイン会に足繁く通い、メンバーに覚えてもらうなどすればより強固な投射になります。ファンがアイドルとの1on1の関係をプロジェクションで最重要視しているパターンです。いわゆる「同担拒否(推しが同じ人とは関わらない)」はその一例であると推測します。(その推し方が悪いわけでは全くありません)

②については、メンバー個人の「活動を応援している」というスタンスの方が最も多いかと思います。①ほど強力な1on1の関係を投射はしていませんが、場合によっては「友達のような非常に近い距離での関係」といった投射をし、それをより強化するためにアイドルから認知をもらおうとすることもあり得ます。②も場合によっては強固な1on1をベースとしたプロジェクションが発生し得ます。

さて、この①と②を一気に崩壊させるのが「スキャンダル」です。アイドルが恋愛をするということは、大前提であるアイドルの「アイドルは恋愛をしない(してはならない)」という投射が崩壊します。そのため、その土台の上に成り立っていた①と②は一気に崩壊をします。

特に①は1on1という関係が崩壊し、そのダメージは測りしれません。②については普遍的ではないという現実と共に、ルールを無視したという不信感に繋がると思いますので①ほどダメージは受けないものの、失望によりプロジェクションが消失してしまうファンもいるでしょう。
ただ、②のファンの方がアイドルは普遍的存在と捉えているので、継続して「推し」で残る可能性は①に比べれば比較的高いかと思います。

また、刑事事件などの不祥事による推しに対する失望なども、プロジェクションの消失に繋がるでしょう。

私の不完全な「推し」

これまでの記述を通して、私のオタ卒は「能動的行動意欲」の移行に該当すると思いました。

私の場合は、中高生の頃からR&Bやダンスミュージックを中心として好みつつ、大学生の頃にアイドルにハマりました。しかし、両方の音楽は親和性が非常に低いため、今流行りの「マルチバース」のように自分の中で並行世界として存在していました。
(アイドルについては「ビジュアル」と「キャラクター」を中心軸としていたと思います。)

ただ、長く親しんだ分、音楽の嗜好生としてR&Bやダンスミュージックの方が強力な軸になるので、音楽嗜好性としてアイドル側にその嗜好性(スキルの高さも含む)を「投射」したくなるようになります。それは単純に私のエゴでありますが、その投射がマッチすることはほぼありませんでした。コンセプト的にしょうがないことで、グループには何の罪もありません。演歌歌手にラップをしろというくらい無茶な話ですから。
(余談ですが、櫻坂46の「ジャマイカビール」はかなり近いところまで来ました。)

この積み重ねが櫻坂46の東京ドーム公演における(演者の良し悪しに関わらず)個人的な満足度の低さに繋がったと思います。

そして、昨年8月に出会った「IVE」は、この投射を完璧な形で反映してくれたアイドル(ソース)であり、アイドルとR&B +ダンスミュージックの嗜好性が初めて融合した瞬間だったと思います。それを機に「能動的行動意欲」がK-POPに完全移行したと考えています。(これにはIVEのメンバーであるレイの3ヶ国語ラップ、リズの歌唱力、イソのBTSダンスカバーなど個人のコンテンツも後押ししています。)

また、今までアイドルに涙したことがなかった私がIVEのファンコンサートで初めて涙したという記事を以前書きましたが、それはこの「投射が見事にマッチングした」という感動を、舞台に立つ彼女たちに投射していたからだと改めて思いました。


さて、そもそもの話になりますが、アイドル(坂道グループ)に対して投射の不適合による不完全なプロジェクションという状態が「推していた」と言えるのでしょうか。実際問題として「坂道グループを応援していた期間はどういう状態だったのだろうか?」というしこりがいまだに残っています。

久保(川合)氏は著書の中でこのように記述されています。

(前略)時に行きすぎた「推し活」からふと我に返り、なんの見返りもないのに無駄なことをした・・・・・・とむなしくなったり、自己嫌悪に陥るようなことがあるかもしれません。そんな時はぜひ、いやそんなことはない、私は人間としての幸福を享受していたんだ!と思いなおしてください。

「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か (集英社新書) 久保(川合)南海子著
P145~146

このnoteを執筆している最中も坂道グループを中心に推していた時を思い出していますが、「幸福の享受」は確かに数多くあったと思いますし私もそう思うようにしています。
しかし、K-POPグループから提供されるコンテンツの方が投射と強くマッチしてより強い幸福の享受をもたらした。そして、坂道アイドルの「オタ卒」→K-POPアイドルの「推し」が始まったと思います。

最後に

今回は「オタ卒」をテーマに記述いたしましたが、冒頭に記述した通り4年間推した坂道グループから他の世界に移った自分に対する疑念から生まれたnoteです。

結論としては、「坂道アイドルとのプロジェクションが不完全であったため、よりマッチングするK-POPに移行して坂道アイドルオタクを卒業した。」という結論に達しました。

ただ、楽しむ頻度は激減したとはいえ、坂道アイドルへのリスペクトを忘れたことはありませんし嫌いになったことはありません。彼女たちへの感謝は忘れてはいけないと思っています。

このnoteを記したことを契機に、かつて経験した「オタ卒」の概念に触れることは終わりとし、今応援しているグループを「推し」ていくことに集中していきたいと思っています。


最後までお読みいただきありがとうございました!


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