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ジャン=ジャック・ルソーという生き方

このnoteの趣旨

 ジャン=ジャック・ルソー。このnoteに辿り着いたあなたは、きっとルソーという人物のことを、名前だけでも聞いたことがあるのではないでしょうか。または、もしかしたら、名前だけではなく、『社会契約論』という本のタイトルを、学校の授業で習った記憶があるかも知れません。

 このnoteでは、ルソーがもつ魅力を、私なりの切り口で発信し、願わくば皆さんとルソーの魅力について共有し合うことを目的に、ルソーの著作を丁寧に紐解いていく記事を書きます。(いつか、ルソー以外の哲学者についても、同じように発信することができたら良いと思っています)。このnoteで、私がルソーの著作を読みとく記事を掲載していく際、私としては、以下のような読者を想定して、記事を書くことにしたいと思います。

①全然ルソーのことを知らないけれど、学校の課題などで、ルソーについて調べる必要がある方

②少しはルソーのことを知っているけれど、もっと詳しくルソーについて知りたい方

できるだけ多くの方に、このnoteと接することで、ルソーについて詳しくなったり、ルソーを一緒に読みといてくださったりして、私とともに、ルソーを、そしてルソーとたのしむことができれば、僭越ながら嬉しい限りです。

 ただし、できるだけ間違いがないように注意して読んでいきますが、このnoteで書かれている内容には、どうしても誤りや不足、ズレが入り込まざるを得ない、ということを予めお断りしておかなければならない、とも思っています。したがって、上記のような「学習者」を読者として想定してはいるものの、決してこのnoteは教科書のような出来栄えを保証できるようなものではなく、たくさんある解釈のなかの一つとして、私のnoteを楽しんでもらいたいと思うのです。しかし、「逃げ」のつもりでこのようなことを書いているのではありません。考えてみれば、ある著作で書かれていることを完全に理解していると言えるのは、その著作を書いた本人だけであるはずです。加えて、フランス語で書かれた文章を、日本語を母国語とする私が読むわけですから、仮に日本語で読むとすれば、日本語に訳した訳者の方を介してルソーに接する以上、ズレも発生しないはずがありません。(だからこそ、可能なかぎり、フランス語版の原書にもトライしていきます)。

 私はこのnoteを書くことで、私自身の独りよがりなルソー理解を克服したい、と思っています。いわば、私自身が、「学習者」なのです。哲学の専門的な研究者ではない私が、あえてこのようなnoteを試みるのも、何よりもまず自分の勉強になるだろう、と考えたからなのです。


ルソーを選んだ理由

 では、なぜルソーなのか。先ほど挙げた『社会契約論』は、1762年に出版され、のちのフランス革命に大きな影響を与えました。また、この本は公刊されてから250年以上経った今もなお、色褪せることなく、世界中で多くの人々を魅了し続けています。

 ルソーの業績は哲学に限られません。有名な童謡「むすんでひらいて」は、彼が作詞・作曲したオペラ『村の占い師』の旋律がもとになってできているのです。さらに、『エミール』において教育論を展開したり、恋愛小説を書いたり、植物採集に没頭したり・・・。ルソーは、挙げればきりがないほど多岐にわたる分野で活躍しました。そんな彼は、まさに天才。しかし、この天才ルソーは、正式な学校教育を受けたことがありませんでした。すなわち彼は、「独学の天才」だったのです。

 ルソーが独学の天才でありえたのは、彼が「自分に限界を設けなかったから」だと私は考えています。また、出世欲ではなく、純粋な知的好奇心が彼の原動力だったからこそ、ルソーはあらゆる分野で功績を残せたのだと思います。出世や社会的成功を求める、ということは、裏を返せば、社会で認められる程度の努力をしておけば、それでよいということでもあります。しかし、「ここまでできていれば及第点だろう」と一度でも思ってしまったら、その分野でその人の能力がそれ以上芽吹くことは、もう二度とないでしょう。もちろん、ルソーもサロンでの成功を夢見ていたかもしれませんが、その成功だけを自身の目的にしなかったからこそ、彼は天才たりえたわけです。

 翻って、私自身は、他者から褒められることに喜びを感じていないだろうか。学ぶことに予めゴールを据えていないだろうか。役に立つことを知らず知らずのうちに優先していないだろうか。些末な日常生活に忙殺されていないだろうか。しかし、ルソーの生き方を通して、私たちは、自分が設定した限界を破り、自己を褒めてくれない人の話にも耳を傾け、もし自分が学ぼうとしていることが、役に立たないことだったとしても、「単に知りたいから学ぶ」ことに幸せを感じられる生き方を、もっと大切にしなければならない、と気付くべきではないでしょうか。

 知ることのこの上ない幸せを、ルソーの著作を読みといていくことで、追体験できるのではないか。だとすれば、それだけ魅力ある人物を、読まずに死んでしまうなんてもったいない・・・。私は、そんな思いで、自分の不出来を感じつつも、エイッとこのnoteを書くことを決心したのです。

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