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妻はゼミ生13:利他の種類を考える「手に届くところの共感」と「そこにはない可能性の世界」

妻はゼミ生を18年くらいやっています。もちろん、本当のゼミ生ではないですよ。私のくどい話を聞き続けて18年ということです。そして、「100年物の木は100年前の林業従事者が植林したものだ。今の私たちの中に100年後の子孫が収穫する木の苗を植林して世話をできる人がどれほどいようか」という話しが本当にしつこいと思った時は、「熟れたイチジクに生ハムを巻くと美味しいのよ」と返してくるのです。
これが出たらね、ゼミは終了です。そして、「冷凍バナナにチョコを付けて食べても美味しいよ」という返事をしないと、その後、一週間口をきいてもらえなくなるという地獄を味わうことになります。

さて、今回は「近いところの共感」と「当いところの理論合理性」です。

美学者の伊藤亜紗さんは『「利他」とは何か』のなかで、次のように述べていました。

つまり、地球規模の危機は、「共感」では救えないのです。なぜならばそれは、想像もできないような膨大で複雑な連関によって起こっている危機であり、「近いところ」に関わろうとする「共感」では救えないのです。
伊藤亜紗編『「利他」とは何か』集英社新書 30頁

実は私にも思い当たる節があります。その辺を意識しながら論文を書きました。

気候変動に協力する人の特徴について、現金を用いた社会科学実験を行った際、向社会性をはかるSVOゲームも行いました。つまり、人のためを考えて行動する人であれば、気候変動対策に拠出するお金も多いだろうと考えたわけです。たしかに、寄付額はマグニチュードも統計的にも有意な結果が出ていました。

しかし、より多くの寄付をし、かつ統計的にもロバストだったのは、基本的な科学の知識を持つ人(気候科学等の知識ではなく)化学、遺伝、宇宙、地学、植物等に関する極一般的な知識をというテストの点数が高い人でした。かつ、気候変動が人為的な活動を原因にしているという認識を持つ人がより多くの寄付をしました。向社会的、利他的な行動をする人でも、共感しやすい身近な距離にいる人遠い世界に住む人へのイメージではリアリティが異なるかもしれません。一方の科学知識は、「近いところ」だけでなく「遠いところ」、つまり目の前に見えない現象についても記号を用いて、理論合理的に考えようとする可能性があります。

私の論文は↓です。

これは、ドーパミンの影響もあるかもしれません。

「近いところ」という意味では、親子関係などの人間関係に強い関連があるオキシトシンのようなホルモンが影響していそうです。しかし、離れた世界への想像力や好奇心や計画性など、「遠いところ」についてはドーパミンの働きが関係しているかもしれません。その辺についてヒントになったの本はいくつもありますが、以下の本には大変興味深く感じました。


この本によると、ドーパミンの影響が及ぶ領域は芸術、文学、音楽の創造なで幅広いと言います。例えば、新世界や自然の法則の発見、神をめぐる思考、そして恋もそうです。

ヒトは期待値に対する驚きから生まれる「ドーパミンの急増」を経験しています。実際の出来事が予測よりも良ければ、それは未来予測との(良い方向への)誤差となります。しかし、同じことが「日常生活の一部」に溶け込み、驚き、つまり報酬予測差が起きなくなると、ドーパミンは増加せずに興奮も起きなくなります。

ジョン・ダグラス・ペティグリュー(オーストラリアの生理学者)は、「脳がどのように三次元の世界地図を描いているか」を明らかにしました。ペティグリューの発見は「脳が外の世界を別々の領域にわけて処理している」ことでした。つまり「身体近傍空間」「身体外空間」の領域です。前者は「近いところ」「手に届くところ」に現実にあるもの、後者は「遠いところ」「そこにはない」、いわば可能性の世界のものとなります。

「身体近傍空間」では、触る、味わう、掴む、幸福、悲しみ、怒り、喜びなどが主な体験です。「身体外空間」で起きる相互作用は未来の出来事、遠くの出来事です。時間は距離と結びついています。これを手に入れるためには労力、時間、計画が必要です。自分が今手にしている食糧と(まだ)手にしていない食糧では進化論的にも意味が違ってきます。ドーパミンの明確な仕事「未来に手に入れられる資源を最大化」し、「良いものを追い求める」ことです。

一方で、刺激を求めすぎる人は自分の意志で選択しているように感じつつも、実のところはドーパミン(受容体がアクティブすぎる七日、制御ドーパミンに問題があるのかわかりませんが)に人生を誘導されている可能性もあるわけです。ドーパミンの任務は「もっと多くを手に入れろ」とヒトを促すことです。つまり、「果てしない不満を育てる物質、ドーパミン」によって突き動かされているわけです。ノーベル経済学賞のカーネマンらが指摘していた「快楽のランニングマシーン(hedonic treadmill)」「幻想のゴール(focusing illusion)」などは、これに当てはまるのかもしれません。

「身体近傍空間」「身体外空間」の領域、双方に上手く働きかけるような考え方や仕組があれば、いろいろとバランスが取れるのかもしれません。そして、このバランスが持続可能性を考えるうえで重要なことなのだと思います。


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