OH!へんろ。親子の88か所巡り(23番札所):医王山 薬王寺(徳島編の最終回)
わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。
本堂に向かう階段は「女厄坂」(33段)、続いて急勾配の石段「男厄坂」(42段)、さらに本堂から「瑜祇塔」まで、男女の「還暦厄坂」(61段)からなりたっています。
それぞれ石段には薬師本願経の経文が書かれた小石が埋め込まれていて、参拝者が1段ごとにお賽銭を置きながら階段を登る光景が見られます。
小さい子供は、それを拾いながら歩いてしまうので、注意しましょう(笑)
徳島県編は最終回。次回は高知県編に突入です。やめておけ(心の声)
今日の煩悩
お金。素晴らしい響きです。うちの園児の男の子は「なんだかわからないけど、お金という物体を持っていくと、チョコバットが貰える。お金は便利な道具」と思っていました。
お金は「時間差」を可能とした点で素晴らしい発明です。物々交換だったら、夏の作物と冬の作物の交換が難しいですもんね。
人間同士が交換するくらいでは、身体という制限もあるので、交換の範囲は限られます。しかし、経済発展が進むにつれて、需要を作り出すために、身体性を超えたことが経済のあり方を変えました。
つまり、お金でお金を交換するようになったことによる変化です。身体性にとらわれずにニーズを作り出せますしね。実際、ウォール街に関係する仕事ではAIがお金や証券を右左に半自動的に動かして「お金を集めます」。価値を創出しているわけではないです。お金を集めています。
お金は「善」でも「悪」でもない中立なツールという意見もあります。その通りなのだとは思います。
手間暇かけた製品を作った職人が稼いだ10万円。AIが半自動的にお金でお金を買う作業で集めた差益1億円。お金が唯一の尺度であるならば、手間暇かけることを選ばない人が増えてしまいそうです。
お金が足りていないところがあるのに、お金がだぶついているところもある。動かすことでお金を増やす人たちは、お金を留めていることを嫌がります。
そういえば、サブプライム問題というのがありましたね。あれ、これです。
だぶついたお金を動かしたい。優良なお客さん(プライムなお客さん)はもう欲しいものもだいたい持っていて、消費をしてくれない。
ということで、これまでだったらお金を融資しなかった客層(プライムではないお客さん)にお金をどんどん貸し出して、住宅や自動車を買わせる。もっとだ、もっと。
そして、ローンで購入した住宅を担保にして、次のお金を融資する。そして、また住宅を買わせる。そして、それを他人に賃貸しして、また、新しい家を建てる。
そして起きたのが、リーマンショックでしたね。どこかの時点で上手くいかなくなるビジネスだったわけですから当然です。もちろん、仕掛け人は損をする前に売り抜けました。
お金は等身大であることが良いのですが、「あればあるほど良い」「もっとだもっとだ」という所から身体性を離れると、途端にモンスターになってしまいます。
経世済民、いい言葉だと思いますけどね。
御詠歌:
皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ
本尊:
厄除薬師如来
創建:
神亀3年(726)
真言:
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
歴史:
聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって行基菩薩が開創したとされいます。弘仁6年(815)、弘法大師が42歳の時に、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄除けの祈願寺としたとのことです。
所在地:
徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285-1
駐車場:
駐車場 無料
公式HP:
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