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大学院警備員の小砂16:何とかの呼吸、ほにゃららの型を身に付けることは大事

ここの話は私が20代の頃のしょうもない経験と考えたことを元に回想し、解釈しているだけで、必ずしも正しい知識ではないことが含まれていることをあらかじめおことわりしておきます。
1992年、夏。私は朝の新聞配達以外は「引きこもり」のような生活から少し歩みだし、20歳の時に江東区にある高層ビルで警備員のアルバイトになりました。夜間のアルバイトです。そして、夜勤の警備員アルバイトをしながら、21歳の時に大学生になりました。
24歳で就職をせずに浪人し、自動車工場の期間工を経て、大学院に入学しました。こんどのアルバイトも警備員ですが、場所は病院です。

さて、私は大学の研究者になることをリアルに考えていなかったので、あまり、大学院生の模範になることはしてきませんでした。残念な限りです。やはり、研究者を目指す者は具体的に計画し、しっかりと行動する必要があります。

私には、「自分のキャリアについてしっかり考える態度、成熟度が足りなかった」と思います。

研究者になることを視野に入れるのであれば、「博士論文」のことを考え、それにつなげるための査読論文(できれば国際ジャーナル)に計画的に取り組むべきですし、学会で発表する準備を進めるべきですし、日本学術振興会の特別研究員の申請を想定したり、具体的な行動をすべきだったと思います。

自分の好奇心による「勉強」であれば、図書館で本を読んだり、インターネットで論文をダウンロードして読めばいいかもしれません。いまは、便利になりましたからね、大学がライセンスを購入していれば、大学のネットワーク経由で、Elsevier、Springer、Willyやらのジャーナルが出版する論文をPDFで読めますし、PLoS ONEやMDPIなどのOpen accessの論文は自宅からも無料で読めます。Google scholarで検索すれば、バージョン違いの論文を無料で読めるかもしれません。

しかし、やはり、先輩や指導教員の背中をよく見て、スタイルと言うか流儀のようなものを「見てまねて学ぶ」ことが大事なんだと思います。そして、その過程をちゃんと見せてくれる先輩や教員が近くにいたらそれはもう幸運です。

オンラインの大学院ももちろん良いのですが、もっともお得な学びは、彼らの研究スタイルを見せてもらうことに学費を払うことです。そのための先輩や先生のお手伝いであり、学会などについていく理由です。あのフリーランスの外科医なら良いですが、研究室で「いたしません」は意外と損なのです。

私は研究者になることをリアルに意識していなかったので、この辺に疎かったのです。アウトです。確かに、よく本を読みました。ゼミでディスカッションもしました。しかし、きっちりと論文にアウトプットすることを実践していなかったので、しゃんとしたスキルがつかず、下手をするとただの「学部生より少し物知り」の人になってしまう恐れがあります。

何とかの呼吸、ほにゃららの型、というように基本の型を身に付けることは大事です。このへん、理系に多い講座など、共著で論文を書く文化がある研究室と、羊の放牧文化の強い文系では違いがあるのかもしれません。しらんけど。

リアリティをもって論文に取り組んでいれば、論文の構成をちゃんと考えられているか、パラグラフの構成は大丈夫か、リファレンスはちゃんと読み込んでいて内容を誤解していないか。適切に統計が使われているか、英語が冗長じゃないか、同じことの単なる言い換えや自己剽窃はないか。何を自分が知らなくて、何を知るべきかということが意識できると思います。

やっておくべきだったな、と後悔します。覆水盆に返らずですが、自分がその域に成熟していなかったことは確かなのでしょうがありません。頑張って成熟するか、成熟を待つしかありません(笑)。私は就職活動も中途半端、研究活動も中途半端だったと思います。

それでも「自分の勉強」レヴェルであれば修士論文は書けます。私は、修士論文の研究時間を確保するために、警備員としてのアルバイトを月数回まで減らし、提出数か月前には長き警備員のキャリアをリタイヤしたのでした。これが最後の警備員の時間です。

おまけ

修士課程の1年目は入学の前年に警備員のアルバイトと自動車工場での期間工をやってしまったために、いわゆる低所得世帯の「学費免除」は受けられませんでした。しかし、2年目は自分一人世帯で独立していましたし、病院でのアルバイト時間は結構制御していたので、前期・後期でそれぞれ半額免除、全額免除されたように記憶しています。

経済的に苦しい場合のひとつの方法は、国立大学の学費免除申請(全額、半額)とTA(教務助手)、RA(研究助手)などの大学内でのパートタイムです。

結構ショックだったことは、大学の事務室に書類を出した際に、実家の家計を見て「他に収入減があるはずだ、これじゃ暮らせない」と事務員が発した言葉でした。そうか、実家はそんなに大変な状態だったかと思うと同時に、いや暮らせているし、と少しだけイラっときたのでした。


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