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【study】 or 【learn】。

コーチを始めて、5年が経った。

夏休みの練習に行くと必ず囁かれる「社会人辞めた」説。
※社会人にも、夏休みは、あります。

ただ、補足して、自論を述べると、
練習も、テスト勉強や宿題も、そして仕事も、
時間の使い方がめちゃめちゃ大事だと思っていて、それ次第で、やるべき事とやりたいことを並立させる方法はいくらでもある。
そして、自分の場合、やりたいことをやるための、その『時間の捻出』に対する拘りが、めちゃめちゃ強い。

加えて、何をするにおいても、『クオリティはなるべく落としたくない』という思考が回っている。

ここでのミソは、“最高のクオリティ”を目指しているわけではない、ということ。
“Do the best.” を大切にしている。あるだけの時間・使えるだけの時間をフル活用して最善をなす、但し、手抜きはしない。そんな感覚だ。


今日は、6日間ある夏休みのうちの1日を消化し、午前中は大学の部活へ、午後は中学生の部活へ参加させてもらった。

様々な活動制限がかかっていた期間に、いくつかの本や記事を読んだ。

その中で、

指導者が選手に伝える物事の背景として大事なのは「勉強したこと」ではなく「考え抜いたこと」である。

という一文を目にした。


学びは大事。でも、「人から学ぶ」止まりではなく、そこからもう一歩踏み込んで、「考え抜いた自分の信念」を伝える必要がある、そんな気がした。


ここで話は、表題の【study】or【learn】に繋がる。

これら2つの語は、どちらも「学ぶ」という訳になるが、実際には、意味に明確な違いがある。

何かを学ぶ「過程」か「結果」か、ということ。


【study】は、本や参考書、インターネット、授業などを通して、知識や技術、情報などを習得するための、学習/研究行為そのものを示す。

ポイントは、学習や勉強の行為を示しているだけであるため、実際に習得したのか否かは関係ない、という点。

【learn】は、自らの学習や誰かの教えを通して、学習内容を実際に習得することを意味する。【study】とは違い、実際に知識や技術をしっかり理解し、自分のものにしていることを示す。


勉強するという行為に重点が置かれている【study】と、
勉強や経験という行為を通して「何かを身につけた」という状態に重点が置かれている【learn】。


【study】によって伸びしろを生み出して、【learn】によって発展させることができるのが、自分の理想である。


今日の練習終わりに、大学生選手に

「ちょっと優しくなりすぎじゃないですか〜??」という言葉をもらった。

それに同感した、他の選手がまた、

「それ、私も思ってました!自分達に関心がないみたいな、そんな感じがします!!!」

と、、。


語弊がないように、敢えて書き起こすと笑、
これは決してシリアスな雰囲気で発された言葉ではなく、心素直に感じたことを、ポンっと投げてくれたような、そんな感じだった(はず)。

「関心がない」わけではなかったけれども、その2人が言わんとしていることに対しては、とても心当たりがあった。

たしかに、「キリッと、シャキッと」みたいな言葉がしっくりきていたであろう以前までの自分に対し、今は「ユルッと」という表現の方が適切な気がした。


以下、弁明。笑

ビジネス書にも共通して言えることではあるが、「コーチング」について記されている最近の書籍は、“教えないこと” “怒らないこと”を推奨するものが多い。

その中には、

・余計な一言が、選手のパフォーマンスを低下させる
・選手は勝手に成長する
・そもそも選手と自分とで、経験・知識・常識が全く異なる
・教えることも大事だし、引き出すことも大事だし、それ以上に、見守ることも大事である
・褒めて、伸ばす


などなど、“教えないこと” “怒らないこと”が好ましい理由が、沢山書かれている。


じゃあ、私は一体、練習に、何をしに行っていたのか、
と言うと、意識して、監督の言葉を“翻訳すること”に注力していた。

監督の指導やアドバイスが上手く浸透しきれていないように感じられる選手に対して、手を替え品を替え、そのアドバイスが“ピンと来る”瞬間が訪れるよう試みていた。


しかしながら、このアクションはたぶん、まさしく【study】で。

見聞きした話を額面通りに受け取って、それを実行することが、自分のコーチングの『全て』になっていたような気がした。

でも実際には、見聞きして得た、上述の知識はコーチングの『一部』でしかなく。

時には“具体的な指示”を必要としている時があって、コーチングの本質は、得た知識を元に、もっとしっかり自分自身が思考した上で、

“教えるが、教えすぎないこと”

にあるように思えた。


選手達から見える自分は、いつの間にか「つまらない社会人」になっていたかもしれない笑。
※ポジティブに言うと「しっかり大人になった」ということでもあるが、、、笑

それ即ち、何を意味するのか。

まあ、端的に書くと、
「小さくまとまってしまいました。」
という感じだろうか。

上流から流されてきた大きくゴツゴツした岩(大学入学当初の自分)が、
荒波に揉まれ、他の岩や石、左右の岸にぶつかりまくった(それ以降の、これまでの生活で重ねた経験)結果、
下流に辿り着いた時(今現在)には、丸く小さくなっていました〜、

という、あの原理と同じような感じかもしれない。笑


ということで、
自分の中のどこかに眠ってしまった

「歯向かう努力」と「飛び出す努力」

を、もう一度呼び覚まし、

【learner】であり続けられるよう、

自発的な思考を繰り返し、最良手を探り、状況に合わせて変化できる自分を創りたいと思う。



『自分で掴んだ答えなら、一生忘れない。』




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