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誰のための部活か。(2018/12/28)

今日は日々、中学生と部活動をする中で感じた、環境の違いについて、そして、学校教育についての考えたことを残そうと思う。


ここでは、私が10月から足を運びはじめた、川崎市立の中学校の部活動について書いていく。
この学校は、顧問の監督さんは、前任校にて全国ベスト8の成績を収め、日本代表選手を輩出した経験もある方だ。

選手に対するソフトボール脳の教育を徹底しており、それは、攻撃ではランナーを進める打撃術から、ランナーの第一リードの大きさにまで及ぶ。
強さの秘密は、ミスにひたすらに厳しいこと/賢いソフトボール脳の育成 の2点が大きいだろう。

例えば、ランナーがいる際の内野フライは、重罪として取り上げられる。
とにかく、たたけ・転がせという、競技の性質を踏まえた上での戦術に徹しており、言わずもがな、勝つことに対し、ひたすらに貪欲である。


話を聞くと、前の代までは市内きっての強豪校として戦っており、代替わりと共に実戦経験の少ない下級生が試合に出るようになったのだと言う。
そのため、現役選手達は、これまでのチームが当たり前のようにやってきたことができない。

守備中にランナーが出れば、エラーの連鎖が起こり、
セカンドランナーは、ワンヒットで還って来られず、
たたく前に、バットにボールが当たらない

加えて、上級生と比べ、主張の優しい選手が多く、人数が少ないため反骨精神を煽ることも、練習中の活気を生み出すことも難しい。


監督さんは、様々な面における前チームとのギャップに苦戦しておられた。
非常に熱く、勝利第一主義の元甲子園球児。
檄を飛ばし続ける厳しい指導法で選手育成してきた経験を信じて、これまで同様のアプローチをした結果、次第に選手達の心が監督さんから離れてしまったのだった。

そんな状況のチームに誘われたのが、自分だった。
自分で言うのも変な話だが、確実に彼女達にとっては、一筋の光であったと思う。
私が以前から行っていた私立の中学校と、この公立の中学校とでは、環境が全く違い、しばらくは衝撃の連続だった。


どこまで『厳しく』指導するべきなのか。
どこまで指導を『与える』べきなのか。


私の尊敬する野村克也氏の言葉に
「人を見て法を説け」
というものがある。

叱責されている選手を見ながらふと、
『誰のための部活か』と考えた。


監督さん、あるいはコーチは、何のために指導しているのだろうか。

もちろん、根幹にあるのは、チームの勝利のためであろう。"勝ち"というのは、もちろん、懸命に指導に当たる監督・コーチにとって、大きな喜びとなる。

しかし、その勝利云々以上に、この『部活動』というものを通して、部員達にスポーツの楽しさや難しさ、チームという存在の煩わしさや頼もしさなどを教えることに大きな意義があると思う。
この先も長く続く部員達の人生に繋がるような、もっと言うなら、その人生をより輝かせるための時間とするべきなのではないかと、私は考える。

よって、指導者の「勝利欲」が、部員達の想いより先行したりヒートアップすると、選手達は少し苦しくなるのかな〜と。
これは、私がこの中学校で指導する機会を頂けたからこそ、得られた気づきである。


ここで大切なのが、前述した野村氏の言葉である。

与えすぎても、与えなさすぎてもいけない。

仕掛け作りをしたら、ひらすらに『待つ』のだ。

大切なマインドは『来る者拒まず、去る者追わず』だと思っている。
もちろん、往々にして去る者を必死に追ったりもするが笑。


選手の想い。
指導者の想い。

色んな想いが交錯する中で作り上げられる部活動・チームというのは、やっぱり難しい。


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