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【随想】芥川龍之介『仙人』

 昔、大阪の町へ奉公に来た男がありました。名は何と云ったかわかりません。唯飯炊奉公に来た男ですから、権助とだけ伝わっています。
 権助は口入れ屋の暖簾をくぐると、煙管を啣えていた番頭に、こう口の世話を頼みました。
「番頭さん。私は仙人になりたいのだから、そう云う所ヘ住みこませて下さい」
 番頭は呆気にとられたように、暫くは口も利かずにいました。
「番頭さん。聞えませんか? 私は仙人になりたいのだから、そう云う所ヘ住みこませて下さい」

芥川龍之介『仙人』(短編集『蜘蛛の糸・杜子春』)新潮社,1968

 さて明くる日になると約束通り、田舎者の権助は番頭と一しょにやって来ました。今日はさすがに権助も、初の御目見えだと思ったせいか、紋附の羽織を着ていますが、見たところは唯の百姓と少しも違った容子はありません。それが反って案外だったのでしょう。医者はまるで天竺から来た麝香獣でも見る時のように、じろじろその顔を眺めながら、
「お前は仙人になりたいのだそうだが、一体どう云うところから、そんな望みを起したのだ?」と、不審そうに尋ねました。すると権助が答えるには、
「別にこれと云う訳もございませんが、唯あの大阪の御城を見たら、太閤様のように偉い人でも、何時か一度は死んでしまう、して見れば人間と云うものは、いくら栄耀栄華をしても、はかないものだと思ったのです」

同上

「それから左の手も放しておしまい」
「おい。おい。左の手を放そうものなら、あの田舎者は落ちてしまうぜ。落ちれば下には石があるし、とても命はありはしない」
 医者もとうとう縁先へ、心配そうな顔を出しました。
「あなたの出る幕ではありませんよ。まあ、私に任せて御置きなさい。――さあ、左の手を放すのだよ」
 権助はその言葉が終らない内に、思い切って左手も放しました。何しろ木の上に登ったまま、両手とも放してしまったのですから、落ちずにいる訳はありません。あっと云う間に権助の体は、権助の着ていた紋附の羽織は、松の梢から離れました。が、離れたと思うと落ちもせずに、不思議にも昼間の中空へ、まるで操り人形のように、ちゃんと立止ったではありませんか?
「どうも難有うございます。おかげ様で私も一人前の仙人になれました」
 権助は叮嚀に御辞儀をすると、静かに青空を踏みながら、だんだん高い雲の中へ昇って行ってしまいました。

同上

 信じる者は救われる。いや、信じる者は、力を得る。それは夢が夢ではなくなる力、空想を具現化する力。信じるという事は、世界を”そう見る”という事であり、例えば光の速度は不変だと、”そう見る”から世界はそういう形になり、その信念に基づいた原理が生まれ、その信念に沿うように世界のあらゆる現象が展開し、その信念に沿うように解釈出来るようになる。信念に沿わないものは、有り得ないものとして無視するし、無視されたものは存在しないのと同じである。幽霊など存在しない、仙術など存在しない、そう思えば世界はそういう風に見えるのであり、人は見えているものだけを世界として認識するから、何も矛盾は生じない。
 この世には、人の数だけ、いや、生命の数だけ世界が存在し、生命らは認識の共通部分を共有しているに過ぎず、本当は全員、唯一人で、その者だけの”幻の世界”に遊んでいるのだ。共通部分が極めて少ない世界に生きる者を、人は狂人と呼び蔑むが、彼等は彼等の真実の中に生きているのだ。だから幽霊は存在するし、仙術だって使えるのだ。狂人と、呼びたければ呼べばいい。それもまた、世界の真実なのだから。

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