人は何かを愛し大切にする時、知らず知らずそれを独占する心が生まれている。それを自分一人が愛し、それは自分一人に愛されている、だからそれを喪失する時の悲しみもまた、自分一人のものであると、思い込んでしまう。人はどこまでも自己という沼に溺れたままで、一生出ることは叶わない。死ぬまで、いや死んでからも、観客のいない一人芝居を続けている。
あらゆるものは自分が思う以上に他者と連関しており、それだけ一層、人は自分が思うよりも孤独である。全ては他者との関わりにより認識出来る為に、まるで同一性を共有しているかの如きこの時空間が、何の根拠も無い曖昧な夢のようなものではないとは、誰にも云えない。それならば感情の共鳴も、偽物、幻だろうか。他者と一致した振動が、己の認識を越えて世界を拡げていく様もまた、単なる偶然を誤解しているのだろうか。いや、信じたい。重なった感情が切り開く世界には、きっと確かな手応えと交わりがあると、信じたい。あの涙は、確かに本物であったし、この手を濡らしたのだから。