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【神話エッセイ】 井の中の蛙

今回はこちらの曲を聴きながら読んでくださることをお薦めします。


井の中の蛙 大海を知らず


まさにぼくのためにあるようなことばである。

ぼくの小学校は田舎の田んぼの中にあるような学校だったので、クラス数も2クラス(1クラス25人)しかなかった。それが中学になると町家(まちや)のある小学校と一緒になるのでいきなり4クラス(1クラス40人)に拡大した。当然、小学校では中ほどの成績や運動も、中学校に入ればずいぶん下のほうだなと思い知らされた。

それが高校生にもなると、隣の市内のこどもたちと合流するのでさらにクラスは増えることになる。もちろん、そうやってたくさんの人々と比較することで、自分がほとほと「井の中の蛙」であったと認めざるを得なくなるのであった。

ぼくが小学校に通っていた70年代後半から80年代前半はマンモス校が都会で増えて校内暴力など社会問題化されていたものの、ほとんどそれとは無縁の学校生活であった。それでも小さな田舎でありながら、そうやって自分の立ち位置を学んでいった。


カエルの子はカエルである


現在、反抗期真っ盛りの三男坊は高校2年生。

息子もぼくと同じような道を歩んで高校生になっている。しかし、少子化の現代において、もっとそれは深刻なようでもある。

三男坊は小学校から野球を始めた。次男坊が友達から野球に誘われ、兄の後を追うようにスポ少に入ったのだ。次男坊の時はチームの人数が全く足りなくてなんとしても部員を増やさないといけない事情があった。これは田舎のスポ少で深刻な問題で、野球やサッカーといった団体スポーツはほとんど部員の取り合いのようになっている。

次男と三男坊が入ることで、やっと野球チームの状態を保つことができたようなものなので、強さは求めるべくもなかった。その中でも割合、運動ができた三男坊はそれなりに活躍し、中学校でも野球をやることになる。

そのころにはぼくもずいぶん野球にのめり込み、こどもたちは高校でも甲子園を目指して頑張ってくれるものと期待が膨らんでいた。しかし、次男坊は「中学野球でもうやりきった」と捨て台詞を吐いて、高校では別の部活に入ってしまった。

残るは三男坊のみとなった。せっかく野球を始めたのだから、甲子園を目指して頑張ってみようと、何とか三男坊に説得をこころみた。そして、高校でも野球をすることを誓ってくれた時は、素直にうれしかった。しかし、それは三男坊が「井の中の蛙」であることを知る第一歩であった。

中学まで軟式野球だった学生が、高校で硬式に変わるときに、まず戸惑うのが球筋の速さであろう。三男坊も軟式と硬式の違いにずいぶんと悩まされた。さらに当然ながら、硬式球はからだに当たるとすごく痛いこともあって、あるとき肩に硬式球が当たって以来、球が怖くなったようである。

それもあってか、なかなかベンチにも入れさせてもらえず、これまで順調に野球人生を歩んでいた三男坊は初めて壁にぶち当たった。

「俺、野球へたかもしれない」

ずっとはじめから「井の中の蛙」だったぼくにはその気持ちよ~くわかる。だから、三年生までにレギュラーになればいいではないかと慰めた。それまでに実力を認めてもらえるほうが、途中で怪我して出れなくなるよりずっといい。さらにいえば、レギュラーになれないとしても、一生懸命頑張ったことはけして無駄にはならないのだよと伝えた。



さて、出雲神話にて「井の中の蛙」と嘲笑った神様がいるといえば、高天原の天津神たちであろう。

「古事記」の「国譲り」によれば、天照大神が「葦原の瑞穂の国はわが御子神・天の忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の治めるべき国である」といい、天の忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に葦原瑞穂の国を見てくるように命じる。

そこで天の忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)は天の橋立から葦原瑞穂の国を覗くと「ずいぶん葦原瑞穂の国はさわがしいことになっている」といい、そのように天照大神に報告した。

おそらくそのとき、高天原の神々たちは葦原瑞穂の国で「国造り」を行った大国主命たち国津神を「井の中の蛙」ごときものと侮っていたに違いない。

そこから高天原と葦原瑞穂の国の争いが起こるが、なかなか高天原の思うようにはいかず11年の歳月が過ぎることになる。

11年争いが続いたことはどのようにとらえるべきであろう。

現在、東欧のある地域で戦争が続いているが、はじめ数か月で制圧できると思われていた戦争はもう1年以上も続いている。もしこの戦争が11年も続くと考えていただきたい。攻撃したほうは大誤算である。というか、国の政情は大いに傾くであろう。

天照大神が失敗したのは明らかで、大国主命たちが行った「国造り」は予想以上に強固なものだったのである。

燕雀安んぞ 鴻鵠の志を知らんや

(えんじゃくいずくんぞ こうこくのこころざしをしらんや)

どうやら、大国主命たちはツバメやスズメのような小鳥ではなく、大きな鳥だったようである。

大国主命はその功績により、出雲大社に大切に祀られている。



三男坊たちのチームがこれからどれほど強くなるかはわからない。もう来年は3年生。早いものである。彼らが燕雀ではなく、鴻鵠であることを祈ろうと思う。

井の中の蛙、鴻鵠の志を知らんや

何はともあれ、高校野球をぞんぶんに楽しんでほしいものだ♪



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 
 
よかったら、出雲大社にもいらしてください。

神在祭も始まりますよ♪

それでは、お待ちしています。


こちらでは出雲神話のエッセイを集めています。
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ヘッダー画像はamicaさんの画像をお借りしました。ありがとうございました。


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