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起きて半畳 寝て一畳

島根県は横に長い。西部に石見地域、東部に出雲地域、海上に隠岐の島もある。それぞれ住む地域によって人柄も異なるといわれている。

手元にある「島根県謎解き散歩」によれば、出雲人は古代に大和政権の支配下に入ってからはきわめて閉鎖性の強い地域になったとある。性格は保守的で消極的、協調的で依存気質。長所は温和で謙譲、まじめで勤勉とある。

ぼくの性格がそのようであるかは別として、石見や隠岐のひとびとからみれば、出雲人は「なにを考えているのかよくわからず、本音を語りたがらない」ということになる。



Aさんの話をしよう。

Aさんがぼくの近所にお婿さんに入った。Aさんは生粋の石見人。ちょうどお互いの子供が年齢的に近かったこともあり、すぐに仲良くなった。そのことで、ぼくは石見人気質について少々興味を持つようになった。

石見人は一途で単純なところがあると「島根県 謎解き散歩」に書かれている。出雲と違って、生産性の低い土地柄だから、外部に進出して稼がなければならなかった。そのため、明瞭な表現力、果敢な行動力が必要であった。石見人の気質の底流には、この一途さと果敢さがある、とあった。

Aさんもこの石見人気質を確実に受け継いでいて、物事がはっきりしている。そのせいか、宴会の席でもちょっとしたもめごともあったりした。しかし、それを抜きにしても、ぼくはAさんに好感を持った。それは酒席のたびにAさんが「知らない土地にきて、妻をめとり、子供まででき、家も付いて食事にもありつける。これだけで幸せだよ」と繰り言のように述べていたからである。

「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」ということばがある。

『人間一人に必要なスペースは、座っている時に半畳、寝ている時に一畳だけ。 いくら天下を取ったって、一食に二合半以上のお米は食べきれない』という意味(一食でなく一日の説も)。 つまり、必要以上のものを欲しがったり手に入れたりしても使い切れないのだから仕方がない、ということ。

ぼくはこのことばが好きなだけに、Aさんにより好意を持つにいたった。ぼくも自分の居場所さえあれば、それだけで事足りるという考えを持っている。それ以外は余分なこと、という気持ちを大切にしている。




出雲神話で自分の居場所がはっきりわかっている神様は大国主命である。

古代の地理誌「出雲国風土記」の飯石郡・三屋郷の項に「大国主命の家の御門があったから三刀矢という」との記載がある。

出雲神話がたんなる空想の物語ではなく、古代のなんらかの歴史に関係があるかもしれないと知られるようになったのは、神庭荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の膨大な青銅器群が発見されたからである。

確かにそのとおりであるが、ぼくが出雲神話が何らかの歴史的な事実を示しているのではと確信したのは大国主命の居住地が三刀屋であると「出雲国風土記」に記載されていたからである。

古代出雲の地形を見てほしい。

三刀屋は神戸水海に当時は流れていた斐伊川を眼下に望み、馬を走らせれば(当時、馬があったらだけど)直線で入海(今の宍道湖)に至る(防御の面からもこの古道は最適だった)。まことに進んで良し、守って良しの地形である。

例えば、現在の出雲大社が大国主命の居住地だったと考えてみよう。

弥生時代、出雲大社の場所は海が眼下に迫っていた。それだと確かに進むはいいが、守りの点ではまるっきり駄目である。もし出雲大社が大国主命の居住地だと記載されていたら、出雲神話は確かに作り事だといわざるを得なかっただろう。

三刀屋に大国主命の居住地があったと記載されているからこそ、出雲神話の歴史的信憑性が高いといってもいいだろう。



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 
 
よかったら三刀屋にもいらしてください。

出雲神話の歴史性を眺めるには格好の場所ですよ ♪

お待ちしています。



余談ながら、Aさんのことである。

最近、Aさんは家庭内別居状態だという。奥さんや娘さんと口もきかない状態が続いているという。

「島根県 謎解き散歩」によると、石見人の短所として「時たま行き過ぎて、粗野となり、頑固となり、さらには軽挙妄動のたぐいに堕すこともある」と指摘されている。

当然、夫婦間のことだから他人のぼくが口をはさむことはできない。

願わくば、Aさんの居場所が壊されることなく、平和的な解決方法が見つかればと思う。同じ畳一畳の世界に住むものとしては切に願うばかりだ。



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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