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小説の書き方と読み方

図書館で『小説読本』なる本を見つけた。著者は三島由紀夫。内容は小説についての考察がいくつか収録されたものであった。三島の作品には他に『文章読本』というものもある。こちらも似た内容だが、小説以外の形式にも触れている。

彼の生きた時代も小説家を志す青年は多かったらしい。インターネットという発表の場が増えた現代では、その数は当時と比べ物にならないかもしれない。私が本を手に取ったのも同じ理由ではある。

誰だったか覚えていないが、ある作家が「小説は見たものを書く」仕事だと言っていた。その方も確か文章では名を馳せている人だったはずである。どうやら小説には他の分野とは大きく異なる特殊な技能が必要らしい。

三島はそんな小説独自の特性を示したものとして、柳田國男の『遠野物語』を挙げていた。『小説読本』では具体的な一節を引用しているが、ここではあえて言及を避ける。未読の方は『遠野物語』を一通り読んでから、『小説読本』でどの文が取り上げられているか予想してみると面白いと思うからである。

『文章読本』では名文を書くために、名文を読むということの重要性が説かれている。ただし、ただ読むだけではいけない。文章を「味わう」ということが不可欠である。これがどういうことかは『文章読本』の最大のテーマであり、ここではとても要約できないので一読をお勧めする。

さて、過去の名文は大抵が青空文庫で今すぐ読むことができる。先ほどの『遠野物語』も収録されている。この点で現代は恵まれていると言ってよいだろう。思わぬ一冊に出会うことも少なくない。

三島のものに限らず「小説の書き方」というものは世に多く出回っている。玉石混交には違いないが、芸術の範疇であるから正解というのもないのかもしれない。最初は稚拙な文章しか書けなくても、試行錯誤していくほかないのである。

絵画にも似た話がある。海外留学後に絵が上達した人がいる。しかしこれは何か刺激を受けたとか、経験がどうだというのが主な理由ではなかった。反対にことばが通じず毎日ひたすら絵を描くだけだったから上手くなったというのである。

幸い、インターネットがあれば出版社を通さずとも世間に発表することができる。注目されるか否かは運も関わってくるだろうが、やはりよいものはいずれ味泊まられると信じたい。

不当に忘れ去られている本というのはいくつかあるが、
不当に記憶されている本はない。

W・H・オーデン

長々と書いてきたが、とりあえず私自身が書き始めなくてはならない。以上の文章はひとまず自分への教訓だと思うことにしたい。もし首尾よく完成にこぎつけた時には、その小説の方も読んでいただければ幸いである。

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